Butterfly

卯月

Blue Blue Sky

Blue Blue Sky

   君を、逃がしてあげるよ。

   青い青い大空へと、放してあげる。

   だから……


 雨が降っていた。

 見た目にはわからぬほどの小雨だったが、ずっと打たれているうちに髪も服もすっかり濡れてしまって、少女の肌に重く貼りついていた。

 誰も彼女に傘を差しかける者はいない。

 否、誰も彼女が一人濡れながら立ちつくしていることに、気づいてはいない。

 行き交う人の流れは激しいのに、その全てが他人でしかない街の中。どんよりと街にのしかかる灰色の空を、少女はにらみつけるような目で見上げていた。

 だがやがて、諦めたように歩き出す。今まで歩いてきた大通りではなく、角を曲がって細い路地裏へと入っていく。

 道を一本外れただけでこうも違うものかというほどに、路地裏には誰もいなかった。ネオンも街灯もない、薄暗い迷路のような道が続いている。だが少女はためらいもせずに歩いていき、大通りから完全に離れたあたりで、不意に声を上げた。

「気づいてないとでも思ってんの? 出てきなさいよ」

 その言葉に、少女の背後の暗がりから一人の少年が姿を現した。ニヤニヤと、楽しくてたまらないというように笑みを浮かべている。

「気づいてて、こんなところに自分から来るとはな。いい度胸じゃないか」

「……バレバレだったわよ、あんた。〝る気〟だったでしょ? 街の中でさ。一般人を大勢巻き込んだりしたら、いくら上だってカバーしきれないっつーの」

「そんなことねえよ。逃げ出した〈蝶〉を狩るためなら、どんなことをしたっていいのさ。俺たちが普段から街の中に網を張ってるのは、そのためでもあるんだからな」

「それにかこつけて、大量虐殺の機会を窺ってるってわけ? 〈蜘蛛〉さん。そんなのの尻拭いまでやってくれるほど、上はお優しかないわよ」

 それを聞いて、少年は残忍な表情を浮かべた。

「俺たちはもともと殺人兵器だぜ? 〈奴等〉と戦って、殲滅するために造られた人間だ。お前らみたいに、海のものとも山のものとも知れないような能力の持ち主が集められて、温室の中でぬくぬく育成されてるのとはわけが違うんだよ」

「〝集める〟? 〝育成〟? 馬鹿言ってんじゃないわよ」

 少女は苦々しげに言い捨てた。「あーゆーのは、〝拉致監禁〟に〝人体実験〟って言うの。世間の常識ではね」

「チンケな能力持っちまったお前が悪いんだよ」

 少年が嘲笑った。

「何の能力もなきゃ、まあ世界の真実なんてものにも気づかず馬鹿みたいに気楽に生きてられたろうし、もうちょいマシな能力がありゃ〈奴等〉に対抗する戦力としてそれなりの待遇は受けられたはずさ。なのにお前と来た日にゃ」

 少女を指さして、見下すように言う。

「一応〝未来が見える〟たぁ言うものの、〝赤い〟だの〝青い〟だのくらいしかわかんねえんじゃな。おまけに、自分の未来は見えねぇし。まあその程度の未来じゃ見えてもどうにもならねぇけどよ、なあカラーズ」

「そんな、上が適当につけたあだ名で呼ばないでよね。あたしには沙代里って名前があるのよ」

〝沙代里……〟

 そう呼んでくれた者の声が鮮明に甦り、一瞬、少女の瞳が翳る。

〝君の目には、僕は何色に見える? 沙代里……〟

「わかってねぇな」

 少年は〝どうしようもねぇな、こいつは〟という感じで言う。

「そんな名は、お前が〈我々〉に組み込まれたときにとっくに消え失せてんだよ。もっとも、もうすぐカラーズって名も必要なくなるがな」

「〈我々〉、ねぇ……」

 少女の、少年を見る目つきが変わった。

 挑むような鋭さが消え、そこにあるのは明らかな、〝憐憫〟の情だ。

「あんた、本当に自分が〈我々〉のうちだと思ってるわけ?」

「……どういう意味だ?」

「だからさ、上の連中が〈我々〉って言うときに、自分もその中に含まれてると本気で思ってるのかって、訊いてるのよ」

「当たり前だ!」

 だが、少女のあまりにも自信ありげな物言いに、少年はわずかに動揺し始めていた。

「違うわね」

 フッと少女が鼻の先で笑った。

「あたしだって、だてにカラーズなんて呼ばれてたわけじゃないのよ。好きな名じゃないけどさ。施設にいた、上の連中の色だって見えるの。ま、灰色とか黒とか、だいたいロクな未来じゃない奴が多かったけどね。

 でもね、あんたや他の〈蜘蛛〉は……〝色がない〟のよ」

「……どういうことだ」

 問い返した少年に、少女はズバリと言ってのけた。

「あんたたち〈蜘蛛〉に、未来なんかないって言ってんの」

 あまりの言葉に、少年は絶句する。

「上にとっちゃ〈蝶〉も〈蜘蛛〉も、ゲームのコマに過ぎないのよ。〈奴等〉との戦いというゲームの、使い捨てにできるコマ。

 それでも〈蝶〉のほうは、そう簡単に生まれつきの能力者なんて見つからないから希少価値があるけど、あんたたち〈蜘蛛〉はいくらでも〝補充〟ができるからねぇ……」

「そ、そんなことはない!」

 少年は叫んだ。

「俺は〈蜘蛛〉のヴァーミリオンだ! 〈蜘蛛〉の中でも一番の使い手だぞ!? 使い捨てのコマだなんて、そんなことがあるか!」

「……そう信じていたほうが、幸せなのかもね」

 再び、少女の目に憐憫が浮かぶ。その視線を振り払うかのように、少年ががなりたてた。

「ええいうるさいうるさい! お前には抹殺許可が出てるんだぞ、そんな世迷い言ほざいてたって、数秒後にゃ死ぬ運命なんだよ!

