第491話 王国騎士団と宮廷魔術師団①

 愛しの婚約者との時間を終えて。

 シュリはようやくまたアンジェと2人きり(?)という喜びを隠しきれないフィフィアーナを置いて中庭を後にした。


 次に向かうは王国騎士団の騎士団長室だ。

 場所は、謁見室や国王陛下や宰相様の執務室などの政治中枢的な諸々の集まる中央エリアを正面に見て右側のエリア。


 因みに、次にシュリが向かう宮廷魔術師団の研究室やら執務室やらが集まるのは、騎士団エリアと真反対の左側である。

 そちらには魔術師の塔があり、他にはお城の蔵書室もあったりする。

 まあ、脳筋の多い騎士団よりは魔術師団の皆様のほうが蔵書室の利用率も高そうだし、妥当な配置だろう。


 魔術師の塔と対になる位置、王国騎士団の詰め所の近くにあるもう1つの塔は、犯罪者を収監したり尋問したりする施設の集まった場所で、通称監獄塔。

 塔の上部にある貴賓室的な牢獄から重犯罪者を収監する地下牢獄まで、犯罪に関する様々な施設がその塔に集められている。

 その塔に関しては、騎士団の中でも第10騎士団という犯罪捜査に特化した特殊な士団が管理しており、ごく一般的な騎士の士官候補生として勤務予定のシュリが関わることはほぼないだろう。


 そんなことを考えながら目的地へ向かって歩く。

 騎士団関連の諸々が集まっているエリアなだけあって、歩いていると結構な数の騎士とすれ違うのだが、なんだかすごく見られている気がするのは気のせいだろうか?



 「彼があの?」


 「確かに、か、可愛い、な。うん、あれは可愛い」


 「あの第3師団長がご執心なんだろう?」


 「師団長が夢中になる気持ちも、まあ、わかるな」


 「お、推せる」


 「おい、あんまり見るな。アリス師団長に殺されるぞ」



 ひそひそと、聞こえてくるのはそんな声だ。



 (いやいや。僕を見たくらいでアリスに殺されるって、ちょっと言い過ぎでしょ? 言い過ぎ、だよね?)



