第355話 オーギュストvs悪魔

 「……汚らしい舌でシュリに触れることは許さん」



 なぜかリットの振りをした悪魔にいきなり捕らえられ、さてどうしようか、と思っていたら、そんな言葉とともにオーギュストが現れた。

 どうやら、危うく悪魔にぺろぺろされてしまうところだったらしい。

 危ない危ない、悪魔って油断も隙もない。

 そんなことを考えていたら、あっという間に悪魔の腕の中から助け出されてオーギュストの腕の中へ。



 「……大丈夫か? シュリ」



 熱い瞳で見つめられ問われたシュリは、



 「うん。だいじょ……」



 大丈夫と答えかけた言葉を言い終えることができないまま、唇をオーギュストのそれにふさがれた。

 2人の唇はそのまま深くつながり、漏れ聞こえる水音に、周囲の目が点になる。

 いきなり現れた正体不明の女に獲物を奪われ、目の前で濃厚なキスをかまされ、想定外の事態に固まっている悪魔もそのままに、短くない時間をキスに費やし、ようやくシュリの唇を解放してくれたオーギュストは、何とも満足そうな吐息を漏らした。



 「オーギュスト?」



 問うようにその名を呼べば、



 「すまん。他の奴にけがされそうになっているシュリを見て、思わず興奮してしまった」



 何ともいい笑顔で実に変態っぽい発言を返された。

 そんなオーギュストを半眼で見つめ、



 (……うん。ほんと、悪魔って油断も隙もない)



 心の中でしみじみとつぶやく。

 だが、口に出すのは自重した。

 正直、そんな場合じゃないから。

 もちろん、キスしている場合でもなかったが、すんでしまったことは仕方がない。


 どうにか仕切り直さなくては、と生来の生真面目さと責任感の強さを発揮させたシュリは、きりりと表情を引き締め、オーギュストの腕の中からまだフリーズしている悪魔をぴしりと指さした。



