第377話 [月の乙女]の嫁入り騒動①
「ふぅん。アガサ学園長とは別々に帰ってきたのね。じゃあ、高等魔術学園はもうしばらくの間は学園長不在、という事ね」
「うん。アガサはもうちょっと休暇を楽しみたいんだってさ。商都とか、旅の途中で通る場所とか、色々観光しながら帰ってくるって言ってたよ」
「そ。ま、いいんじゃない? 学園長がいなくても学園は問題なく動いてるし」
「ま、そうだよねぇ」
王都のルバーノ邸の中庭で、のんびりシュリとそんな言葉を交わすのは、高等魔術学園の1年生に編入したばかりのリリシュエーラ。
彼女はシュリの自分の膝に乗っけてぎゅうぎゅう抱きしめたまま、メイドが入れてくれた紅茶を楽しんでいる。
学園長であるアガサの口添えで、学年の途中から入学したリリシュエーラは、同級生に追いつくための勉強が忙しいはずなのだが、シュリが帰ってきたという情報をどこからともなく仕入れて屋敷に遊びに来たのだ。
リリシュエーラと同様、同じ学校へ通うフィリアとリメラも同じ情報を得たらしいのだが、卒業が近い学年の彼女達はとにかく学業が忙しく、リリシュエーラのように暇を見つける事が出来なかったらしい。
「あのフィリアが、後輩のくせにずるい、って。ちょっと涙目だったわね、彼女。リメラもぷんぷんしてたし。上手いこと理由を付けて、ちょっとくらいサボっちゃったっていいと思うけどねぇ?」
2人とも真面目よねぇ、と感心したように言うリリシュエーラに、
「あの2人が入った研究室の先生は優秀だけどちょっと変わってて、大変らしいんだ。休みを申請しても、中々もらえないんだって」
苦笑混じりにシュリが返す。
フィリアやリメラとすっかり仲良くなったらしいリリシュエーラの様子を微笑ましく思いながら。
「ふぅん。私、絶対2人のいる研究室には入らないようにするわ。いくら優秀な先生の元で勉強できるとしても、シュリと会う時間を削られるのはいやだもの」
そう言いきるリリシュエーラは知らない。
学園長の特別推薦で編入したリリシュエーラはエルフの精霊使い、という売り文句も相まって教師達の注目の的であり、件の先生ももちろん彼女に目を付けている、という事実を。
とはいえ、まだ1年生のリリシュエーラが順調に学年を重ねて研究室を選ぶようになるまでには、まだ数年の時が必要だろうけれど。
「今度、フィリアとリメラにも会いに行ってあげなさいよ、シュリ。もちろん私にも。シュリが会いに来てくれるなら、いつだって大歓迎よ。最近、王立学院の生徒がちょいちょい授業に参加してくるし、シュリもそろそろ高等魔術学園の授業を受けに来てもいいんじゃない?」
「そうだね。入学してからずっと、なんだか色々バタバタしてて他の学校へ行ってる余裕が無かったけど、そろそろ行けるかなぁ。高等魔術学園もだけど、冒険者養成学校にも行かなきゃだし」
「確か、そっちにも知り合いがいるのよね?」
「うん。僕のおばー様の昔の冒険者仲間の娘さんがね? ほら、この間ジェス達とご飯を食べた宿のさ」
「あ~、あそこね。確か従業員は3人くらいだったわよね?」
「うん。ウサギ耳の人が雇われてる料理人の人で、猫耳の人がおばー様の冒険者仲間のナーザでしょ。んで、丸っこい獣耳の背の高い女の子がナーザの娘のジャズ。真面目で優しいいい子だよ」
「ふぅん。で、3人ともシュリに惚れてる、と」
「……そんなんじゃないよ、って言いたいけど、嘘はよくないよね」
がっくり肩を落とすシュリを、リリシュエーラは面白そうに見つめる。
「ほんと、シュリって真面目よね。私達エルフの社会では一夫一妻が基本だけど、人の社会では重婚も認められてるんでしょう?」
「う~ん。まあ、そうなんだけどさ。っていうか、ずっと隠れ里に暮らしてたのに詳しいね?」
