第379話 アガサのお騒がせ1人旅①

 リリシュエーラを高等魔術学院まで送り、その帰りにシュリは1人寄り道を試みた。

 行き先はなじみのお宿[キャット・テイル]。

 ジュディスに許可を得ているし、夕食はいらないと伝えて来たので、帰ってきたよ、の挨拶をしながらサギリの作るご飯を食べて帰るつもりだった。



 (ナーザもジャズもサギリも元気かなぁ。新しい従業員がほしいっていってたけど、もう雇ったのかな)



 そんなことを考えながら扉を開けた。

 すると。



 「ようこそ。美女のおもてなしの宿[キャット・テイル]へ。宿泊ですか? お食事ですか?」



 凛とした声がシュリを出迎えてくれた。

 初めて聞く声で、初めて見る顔、である。



 (新しい従業員の人、かな?)



 そんなことを思いながら、見上げたその人の顔をまじまじと見つめる。

 その人の姿を一言で表すなら、あお。

 アイスブルーの髪と瞳の、驚くほどに美しいその人はにこりともせずにシュリを見下ろしていた。



 「……両親はどこですか?」


 「え??」


 「保護者はいないのですか?」


 「あ、うん。1人だよ。あの、ナーザとジャズに会いに来たんだけど、いるかな?」


 「彼女達の知り合いですか。なら、2人は今、食堂で給仕を手伝ってます」


 「わかった。あの……」


 「なにか?」


 「ありがとう」


 「……いえ。これが私の仕事です」



 にっこり笑ってお礼の言葉を伝えると、蒼い人の瞳が笑顔に吸い寄せられたかのようにこちらを見つめてくる。

 でもすぐに、そんな感情の動きを振り払うように首を振った彼女は、冷静な顔を崩さずに、



 「礼儀正しいですね」



 そう続けた。



 「そうかな? 普通だと思うけど?」


 「そうでしょうか? あなたくらいの子供には珍しいように思いますが」


 「僕くらい、って。僕、こう見えてもう7歳なんだよ?」


 「……思ったより年は上でしたが、それでも我らからすれば十分子供です」


 「いくつくらいに見えた? ってきくのは僕の精神衛生上良くないから聞くのはやめておく事にする。おねーさんは新しい従業員?」


 「ええ、そうです。この街ですませる用事があったのですが、思ったより時間がかかりそうで。その間の生活資金が少々心許なくなりまして。仕事を探していたらナーザに声をかけられたのです。そしてそのまま半ば強引にここへ連れてこられて今に至ります」


 「そっかぁ。ナーザは強引だからねぇ。大丈夫? 困ってない??」


 「困ってはいません。住居がないと伝えたら、この宿に住み込みで雇い入れてくれて、空き部屋を貸してくれました。それにどうせ数週間は身動きが出来ませんから。仕事も、受付業務なので、私はここに座って客の案内をすればいいだけなので、それほど難しくありません。食事も、アズサが用意してくれますから、外で食べる必要がなくて非常に助かります。まあ、量が足りない分は個人購入しますが、それでもかなり節約できますから」


 「そう? ならいいんだけど。じゃあ、僕、そろそろ行くね。お仕事、がんばってね」



 微笑み、手を振って食堂へと向かう。

 遠ざかる小さな背中をついつい目で追いかけている己に気づいた蒼い人……いにしえの氷龍・シャナクサフィラは己の行為に驚いたように目を見張り、それから何事もなかったかのようにその目線を正面に戻した。



 (可愛らしい子供でしたが、この私がただの人の子に目を奪われるとは。末恐ろしい少年ですね)



 だが、確かに美しい子供だった。

 悠久の時を生きる上位古龍ハイエンシェントドラゴンである自分が目を奪われても仕方がないと思えるくらいには。



 (美しいといえばエルフですが、あの子供は人族のように見えました。エルフの血でも混じっているのでしょうか。といっても、エルフもダークエルフも何人も見たことがありますが、特に気になったことはありませんでしたね。ということは、あの子供には美しい以外の何かがある、という事なのでしょうか。とにかく、こんな風に胸がざわざわする感覚は初めてです)



 深く深く思考の海に沈みながらも、表面上は通常運転で客をさばく。

 教えられた文言を、一言一句間違えることなく。

 訪れた客は皆、サフィラのクールな美貌に見ほれ、彼女が上の空で応対している事になど気づくことなく、彼女の指示通りに上手にさばかれていった。

 そうしているうちに宿の部屋は全て埋まり、彼女の形のいい唇から出る言葉は丁寧なお断り文句に変わる。


 だが、宿泊を断られても彼女に文句を言う者はなく、みんな彼女の美貌にぽーっとしたまま宿を後にしていく。

 彼女を受付に配置したナーザの、高貴で人離れした美貌の彼女は最高の人寄せであり、その近寄りがたさも美しさも、人々の文句をふせぐ役に立つに違いない、という思惑通りに。