 いくらアリスでも、そこまでじゃないと信じたい。

 信じたい気持ちと、でも、と思う気持ちでせめぎ合いながら、たどり着いた騎士団長室のドアをノックする。



 「おう、入っていいぞ」



 中からそんな声が返ってきて、



 「はい。失礼します!」



 シュリは遠慮なく扉を開いて中へ足を踏み入れた。



 「君が噂のシュリナスカ・ルバーノか。よく来たな」



 にっかり笑ってそう言った、騎士団長らしき男性の大らかな笑顔をゆっくり堪能する間も、答えを返す間もなく、



 「シュリ、よく来たな。待ってたぞ」



 ぎゅむっと勢いよく抱きしめられ、視界が紫紺で埋め尽くされた。

 騎士団の、制服の色である。

 ここ10年ほどでそれなりにお育ちになった豊かな胸部に顔が埋まって息苦しさを覚えるが、頭の後ろや背中に回された腕がシュリを解放してくれる気配もなく。

 ギブアップを伝えるように彼女の背中を叩いてみたが、



 「そうか! シュリも早く私に会いたかったか。可愛い奴め」



 さらにきつく抱きしめられる結果となった。

 無理にふりほどけばふりほどけるのだが、そうした時の相手の体へのダメージが恐ろしく、シュリは何もできないまま、わたわたと両手を動かす。

 こう言うときは、化け物じみた身体能力も困りものである。



 「そんなに嬉しいのか! そうかそうかぁ」



 頭をわしゃわしゃと撫でられる。

 そうじゃない。窒息しそうなだけである。

 が、そんな気持ちが彼女に伝わるはずもなく。

 こうなったら諦めて失神するしかない、と遠くなりそうな意識の中で思った時、



 「ルバーノ、そろそろ離してやった方がいいんじゃないか?」



 騎士団長ともシュリを絶賛抱きつぶし中の従姉あねとも違う涼やかな声が室内に響いた。



 「は? 次は自分の番とでも? 悪いがシュリは私の、だからな! 貸してはやれん!!」


 「誰がそんなことを言っている? それほど大事ならきちんと様子をみてやったらどうだ」


 「はあぁ? なんだそれ。自分の方がシュリを知ってる、みたいな言い草は。シュリが自分の隊に配属されるからっていい気になって……」


 「そうじゃない」


 「じゃあ、なんだ!?」


 「窒息するぞ?」


 「は?」


 「君に抱きつぶされて、君の大事な相手が窒息しそうだ、と忠告している」


 「え!? わっ、シュリ!! 大丈夫か!?」



 そこでようやく顔への圧力が緩み、助かった、と思いながらシュリは大きく息を吸い込んだ。



 「だ、大丈夫、か?」


 「あ、ありす……」


 「なんだ? どうしたんだ??」


 「じ、自覚、して?」


 「自覚? うん、任せろ。自覚する。だが、なにを??」


 「自分が、色々おっきくなってること。子供の頃と違うんだから」


 「わ、わかった。自覚する。私は色々おっきくなってる。子供じゃない」



 全然わかってないし自覚してないことは分かったが、ちょっと青くなるくらい反省しているらしいアリスにこの場でこれ以上注意を重ねるのも可哀想なので諦めた。

 機会があったら後で注意しよう、と思いはしたが。

 今はそれよりこの場をどうにかせねば、とアリスから目を離すと、こちらを見ている騎士団長と目があった。

 なぜかダンディなお顔のその口元を両手で押さえてぷるぷるしている。



 「あ、あの、騎士団長。初っぱなから色々すみませ……」


 「ぶふっ。い、今は話しかけるな。ちょ、ちょっとだけ、俺に、時間、を」



 息も絶え絶えにそういって、机に突っ伏してしまった。

 色々と、我慢していたらしい。両手でないと、押さえきれないくらいに。

 まあ、それでも我慢しきれずに撃沈してしまった訳だが。


 机に突っ伏して、声を殺して震える逞しい背中をしばし無言で眺めた後、シュリは改めてこの部屋にいるもう1人の人物に目を向けた。

 その人は、すらりとしたバランスのいい長身に無駄のない筋肉を備えた、まさしく騎士、といった雰囲気を兼ね備えた人だった。


 サラリと癖のない艶やかな金髪は肩を少し越えるくらいに長く、その瞳は空の色をそのまま映したようなスカイブルー。

 その色合いに加え、美しい、と評してもいいほどに整った顔立ちはまさに王子様。

 王子様で騎士な、男として完璧といっても過言ではないその人を見上げ、シュリはぺこりと頭を下げた。



 「えっとどなたか存じ上げませんが、さっきは助けていただいて助かりました」


 「気にしなくていい。君のような幼い少年を力任せに抱きつぶすルバーノの頭がおかしいのだ。君は悪くない」


 「なにをぉ」


 「アリス、落ち着いて? 初めまして。僕はシュリナスカ・ルバーノといいます」


 「ああ。ロッツォ騎士団長がそう呼びかけていたから、そうだと理解してはいる。理解は、しているが。その、失礼を承知で聞かせてもらいたいのだが」


 「お気になさらず。どうぞ?」


 「君の年齢は、その、17歳、と聞いているのだが、それにしては、どう見ても……」


 「言いたいことは分かります。僕は年齢の割に幼く見えるので」



 いや、幼く見える域は越えていると思うんだが……とこぼされた独り言のような言葉は聞かなかったことにして、シュリはさらに言葉を続ける。



 「僕の母方の祖母と祖父が長命な種族なんです。僕の見た目が年の割に幼いのもそのせいか、と。長命な種族は、その成長速度も人より遅いといいますし」



 にこにこしながらシュリは言い切った。

 正直、シュリの成長がここまで遅い原因は、十中八九[神の気をまといし者]という称号のせいなのだが、それを素直に話すわけにもいかない。


 長命種の成長が遅い、というのもあながち嘘ではないが、シュリほど遅いということはなく、普通の人間とさほど変わらず大人になった後に、彼らは成長の時を止める。

 そして老齢期にさしかかる頃、再びその時が動き始める、というのが定説だ。


 目の前の王子様な騎士もそれを知っている可能性もあるが、もし指摘されたら、突然変異だと言い張ろう、とちょっぴり構えながら彼を見上げたが、



 「なるほどな。そういうことか。それであれば、君の幼さやその人離れした美しさにも、説明がつく」



 非常に感心したように納得してくれていた。

 シュリはほっと胸をなで下ろし、思わず笑みを浮かべる。

 そんなシュリの笑顔にはっと息を飲むような音が聞こえ、次の瞬間、シュリの顔は後ろから伸びてきた手に覆われ視界を奪われた。

 視界を奪われてても、この部屋にそんなことをしそうな人間は1人しかいない。



 「アリス?」


 「そんなにほいほい可愛く笑った顔を見せちゃダメだ。野獣が発情したらどうするんだ!?」


 「野獣、って」


 「……ほほう。ずいぶんな言われようだな、ルバーノ」


 「あ、あの、落ち着いて!? えっと……」


 「ユリウスだ。ユリウス・ロットフィールド。王国騎士団第1師団の師団長を拝命している。ユリウス、と呼んでいいぞ、シュリナスカ。ユリウス師団長と。君は私の師団に配属されることが決まっている。ルバーノの第3師団ではなく、な。今日からは上司と部下として仲良くできれば、と思っている」



