第472話 王都のとっても大変な一日②

 「む?」



 お菓子を口いっぱいに頬張ったイルルが、不意に顔を上げて小さな声を上げた。



 「これは、もしや、サフィラのブレスの波動じゃな? しかも近い。この距離感、どう考えても、この王都の中じゃぞ? なにを考えておるのじゃ。こんな街中でブレスを放ったらどうなるか、分からぬほどアホウじゃあるまいに」



 イルルは眉をひそめ、そんな言葉をもらす。



 「むむっっ!!」



 そして更に声を上げた。



 「ま、まずいのじゃ!! サフィラの側にシュリがおるではないか!! サフィラの本気のブレスを浴びたら、いくらシュリとてカチンコチンじゃぞ!?」



 そう言うないなや、イルルは超高速で飛び出していった。

 屋敷の屋根を豪快にぶち壊して。

 ぽかんと口をあけたポチとタマをその場に残して。

 それからほとんど間を空けず、部屋の扉が開かれた。

 焦った表情のジュディスの手によって。



 「大変です、イルル。今、ナーザがあなたの知り合いの龍がシュリ様を拉致したとの情報を、持って、きて……」



 飛び込んできたジュディスは、部屋の惨状に目を軽く見開き、



 「……何事なの? これは?」



 残された2人に、そう問いかけたのだった。


◆◇◆


 迫り来る氷結のブレスを見ながら、シュリは落ち着いた気持ちでそのブレスを迎え撃とうとしていた。

 といっても、ただそのブレスを耐え抜くだけなのだが。

 だがそれを成せば、目の前の龍はシュリをイルルの主として認めてくれる、そんな気がしていた。

 きちんと確認したわけでは、無かったけれど。



 (よし。このブレス、耐え抜くぞ!!)



 そんな気合いとともに、シュリは口を開こうとした。[絶対防御]と発動のワードを口にするために。

 が、それよりも早く。



 「さ、せ、る、か、あ、ぁ、ぁ、ぁ。なのじゃあぁぁぁぁ」



 シュリと蒼の龍の間に入り込んできた人影があった。

 その人物は、すべてを凍らせる威力を持つそのブレスを完璧に防ぎ、そして弾き飛ばした。



 「ふんっ。この程度の威力でシュリを傷つけようとは。片腹痛いとはことのこなのじゃ」



 胸を張り、大きな2つの膨らみをふるるん、と震わせたのは、紅い髪に黄金の瞳の、妙齢の美女。

 獣っ娘ではなく、彼女自身がもつ人型になったイルルだった。



 「ルージュ。久しぶりですね。元気そうで何よりです」


 「ぬしも元気そうじゃのう、サフィラ。ぺったんこ胸のくせに妾の男を誘惑しようとはいい度胸なのじゃ」



 元気そうなイルルの姿に、巨大な龍がほっと目を柔らかく細めたように見えたのは、シュリの気のせいじゃ無かったと思う。

 それほどにシャナは、イルルという友人のことを気にかけていたということなのだろう。

 でもその優しい気持ちも、空気を読まないイルルの発言によって無に帰した。

 シュリは確かに聞いた。

 ぴきっ、と空気が凍りつく音を。



 「……龍の姿で胸もなにもないと思いますが? それに、それは単なるムダな脂肪です。必要は感じません」


 「負け惜しみじゃな!! 男はのう、お主のいうムダな脂肪の塊が大好きなのじゃ。妾のシュリだって、これにメロメロじゃぞ。ま、お主みたいなぺったんこ女じゃ一生分からぬ事なのじゃ」



 シュリは思う。

 イルルだっていつもはぺったんこだし、イルルの胸にメロメロになった事なんてない、と。

 まあ、大きな胸は嫌いじゃないけれど。

 かといって、小さな胸だってダメじゃないと思うのだ。小さいのは小さいなりにいいもの、なのである。

 そう思いはしたものの、その持論を展開出来る空気でもなく。



 「さっきから、ぺったんこぺったんこ、と……。私はただスレンダーなだけです。そういう女性を好きな男性だっているんです。現に、さっき、シュリは私のことを好きだと言ってくれました」


 「なぬぅっ!? そ、そうなのか?」



 すごい勢いでイルルに振り向かれたが、どう答えるべきか、ほんのちょっぴり悩む。

 好きと言ったのは事実。

 でも、恋愛的な好きではなく、親愛的な好きという意味だったし、たぶんそれはシャナも分かっているはず。

 ただ、イルルにぺったんこと言われたのが悔しくて、思わず言っちゃっただけだと思うのだ。

 そんな彼女の心情を考えると、頭から否定してしまうのもためらわれた。


 そんなシュリの様子になにを感じたのか、イルルはむくぅ~っとほっぺたを膨らませて、シュリの体をもぎゅっと抱き上げた。

 己の胸をぎゅむぎゅむ押しつけるようにして。

 そして宣言する。



 「じゃがじゃが、シュリは妾の、なのじゃ!! たとえお主とて譲る気はないのじゃ!!」


 「だれがその子供を欲しいと言いましたか!? 私はただ、あなたを迎えに来ただけです。あなたの民も、あなたを心配していましたよ?」


 「どーせ、妾がいなくとも、しばらく気がつきもせんくらいの心配じゃろ。奴らに妾の存在など、必要ないのじゃ」


 「そ、そんなことは……ないんじゃないですか?」


 「その間がすべてを物語っておるわぁぁ!! それに、もう妾はシュリのイルルなのじゃ。妾の全てはシュリの為にあり、シュリの為だけに生きる、とそう決めたのじゃ。奴らは、さっさと妾の後釜でも決めればいいのじゃ。そのことに文句など言わぬ」