「エルジャの授業で習ったのよ。人間の結婚制度についてとか、異種族間の結婚についてとか。それに、王都に来るまでに色んなタイプの男も見たし。お金のない庶民は奥さんが1人の人も多いみたいだけど、羽振りのいい冒険者とか貴族とかは、見せびらかすみたいに女の子を連れ歩いてるのもいたわね。私も旅の間何度か声をかけられたし。俺の女の1人にならないか、とか。ま、即座に叩きのめしてお断りしたけど。私にはシュリがいるのに、ついて行く訳ないじゃない。ねえ?」
「う、うん。ソウダネ?」
「そんなとるに足らないような男でも、堂々と複数の女の子とおつき合いしてるんだもの。シュリだって、シュリを好きだっていう女の子を全部恋人にしたっていいと思うわ。そうしたって、誰も文句は言わないわよ」
「う、う~ん。そ、そうかなぁ」
リリシュエーラの主張に、シュリは困ったように笑う。
彼女は遠回しに、自分をシュリの恋人として認めてほしい、とそう言っているのだ。
たくさんの中の1人でもいいから、と。
でも、1人を認めたら、我も我もと群がってくるであろう人の顔が、両手の指でも足りないくらいに思い浮かぶので、それはまだ避けたいというのがシュリの正直な気持ちだった。
この先、いつかは覚悟を決めなければならないとしても。
「そうよ! 王様ともなれば、たくさんの美女を集めてハーレムを作ってる人もいるのよ? まあ、この国の王様は違うみたいだけど」
リリシュエーラの言葉に、シュリはとっても可愛いけど、シュリには非常に辛口対応な、この国のお姫様の顔を思い出した。
確かに彼女のお父さんとお母さん……つまりこの国の王様とお后様はとっても仲が良くて、王様はハーレムはもちろん側室もお持ちでない。
そんなお父さんとお母さんを見て育ったフィフィアーナ姫にとって、色んな女の人を手玉にとっている(ように見える)シュリは、許せない存在なのかもしれない、そんなことを思ってシュリはちょっとだけしょんぼりする。
初対面から毛嫌いされていたシュリなのだが、シュリの方はフィフィアーナ姫が最初からなぜかとっても好きだったから。
(姫様は、僕のことを不潔だって思ってるんだろうなぁ)
まったく見当違いのことを思い、小さくため息。
フィフィアーナ姫は、なにもシュリが女にだらしなくて不潔だと嫌っている訳ではない。
ただ単に、大好きな護衛騎士アンジェリカがシュリにメロメロなのでヤキモチを焼いているだけ、なのである。
もちろんシュリも、フィフィアーナがアンジェリカになついており、自分がヤキモチを焼かれていることも気づいていたが、まさかそれだけが原因で自分が毛嫌いされているなどとは夢にも思っていなかった。
「ハーレム……ハーレムね。もういっそ、ハーレムの一員でもいいわ。それでシュリのものになれるのなら。ねえ、シュリ。ハーレムを作るつもりはない? シュリを好きな女の子を集めて」
ひっそり考え込んでいたシュリの様子にも気づかず、リリシュエーラは妄想を膨らませていたらしい。
彼女発案のなんともいえない提案に、シュリは苦笑しながら、
「やだなぁ。作らないよ、ハーレムなんて」
きっぱりと否定の言葉を返した。
それを半ば予想していたリリシュエーラはそれほどがっかりした様子も見せずに、
「ま、そうよね。シュリならそう答えると思ってたわ」
そう言って頷く。ならどうして聞く!? と思わないでもないが、シュリは賢く沈黙を選び、黙って微笑んだ。
「でも、シュリのことを好きな女の子が多いのは事実よね。振ってすむことなら早めに振ってあげればいいと思うけど、振ってもどうにもならない相手もいると思うわよ? もちろん、私も含めて。まあ、シュリが成人するまでは、なるべく我慢するつもりではいるけど」