 なぜかアリスをあおるような自己紹介に、シュリの顔を隠すように覆ったアリスの手に力が入る。

 そんな従姉あねの様子にシュリは慌てて声をあげた。



 「アリス!? アリスが今掴んでるのは僕の顔だからね? 握りつぶしたりしないでよ!?」



 そう簡単に握りつぶされたりはしないけど、念のため。



 「うわ!? そうだった。大丈夫か? シュリ?? ロットフィールドの奴が腹の立つことを言うから、つい」



 アリスも慌てた声をあげて、シュリの顔からぱっと手を離す。

 そして代わりにシュリを後ろからぎゅっと抱きしめて、



 「くそばかロットフィールドめ。私はシュリが第1師団なんて納得してないからな!?」


 「君が納得しようとしなかろうと、シュリナスカの配属はもう決定事項だし、国王陛下の裁可もおりている。覆そうなどと、思わぬことだな」


 「うるさいなぁ!? ったく、シュリは私が甘やかして可愛がって立派な騎士に育てるつもりだったのに、計画が台無しだ。私の師団長室でこっそりいちゃいちゃする計画はどうしてくれるんだよ!?」



 どうしてくれるんだよ、もなにも、そんな計画はそもそも立てちゃいけないと思う。

 思いはするも、ここでのシュリは1番下っ端。

 出しゃばるのもよくない、とあえて口をつぐんだまま事の成り行きを見守る。



 「師団長の立場を私利私欲のために利用しようとするな。君に預けたらシュリナスカという逸材がダメになる。私に預けると言ってくれた騎士団長の英断をたたえよう」


 「……というか、だな。ルバーノに文句付けられて耐え切れそうな師団長ってなるとお前しか思いつかなかっただけなんだがな」



 は~、笑った。腹いてぇ。

 そんなことを言いながら、どうにか笑いの発作が落ち着いたらしい騎士団長が、指の腹で目の端に浮いた涙を拭いながら、ようやく部下達の会話に割って入った。

 でも、それでもシュリとアリスを一緒に視界に入れるとこみあげてくるものがあるらしく、



 「……っ、おい、ルバーノ。お前はちょっと俺の視界から外れてろ。話は後でちゃんときいてやるから」



 そう言って、不満そうなアリスを自分の後方へ下がらせた。

 あのアリスに言うことを聞かせるなんて、さすが上司だな、と感心しながら見ていると、改めてシュリをまっすぐに見た騎士団長が、



 「改めて、俺が騎士団長のロッツォ・リードウェルだ。お前のじい様やその奥方のハル師団長には俺がまだひよっこの頃に随分世話になった。その恩を返す、っつー訳じゃねぇが、お前の事はどこに出しても恥ずかしくないように鍛え上げてやるつもりだ。といっても、お前には他にも義務があることも聞いている。その辺りのスケジュールはロットフィールドと相談しろ。とはいえ、お前が特別扱いされてるとやっかむ連中は出てくると思うが」


 「大丈夫です。ちゃんと自分で対処します」


 「だな。お前の器を見せてみろ。だが、自分だけで対処できないと思ったら俺かロットフィールドに相談するんだぞ?」


 「はい。お2人に相談します」


 「よし、いい返事だ。これからよろしくな、ルバーノ……っと、2人ともルバーノじゃややこしいな。俺もロットフィールドに習ってシュリナスカ、と名前で呼んでも構わないか?」