 「……そう簡単に、上位古龍ハイエンシェントドラゴンと呼べるべき存在が現れる訳がないでしょう? 力ある若き者も育ってはおりますが、それでも彼らがあなたや私に至れるほどの者かもまだ分かりません。もし、そうなれたとしても、それはまだ数百年は先のこと。あなたも分かっているはずですよ、ルージュ」


 「それこそ、妾の知ったことではないわ。上位古龍ハイエンシェントドラゴンなんぞおらんでも、龍の里の生活に変わりなどありはせん。現に、上位古龍ハイエンシェントドラゴンを上に頂く集落の方が少ないじゃろーが。クロは己の集落に近付きもせんしな。とにかく、妾はもう前の妾ではないし、シュリ以外の為に生きたいとも思わん。奴らには、イルルヤンルージュなんぞという龍はどこぞでのたれ死んだとでも言っておけばよかろ。お主も、妾のことなんぞ忘れて……」


 「……許しませんよ、ルージュ。あなたはその子供に騙されているのです。そうじゃなくとも、人の子など、私達が瞬きをするだけの間に死んでいってしまう。結局置き去りにされるのはあなたです」



 そんなつらい思いをさせたくない。シャナクサフィラの目はそう語っていた。

 イルルにだって、そんな彼女の気持ちは伝わったはずだ。

 でも。



 「わかっておるわ、そんなこと。だが、それでも。妾はもう、シュリの側を離れられぬ。シュリと離れて生きるのは、五感を失って生きるのと同じ事。そんな生活が、妾に耐えられるとも思わぬ。そりゃあ、もちろん、シュリが寿命を迎えた後は、否応無くそうなる。じゃが、それまでの短い時間を、妾は味わい尽くす。そして、シュリが最後の息を吐き出すその瞬間まで共にいたその後は、シュリの墓でも守りながら、それまでに沢山ため込んだ思い出と共に余生を送る。妾はそう、心を定めておる」



 今まで聞いたことの無かったイルルの真摯な思いが、シュリの胸をじん、と暖かくした。

 どうにかこうにか大人イルルの胸の谷間から抜け出したシュリは、イルルの頭をそっと撫でて微笑む。



 「イルル、ありがとう。僕、頑張って長生きするからね。最後はしわくちゃのおじいちゃんになっちゃうと思うけど……」


 「しわくちゃのじじいでも、シュリはきっと可愛いのじゃ。そんなシュリも、きっと愛おしい。妾には分かっておる」


 「イルル……」


 「シュリ……」



 イルルの変わらぬ愛を誓う言葉に、さらに胸を熱くするシュリ。

 見つめ合う2人。

 非常にいい雰囲気だった。

 しかし。



 「私を放置してなにいい雰囲気を出しているんですか!? 放置しないで下さい!!」


 「あ、ごめん」


 「まったく、独り身女の僻みは醜いのじゃぞ、サフィラ。それじゃからおっぱいも育たぬのじゃ」


 「おっぱいは関係ないでしょう!?」


 「関係ないわけあるか。どんな話をしていようとも、お主がちっぱいなことに変わりは無かろうが」



 ふふん、とからかうように笑い、イルルはこれ見よがしに胸を張る。

 ふるるん、と揺れる立派なお胸は、持たざる者であるシャナの目にはさぞ苛立たしく映ったことだろう。



 「ふ、ふふふ」



 シャナが笑う。

 あんまり良くない感じの笑いだ。



 「そうですか。ルージュはよほど私と喧嘩をしたいみたいですね。いいでしょう。私のブレスでカチコチに凍らせてあげます。そのご立派な胸も。大丈夫。あなたなら死にはしませんよ。たぶん」



 目が、座っていた。

 次いで飛んできたのは結構本気のブレスだ。



 「ぬおぅっ。お主、本気で妾をコチコチにするつもりじゃな!? お、落ち着くのじゃ!! おっぱいの僻みは醜いのじゃぞ!?」



 飛んでくるブレスをぺちーんと弾きながら、イルルがちょっと慌てた様子でシャナを落ち着かせようとするが、言葉選びが壊滅的に悪い。

 神経を逆なでするだけのイルルの言葉に、本気のブレスが立て続けに飛んできた。

 といっても、連射出来る程度の本気だが。


 イルルとしては、その程度のブレスであれば人の姿でも余裕で捌けるようで、ぺちぺちと左右に弾き飛ばしていたが、ギブアップの声はイルルではなく、他から上がってきた。

 周囲を守る壁役を務めている、5人の上位精霊達から。

 『しゅ、しゅり』


 『ん? どうしたの? アリア』


 『ブ、ブレスが飛んでくる頻度、ちょっと多すぎじゃありませんの?』


 『あ、ごめん。イルルが相手の龍を挑発して怒らせちゃったみたいで』


 『イ、イルル……安定の駄龍っぷりですわね』


 『状況は理解した。しかし、このままではまずいぞ。ついさっき、立て続けのブレスにイグニスが目を回してしまってな』


 『あの子は火属性ですから、氷のブレスとは相性が良くありませんの。そのフォローにサクラが動いてますが、この調子でブレスが飛んできていたら、またどこかが崩れてもおかしくないですわ』


 『そ、それはまずいね!? わ、分かった。なんとかするから、もうちょっと頑張って!!』


 『お願いしますわ』


 『シュリ、頼んだぞ』



 アリアとグランからの連絡に、シュリは少々慌ててイルルに声をかけた。

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