「ありがと、リリ。僕もさ、どうしたらいいかってことは、考えてはいるんだ。成人の年を迎えるまでには、きちんと答えと対応策を見つけるから。それは約束する」
「シュリがちゃんと考えてくれてるならそれでいいのよ。あなたを好きになる女の子は、私で打ち止めなんかじゃないと思うし。そう言えば、ジェスとはどうなったの?」
「どう、って?」
「キスくらいは、した?」
その質問に、思わず脳裏にジェスの顔が浮かんだ。
それと同時にフェンリーの顔も。
「あ、うん。キスはした」
隠しても仕方がないので素直に答える。
だが、答える瞬間、フェンリーの顔がちらついてちょっとだけ目が泳いでしまった。
ほんのちょっとだけ。だが、それを見逃してくれるほど、リリシュエーラは甘くは無かった。
「……ジェス以外ともキス、したのね?」
「えっと、その……うん。した」
「ふぅん? 誰かしら。学園長はお年だから違うとして……まさか、フェンリー?」
リリシュエーラはまだアガサの本当の姿を知らない。
なので、上品な老婦人の姿をしている彼女はシュリのキス相手候補から省いたようだ。
シュリは、フェンリーの名前をあげられて素直に頷いた。
まさに、頭に思い浮かんでいた相手でもあったし。
他にもあげるなら、ポチにタマにイルル、オーギュストともしてるのだが、そこまで素直に自己申告することもないだろう。
そう判断してリリシュエーラの顔を見上げると、彼女は驚いたような顔をしてシュリを見ていた。
なんだろう、と首を傾げてみせると、
「フェンリー、って、女性が好きよね? 正確に言うならジェスのことが。なのに何でシュリとキスしたの??」
そんな質問をぶつけてきた。
「あれ? リリも知ってたの?? フェンリーのこと」
「まあ、ちょっとだけだけど一緒に旅をしたしね。っていうか、あの傭兵団、女ばっかりのせいか、そっちの気のある子、多いわよね? 実際、私も何度か誘われたし」
「フェンリーに?」
「まさか。違う子よ。フェンリーは、ほら。ジェスに一筋だったから。ジェスの目に映る範囲で他の女を口説くなんて下手な手は打たないわよ」
「あ、そうだね。確かに」
「そのフェンリーがジェス以外にキスだなんて。ジェスからシュリに乗り換えたわけ? あ、もしかして、シュリのことを女の子だと思ってるとか!!」
「違うよ。フェンリーは僕が男だってちゃんと分かってるし、今でもジェスが好きだよ」
「じゃあ、なんで?」
解せない、といった顔をするリリシュエーラ。
そんな顔されてもなぁ、と苦笑しつつ、シュリは思う。
実際のところ、なんでフェンリーが僕にキスしたがるのか、よく分からないんだよなぁ、と。
シュリから見てもフェンリーのジェスへの気持ちは本物だと思うし、それは今でも変わっていない、ように見える。
じゃあ、なんで。シュリだってそう問いたい。
う~ん、とシュリは考え、
「僕にもよく分からないんだ」
結局はそう答えた。
不満そうに唇をとがらせるリリシュエーラの顔を見上げ、
「そんなに気になるなら、リリが聞き出してよ。今度フェンリーに会ったときにさ。それで僕にも教えてよ」
そう提案してみる。
「えぇ~。私がぁ?」
「ね? お願い」
渋るリリシュエーラを両手で拝むようにしてじっと見つめると、彼女はなぜか頬を赤く染め、
「し、仕方ないわねぇ。じゃあ、フェンリーに会うことがあったら聞いてみるわよ」
そんな可愛い顔されたら断れないじゃない、ぼそっと呟くそんな声が聞こえた気がした。
特にあえて可愛い表情を作ったつもりはないのだが、それでリリシュエーラがやる気になってくれたならよしとしよう。
「でも、同じ国にいるわけじゃないし、次に会うのがいつになるかなんて分からないけどね」
リリシュエーラの言うとおり、国の隔たりがある以上、再会は簡単ではないだろう。
