自由であるために

 インターネット、それは世界と繋がった情報網。ネットを活用すれば世界中の人々と交流出来ます。インターネットの登場で世界との距離は確実に縮まりましたよね。私もネットを活用してその便利さを日々実感しています。


 さて、そのネットでは常に様々な意見が交わされていますよね。ある話題に対して賛同する人、否定する人、面白がる人、からかう人、喜ぶ人に怒る人……人に寄ってその反応は様々です。


 インターネットの利点は何でしょう。人それぞれに答えは違うと思いますが、私が思うインターネットの一番の利点は自由だと言う事です。

 個人で情報を好きに発信していい。どんな情報も発信した時点では否定されない、ボツにならない世界です。


 だからこそ、その情報は玉石混交です。騙すつもりがなくてもしっかり裏を取らなかったせいで結果的にデマを拡散してしまったりと言う事もあります。ネットでは情報を誰も保証しません。騙される方が悪い世界でもあります。


 さて、ネットの自由は発信する情報の他に感想を自由に述べられる場所でもあります。だから各種掲示板や記事のコメント欄はそんな自由な意見で日々賑わっております。

 自由と言う事は制限がない事、タブーがない事でもあります。全てのコメントのレベルは書く人のモラルに委ねられます。


 自由のものが書けると言う事は、当然のように暴走する人が現れると言う事にもなります。誰もが自制心を働かす訳ではないのです。

 最初は気を使って当たり障りのないコメントをしていた人が過激なコメントを見て、こう言うコメントをしてもいいんだと感じ、暴走し始めると言う事もあるでしょう。インターネット黎明期に盛んに口にされていたネットエチケット、略してネチケットの理念も今となってはどこへやらと言った感じです。


 この言葉の暴走は今ではもう当たり前のようになっています。例えば某まとめサイトのコメントはまともな方が少ないくらいです。そう言う特殊な場所でなくてもニュースサイトのコメント欄とかも結構酷いものを目の当たりにしたりします。

 特に発信者が特定されない所のコメント欄は酷いですね。誰が発信したか分かる場所はそれでも多少はコメントに自制が効いている気がします。


 私もそう言うコメントは見たくありません。Twitterでもとんでもない発言をする人は結構いるみたいです。私はリストに入れた人しかチェックしないのでTLに暴言は殆ど流れては来ないのですが、何かのきっかけで炎上してしまったら酷いコメントも私宛にどんどん飛んで来る事でしょう。トラブルは怖いですね。


 でも、私としてはそう言うコメントをする人を止めようとかやめてもらおうとかは思いません。ただ見ないようにしたいだけ。

 何故ならそう言う事をすると自由ではなくなるから。ネットの一番の利点である自由を大事にしたいんです。

 ある発言をしてそれに対して傷ついた、これは酷いと言うのは当事者同士の問題です。問題はその発言そのものを止めようとする動きです。

 誰かの自由を制限すれば、やがて巡り巡って自分の自由も制限される事になるでしょう。それが嫌なんです。足枷はない方がいいに決まっています。


 どう思ってもどう発言しても自由なのがネットのいいところなので、今後もネットはそう言う場所で有り続けて欲しいのです。全ての発言は自己発信で自業自得なのがネットの世界なのですから。死して屍拾う者なし。南無~。

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