 だいたい、お前程度の奴が逃げて来れたってえのが奇跡なんだ。しかも、できそこないとは言え一応〈蜘蛛〉の端くれのプルシアンを殺してな」

 さすがにそこで少女を見る目つきにわずかに疑問が混じったが、すぐに

「ま、いいさ。俺はあいつとは違う。俺の手にかかりゃ、お前なんぞ一秒であの世逝きだ」

「できるの、本当に?」

 自信を取り戻したように、少年はせせら笑った。

「〈蜘蛛〉はもともと戦闘用だぜ。身体的には通常人の〈蝶〉なんぞ、どうあがいたって勝ち目はないんだよ」

 言うが早いか、仕掛けてくる。

 速い。常人の目には決して留まらぬ速さだ。一瞬にして右手が刃へと変わり、ヴァーミリオンの名の如く獲物の鮮血が一面に舞い……。

「……な?」

 ごふっと、少年が血を吐いた。

 少年の身体は、少女に達する前に止められている。それをしているのは、何メートルにも伸びた彼女の髪。先端が硬化した無数の髪が、少年の全身を刺し貫いている。

「それは……確か、プルシアンの能力……そんな……」

 わけがわからないという表情の少年に、淡々と少女は言った。

「できそこないなんかじゃないわね。一対一で戦ってたら、彼がきっと勝ってたわよ。あの、鱗みたいな肌のせいで一般社会に紛れ込ませることができなくて、施設に留め置かれてただけ。

 でも、未来がないのはあんたと一緒だったわね。彼は、そのことに気づいてた」

〝君の目には、僕は何色に見える? 沙代里……〟

 ごめんなさい。

 あたしの目には、あなたの色は見えなかったわ。だけど……。

「あたしの未来も、ロクなもんじゃないらしいわ。〝真っ赤〟だもの。どこまでも続く、血のような赤。祥子がそう言ってたわ」

「……?」

 苦しげな顔色ながらも、少年が怪訝そうな様子を見せる。少女はそれに気づいて

「ああ、あたしは自分の未来が見えないのに、って言うんでしょ? そのとおりよ。あたしの未来を見たのはあたしじゃない、祥子なの。あたしが拉致されるより前の話。能力が災いして他の子からは気味悪がられてたけど、あたしには唯一の友達だったわ。

 でも、そのすぐあとであの子は死んでしまった。彼女の手首からあふれる血を、あたし、すすったの。祥子の血が、あたしの中を流れますようにって。あたしの血と一緒に」

「……ま、さか……」

 全身を無数の針に貫かれ、そのなかには致命的な個所も含まれている。人間離れした身体を持つ〈蜘蛛〉とは言え息絶えるのも時間の問題という状況で、それでも少年が愕然とした。

「お前、本当は……」

「カラーズは、あたしの能力じゃないわ。あたしの本当の能力は、他人の能力を手に入れられるってことなのよ。相手の血を体内に入れることでね。祥子が死ぬまで、自分でも気づかなかったけど。〝血のような赤〟、まさにそのとおりだったわけ」

 不意に、少女の瞳が悲しみに歪んだ。

「……そんなこと、教えなきゃよかった。あたしの目の前で、プルシアンは全身の血をぶちまけて死んだのよ。あたしに、彼の能力をくれるために」


   君を、逃がしてあげるよ。

   青い青い大空へと、放してあげる。

   だから……


「馬鹿。鱗みたいな肌だって、隠そうと思えばいくらだって手段はあるわよ。どうして、外の世界に出るのは無理だって諦めるの。どうして一緒に逃げようって言わなかったのよ。

〝僕のことを忘れないで。僕には未来がないかもしれないけれど、君の未来に僕を連れていって〟ですって? 冗談じゃないわよ!」

 悲痛な声で叫ぶ。

 しばらくして落ち着きを取り戻すと、少女は言った。

「あんたの血をすすれば、あんたのその能力もあたしのものになるわ。

 ……でも、いらない。あんたの力なんかいらない。祥子とプルシアンだけで、十分あたしには重過ぎるのよ」

 冷たく宣告すると、少女は少年を貫いていた髪を引き戻した。少年の身体がどさりとアスファルトに崩れ落ちる。鮮血に染まった髪が、少女の身体にまとわりつく。雨が、赤い筋となって流れ落ちていく。

 少年がもはや息をしていないのを見届けて、少女は再び歩き始めた。

 行き先などない。

 頼る相手もない。

 だが、立ち止まるわけにはいかなかった。

 約束だから。それがどこにあるのか、どんなところなのか知らないけど、あたしの未来に彼も一緒に連れていくの。でも……。

「プルシアン。残念ながら、あたしの大空はあんまり青くないみたいよ」

 そう呟きつつも、ためらいのない足取りで、少女は雨の中へと消えていった。



End.

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