まだ別れて数日だが、簡単には会えないその距離がちょっと寂しい。
まあ、シュリがどうしても彼女達に会いたいと思えば、イルルやオーギュストに手伝ってもらって、思っているより簡単に会いに行けそうな気もするのだけれど。
(ジェスもフェンリーも、今頃どうしているかなぁ)
シュリは、遠い空の下、元気に過ごしているであろう2人のことを思う。
2人とも、今のシュリのように、簡単には会えないこの状況を寂しく思ってくれているだろうか。
それとも、日々の忙しさにシュリのことなどすっかり忘れてしまっているのだろうか。
シュリを忘れるはずないだろう! と、ジェスが聞いていたら全力の反論がかえってきそうだが、この場に彼女はいない。
故に反論の言葉もなく。
シュリは脳裏にジェスとフェンリーの姿を思い描きながら、彼女達との時間を懐かしむように、柔らかく目を細めるのだった。
◆◇◆
「え? 引っ越し??」
「ああ。[月の乙女]はドリスティアの王都に拠点を移すぞ」
「えっと、うちら、ついさっきそのドリスティアから商都に帰り着いたところなんすけど……」
団長、副団長ともに別行動だった為、ドリスティアからの帰還の指揮を任されていた団員・ケイニーは、所属する傭兵団[月の乙女]団長・ジェスの発言を受け、困惑のまなざしを向けた。
「急な話ですまないとは思う。だが、どうしてもドリスティアに拠点を移さねばならない理由が出来たんだ」
申し訳なさそうにジェスが言葉を重ねる。
それを見たケイニーははっとひらめいた。
「も、もしかして、政治上層部からの不興をかった、とかっすか? 確か、団長達が先行して戻ったのって、政治がらみでしたよね? ディリアン様が連絡を取った要人を護衛するとかなんとか。その任務に失敗した、とかっすか?」
「いや。依頼は上手くいったし、国家主席からお褒めの言葉も頂いたぞ。今回の拠点移動は、ここにいられなくなったから移動する、とかそういうんじゃないんだ」
「え~っと、じゃあ、どういう……?」
「すまない。全ては私のわがままだ。もし商都にとどまりたい者がいるなら、それも仕方ないと思っている。私とフェンリーがドリスティアに行くのはもう決めた事だが、それ以外の者の行動を強制するつもりはない。だからまずは隊長同士で話し合ってもらえるか? それからそれぞれの部下に説明をして、決をとってほしい。共に行く人数と残る人数が決まったら私かフェンリーに報告してくれ」
「あ~……ハイ。了解っす」
もっと詳しく聞きたいところだが、ジェスは話は終わったとばかりに手元の書類に目を落としてしまった。
拠点を移す事で、色々な事務処理があるのだろう。
忙しそうな団長にそれ以上言い募ることができず、ケイニーはすごすごと団長室を後にした。
そして、ジェスから隊長達と話し合え、と言われた通りに行動するため、自分以外の隊長の姿を求めて歩き始めた。
[月の乙女]は小規模な傭兵団であり、その構造は単純だ。
トップに団長であるジェスがいて、その下が副団長のフェンリー。
更にその下に5人の隊長がいて、それぞれ10人前後の部下を指揮する。
ケイニーは、自分以外の4人の個性的な隊長達の姿を思い浮かべ、小さなため息をもらす。
別に彼女達が嫌いな訳ではない。
気のいい奴らだし、仲良くつき合ってもいる。ただちょっと、それぞれの癖が強く、押しの弱いケイニーが割を食うことが多いだけで。
(みんなまだ、とりあえず食堂にいるはずっすよね)
ただ、食堂には他の団員もいるだろうから、その場で話すわけにはいかないだろう。
まずは隊長連中に声をかけて、場所を移して……。
頭の中でそんな算段をしながら、ケイニーは食堂を目指して足を早めた。
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