 「はい。僕の事はシュリと呼んでください。ロッツォ騎士団長。ユリウス師団長も」


 「じゃあ、シュリって呼ばせてもらうか。よろしくな、シュリ」



 にかっと笑ったロッツォが右手を差し出してきたので、その手を握って握手する。

 彼はそのままシュリの頭をがしがし撫で、



 「いい子だな、シュリ。今後は非公式の時は俺の事をロッツォおじさま、って呼んでいいからな」



 そんなことを言い出した。

 血縁関係もない上司を、おじさま呼ばわりしていいんだろうか、と思いはしたが、当の騎士団長は期待に満ちたきらきらした目でこちらを見ている。

 シュリはちょっと困った顔で目の前の騎士団長の顔を見上げた。



 「ロッツォおじさま、だ。ほら、呼んでみろ」


 「ロッツォおじさま?」



 呼ばなきゃ終わらない雰囲気だったので、シュリは言われるままに騎士団長をおじさまと呼ぶ。



 「くっ。すごい破壊力だな。そういう趣味はないはずだが、かなりときめいたぜ」


 「……騎士団長。職権乱用もいい加減にした方がいいのでは? ルバーノの形相がものすごいことになっています」


 「うおっ!? 確かにやべぇな。すまんな、シュリ。おじさま呼びはやっぱりなしだ。俺の理性が削られるし、ルバーノがやべぇ」


 「はあ。じゃあ、ロッツォ騎士団長、と呼ばせていただきます」


 「おう、そうしてくれ。ってわけだから、ルバーノも顔を戻せ。お前のシュリにちょっかいかけるのはやめるから。な?」


 「戻すもなにも、私の顔は普通です」


 「いや、正直ヤバかった」



 確かに、と心の中で同意しつつ、シュリは賢く口をつぐむ。

 鬼の形相とはきっとさっきのアリスのような顔の事を言うに違いない。



 「とにかく、シュリはロットフィールドの第1師団所属だ。正式な配属と同僚との顔合わせは1週間後。それまでにお前の制服も出来上がるはずだ。今日はご苦労だったな。もう帰っていいぞ」



 騎士団長の言葉に、正直ほっとしつつ、シュリは姿勢を正した。



 「はい。今日はお騒がせしました、騎士団長。これからよろしくお願いします」


 「おう。こっちこそな。まあ、今日の騒ぎの原因のほとんどはルバーノだからシュリは気にしなくていいぞ。ルバーノの押しに押し切られて同席させた俺がバカだった」


 「……すみません。お世話をおかけします」


 「いいんだ。あれでも普段は優秀な騎士なんだ。ちょっと我が道をいくところはあるが、正義感は人一倍だし、部下想いだしな」


 「騎士団長」


 「なんだ? ルバーノ。ほめ言葉に対する礼でも言いたいのか?」


 「いえ。シュリにキラキラした目で見てもらえるように、もっとほめてください」


 「もういい。黙ってろ。お前がそんなだから、シュリの第3師団入りは流れたんだぞ?」


 「え!?」


 「シュリが関わるとお前はポンコツになる、というたれ込みがあったが、事実だったな。お前を尊敬する第3師団の連中にそんなポンコツぶりを見せられるかよ。士気に関わる」


 「たれ込み……」


 「おう、匿名のな」



 そういうことをするのは、たぶん、きっと、リュミス辺りだろうなぁ、シュリは内心そう思いつつも、賢く口を閉じる。

 女同士の争いに無闇に口を挟まない。それが安全に生きる道なのである。

 シュリは少しだけ遠い目をし、それから気を取り直して1週間後には自分の上官になる騎士を見上げた。



 「ユリウス師団長、今日はありがとうございました。これからよろしくお願いします」


 「こちらこそ。今日は来た甲斐があった。シュリにも会えたし、おもしろいルバーノを観察することができたしな。興味深く楽しい時間を過ごさせてもらった。1週間後、君が正式に我が第1師団に配属される日を楽しみにしている」


 「僕も、ユリウス師団長の元で色々学ぶのを、楽しみにしています」



 ユリウスと言葉を交わし、それからもう一度騎士団長に頭を下げてから、礼儀正しく部屋を出ていこうとした……のだが。

 後ろから服の裾を引かれ、それ以上前に進めなくて渋々振り返る。

 そこには案の定、ちょっぴり不満顔のアリスがいて。



 「シュリ」


 「な、なに?」


 「ちゃんと別れの挨拶が出来て偉かったな!」


 「あ、うん。ありがとう?」


 「私への別れの挨拶はちゅーでいいぞ!!」


 「……それは、おうちに帰ってからね?」



 にゅっと突き出された唇を半眼で見つめ、その背後に今にも吹き出しそうな顔の騎士団長と、おもしろそうにこちらを眺めるユリウス師団長を見ながら、シュリは思った。

 色々台無しだよ、と。


 キスのおねだりを保留されたアリスは大層不満だったらしく、その夜の彼女のキスはしつこくねちっこく、非常に濃厚なものとなる。

 今のシュリには知る由もないことだが。

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