◆◇◆


 時間は夕食時。今日も、[キャット・テイル]の食堂はにぎわっていた。

 そのにぎわいを、シュリは申し訳なさそうに見回す。

 出直した方がいいかなぁ、と思いつつ。

 だが、シュリがこっそり食堂を後にするよりも早く、



 「「シュリ!!」」



 忙しく給仕をしていたジャズとナーザがシュリを見つけていた。



 「シュリ、お帰り~。アガサさんとのお仕事、もう終わったんだね」


 「シュリ、思ったより早かったな。アガサに変なことされてないか? あの女は油断も隙もないからな。心配だから後で私がちゃんと確かめてやる」



 ジャズがにこにこしながら、ナーザが目をぎらぎらさせながらシュリに駆け寄り、食堂内の2人目当てであろう男性陣の視線が突き刺さる。

 なんだよ、あのガキ……と言わんばかりに。 

 殺気だったその視線に、長居しない方が良さそうだと首をすくめたシュリは、



 「う、うん。無事に帰ってきたよ。今日はその報告だけしようかな~って思って。じゃ、僕、帰るね!!」



 さっさとその場を去ろうとした。だが、それが許されるはずもなく。

 逃げだそうとしたシュリの手を、ナーザががっしりと捕まえる。



 「ん? なんでもう帰ろうとしてるんだ? 色々と確かめたいことがあるんだから、まだ帰さないぞ??」


 「えっと、でも、ほら、お客さんがいっぱいだし、2人とも忙しそうだし」


 「気にするな。ほら、ここに座ってろ。ジャズも私も、すぐに仕事を終わらせて帰ってくるから」



 シュリの反論などものともせずに、ナーザはシュリを無理矢理空いている席に座らせた。

 シュリは困った顔で2人を見上げたが、ジャズも母親の意見に同意するようにこくこく頷いている。

 仕方ないと諦め、いすに背を預けるシュリを確かめてから、ジャズとナーザは気合い満点に店内の客を見回した。



 「よし、さっさと客をさばいて仕事を終わらせるぞ!!」


 「うん! サギリさんにも料理の提供スピードのアップをお願いしてくるよ!!」



 そうして2人は、まるで戦場に向かう戦士のように食堂を埋め尽くす客の中へと飛び込んでいった。

 しかし、気合いを入れたからと言って客がすぐにいなくなるわけもなく。

 忙しく動き回る2人をただ座ってみている事が申し訳なくなってきたシュリは、よし、と気合いを入れて立ち上がった。

 帰ることは許されないだろうけど、手伝うことなら許されるだろう、と。


 幸い、前世では学生の頃、カフェでバイトしたことがある。

 受験勉強のために辞めるとき、瑞希君がいると女性客8割増しだから辞めないでぇっ、と店長に泣きつかれた事も、今ではいい思い出だ。

 そんなわけで、接客経験はそれなりにある。

 ずいぶん久しぶりだが、なんとかなるだろう。


 そう己を鼓舞し、戦場の中へ飛び込んだ。

 周囲を見回し、まずは自分が必要そうな場所を探す。

 すると、店の端の方で、



 「おーい、注文早くしろ!!」



 ちょっといらついたご様子で大声を上げるごついお客さんが1人。



 「るさい!! すぐ行くから大人しく座ってろ!!」



 答えるのはイライラマックスのナーザだ。

 イライラするのは分かるけど、その接客はどうかと思うよ? とつっこみたくなるのを堪えて、まずはそのお客さんの方へ足を向ける。



 「ちょ、お母さん!! す、すみません!! すぐに伺いますから少々お待ちください!!」



 ナーザの暴言に、ジャスがあわててフォローを入れる。



 (ナイスフォローだよ、ジャズ!!)



 心の中で賛辞を贈りつつ、シュリは苛立つ客の前に立った。



 「いらっしゃいませ! ご注文をお聞きします」



 とっておきの笑顔でにこっと笑ってみせれば、



 「ああん!? ……うっ!!」



 額に青筋を立ててシュリの方を見たがたいのいいおにーさんは、にこにこするシュリを見た瞬間、己の胸をぎゅっとつかんで呻く。

 そして毒気を抜かれた顔でまじまじとシュリを見つめ、それからぽっと頬を染めた。

 その様子に背筋をぞわっとさせたシュリは、



 (ちょ、ちょっと笑顔が効き過ぎた、かなぁ)



 と、少しだけ反省する。

 だが、笑顔は接客の基本だから、そこを省くわけにもいかないしなぁ、と生真面目に考えつつ、ほんのり笑顔成分を抑え気味に、



 「えっと、ご注文をお聞きします、けど?」



 再度同じ質問をぶつけた。



 「お、ああ。注文、注文な。特製シチューとパン、それから酒を頼むよ、嬢ちゃん」


 「かしこまりました! でも僕、嬢ちゃんじゃないです。男の子ですから!」



 女の子と間違えられた事に唇を尖らせ、一応修正の言葉を入れておく。



 「お、男!? こんな可愛いのに!! 男なのかぁ。……俺、男もイケたのかもしれない」



 ブツブツ言うその客にさっさと背を向け、受けた注文を伝えに厨房の方へ。

 その途中、数人の客の注文を受け、[俺、男もイケたかも]人口を増加させてしまったシュリは、これ以上の接客は諦める事にした。



 (接客はだめだ!! 妙な趣味に目覚める男の人を量産しちゃう。しかたないから表はナーザとジャズに任せて、僕は裏を手伝おう)



 そう思った瞬間、



 「すみませぇ~ん」



 そんな野太い声に呼び止められた。

 ナーザとジャズに代わりに行ってもらおうとしたのだが、2人とも手が離せそうもなく、シュリは仕方なくその客に向かい合う。



 「お忙しいところごめんなさいねぇ。お会計お願いできるかしらぁ? あらぁ??」


 「お会計、ですか? すぐに計算してきますので少々お待ちくだ……」


 「シュリ、きゅん? シュリきゅんよね!!」


 「はい?」



 名前を呼ばれ、シュリはその客を見上げた。

 お化粧ばっちりのそのレディ(?)は大層男らしい体型の持ち主だったが、その服装は乙女そのもの。


 その姿をなんと表現すべきか。

 服がはちきれそうな胸元はむっちりしていて魅惑的だが、それはどう見ても明らかに大胸筋で、乙女と呼ぶには漢らしすぎる。

 乙女、というよりはむしろ、漢女おとめと表するほうがなんかしっくり来る感じ。


 どこかで見たことがあるような、初めて見るようなその顔を、シュリはまじまじと見つめた。

 そんなシュリの視線に、その漢女はくねくねもじもじしながら、



 「いやん。恥ずかしいからそんなに見ないで」



 非常に女性らしく恥じらってみせる。

 その声が少々野太いのは、そののどに立派な喉仏があるせいだろう。

 でも、見ないでと言われても、見ないことには目の前の相手が誰か判別出来ない。

 しかし、しばらく見ていてもどうしても相手が誰だか分からなかったので、シュリは諦めて尋ねることにした。



 「え~っと、どちら様でしょうか? 僕のこと、知ってるんですよね? どこかで会ったこと、ありました??」



 正直、一度でも会っていたら忘れられないインパクトの持ち主だと思うのだが、思い出せないのだから仕方ない。



 「あらん。分からない? でも、そぉねぇ。ずいぶん変わっちゃったものねぇ、アタシ」



 ということは、以前の姿は今と全く違う感じだったってことか、と思いながら更にじっと見つめる。

 でも、どうしても目の前の漢女がどこの誰だか、どうしても思いつかなかった。



 「どうしてもわからない?」


 「えっと……はい。すみません」


 「やぁねぇ。いいのよ。謝らないで。謝らなきゃイケないのはむしろアタシの方なのに」


 「それは、どういう??」


 「あの頃のアタシはヤンチャないけない子だったから、サシャちゃんにもシュリきゅんにも迷惑をかけちゃったわ。いつか、ちゃんと謝りに行かなきゃって思ってたけど、なかなか勇気が出なくて。でも、こうして思いがけずあえて良かったわ。あの時は本当にごめんなさいね?」


 「あの、とき??」


 「サシャちゃんにも、あえたら心からお詫びを伝えるつもりよ。よかったら、一度サシャちゃんと2人でお店に来てちょうだい。[乙女のドリームショップ]ってお店よ」


 「乙女の、どりーむしょっぷ……」


 「ええ。シュリきゅんが来てくれたら、アグネスお姉さまも喜ぶわぁ。これ、お釣りはとっておいてね」



 言いながらシュリの手に明らかに多めの代金を握らせて、ばちこんっと迫力満点のウィンクをぶちかまし。

 彼女は呆然とするシュリをその場に残し、出て行こうとした。

 だが、その背中がドアの向こうに消える前に正気を取り戻したシュリは、慌てて彼女(?)の大きな背中に声をかける。



 「あのっ、お名前は?」


 「バーニィよ。バーニィちゃんって呼んでちょーだい。以前の名前は……バッシュ」


 「バッシュ……。って、バッシュ先生!?」


 「ふふ。シュリきゅんにそう呼ばれるのも懐かしいわね。積もる話はあるけど、ここではよしましょう? お店で、まってるわん」



 あまりの衝撃に、口をあんぐりあけて固まるシュリを置き去りに、バッシュ改めバーニィは、腰をくいくい捻るように歩きながら色っぽく(?)歩み去った。

 シュリはそれからしばらく、その大きな背中が消えた扉を呆然と見つめ、店内に急増したシュリファンが、



 ((((注文した料理が来ない。これが放置プレイか)))



 そう思ったとか思わないとか。

 とにかく、予想し得なかった衝撃からシュリが立ち直るまで、相当な時間を要したことだけは確かだった。


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