 「僕が来たからにはこれ以上好き勝手はさせないぞ!」


 「は? あ、ああ。そうだな……じゃねぇ! お前みたいなちびっ子に俺様が止められるとでも思ってんのかよ!?」



 シュリの言葉に思わず頷きかけたブロディグマは、すぐにはっとしたように反論してきた。

 中々生きのいい悪魔である。

 さらに言葉を続けようと口を開きかけたが、それより早く動く者がいた。



 「シュリに対する暴言は万死に値するが、そのことは理解しているか?」



 氷よりも冷たい声が響く。

 その一瞬後には、シュリを片手で抱いたままのオーギュストのもう片方の手が、ブロディグマの顔面に見事なアイアンクローをかましていた。



 「ぐ、がぁ……。て、てめ。は、放しやが……ぐあぁぁっ。いてっ。いてーって!! 何なんだよ、てめーはよぉ」



 たおやかな女性の手で顔面を捕まれた悪魔は、リットの仮面をすっかり脱ぎ捨てて叫ぶ。



 「俺か? 俺はシュリの忠実な僕だ。そして、お前を滅ぼす者だ」


 「俺を滅ぼすだとぉ!? てめぇは俺が誰だと思ってやがる」


 「知っているさ。悪魔だろう?」


 「なら分かるよなぁ? 俺にこんなことをしてどうなるか」



 ぶっ殺すぞ、てめぇ、と騒ぐ悪魔を前に、オーギュストの顔に凍えた笑みが浮かんだ。

 美人さんのそう言う表情って本当に怖い……シュリは思い、内心震え上がる。

 だから僕、女の人を怒らせるのいやなんだよな~、と。

 とはいえ、シュリが意味もなく女の人を怒らせるようなことは、ほぼないと言っていいのだが。



 「そういうお前は分かっているか?」


 「あ?」


 「お前が喧嘩を売っている相手が、どういう存在か?」


 「ああ?? どういう存在、って」


 「ま、お前程度の雑魚じゃ、分からなくても仕方ないか。シュリの前に立たせておくのも嫌になるくらいの雑魚だからな」


 「雑魚っててめぇ!!」


 「これで、わかるか?」


 雑魚呼ばわりにいきり立つ悪魔の目をのぞき込み、オーギュストが冷たく微笑んだ。

 普段、人の世の中に紛れるために押さえ込んでいる魔力を解放したのか、その存在感が一気に増す。

 それを感じたのか、オーギュストに顔を拘束されたままの悪魔の顔が一瞬で青ざめた。



 「う、そだろ。あんた、ずいぶん昔に行方知れずになった、はず、じゃ」


 「行方知れず、か。確かに、あちらではそうだろうな」


 「ブラッディ・ノワール……最古の悪魔の1人」


 「その呼び方は好きじゃない。平和主義の俺には、似合わないだろう?」


 「へ、へへ、平和主義!? 笑わせんなよ!? ブラッディ・ノワールっていや、悪魔殺しの悪魔で有名だろぉが」



 悪魔の暴言を受け、オーギュストは平然とした表情のまま、内心冷や汗を流す。

 シュリの前では、ただのレース好きの人畜無害な悪魔として生活していたが、そんなオーギュストの裏の顔を知ったシュリがおびえていないだろーか、と。

 そんな不安を払拭するため、片手に掴んだ悪魔をそのままに、オーギュストはその顔をシュリの方へと向ける。



 「……人聞きが悪い。違うからな、シュリ。確かに俺はそう呼ばれる程度に同族を滅ぼしてきたが、すべて理由があっての事だ。悪い悪魔しか滅ぼしていない」


 「う、うん」


 「だから、俺は怖い悪魔じゃない」


 「え? 怖がってないけど??」


 「そう、なのか? 血塗れの黒ブラッディ・ノワールなんて物騒な通り名、普通は怖がるものじゃないか?」


 「だって、オーギュストは怖くないって知ってるし。意味もなく誰かを殺すような悪魔ひとじゃないってことくらい、ちゃんと分かってるよ」


 「……そうか」



 己をきちんと理解してくれている素晴らしい主にじーんとしつつ、ほっとしたようにオーギュストが笑う。

 そして、



 「さすがは俺の主だ。愛してるぞ、シュリ」



 オーギュストは悪魔の顔を掴んだまま、シュリの頬にそっと唇を落とした。



 「いちゃこらすんなら、俺の頭を離してからにしやがれ!」



 それを目の前で見せつけられた悪魔が、堪えきれないように叫ぶ。



 「……うるさいぞ?」



 オーギュストは零下の声音でそう返し、悪魔の顔を掴む手に力を込める。



 「うぎゃっ。割れる! 頭が割れるっての!!」



 みしり、と音がしたような気がした。

 悪魔はきゃんきゃん騒ぎ、シュリは悪魔の器となっているリットの体がちょっと心配になってくる。

 リットの魂を取り返すことは出来ないかも知れないが、だからといってリットの体を傷つけることは本意ではない。



 「オーギュスト、オーギュスト」


 「ん? なんだ? シュリ」



 悪魔に対する声とは打って変わって甘くなったオーギュストの声がシュリに問いかける。

 シュリはオーギュストがミシミシ締め付けているリットの顔を指で示して答えた。



 「リットの体は出来るだけ傷つけない方向性でいきたいんだけど……。それだと悪魔を倒すの、むずかしい?」


 「いや。シュリが望むなら、それに添うのが俺の務めだ。任せておけ」



 小首を傾げたシュリに、オーギュストは打てば響くように答えると、そのままリットの瞳の奥をのぞき込んだ。

 リットの体に巣喰う悪魔の瞳を見通すように。



 「シュリの望みは聞いたな? さっさとその体から出て行け」


 「うぎ!? いだっ! いでぇよ!! てめぇ、この体の奴が死んでもいいのかよ!?」



 オーギュストの腕にぐっと力が入り、悪魔が悲鳴をあげる。



 「死んでいいもなにも、その体の持ち主の魂は、もう残ってないのだろう?」


 「く、喰ってねぇよ。……まだ」


 「……残っているのか? その体の魂は。お前の食べ残しとかではなく?」


 「だだだっ!? の、残ってる。全部残ってるよ!! さ、先に魂を喰っちまうと体の保ちがわりぃから出来るだけ我慢するようにしてんだよ!!」



 嘘は許さない、とばかりにさらに力が込められた指先が皮膚に食い込み、悪魔は悲鳴をあげながら白状した。

 その言葉に目を細めたオーギュストは、ふむ、と1つ頷き、



 「……1つ取引をしよう、ブロディグマ」



 悪魔の耳にその言葉を吹き込みながら、指の締め付けをわずかに緩める。

 だが、そのことを喜ぶ暇もなく、ブロディグマは見るからに狼狽えた様子で己を拘束する、自分より遙かに上位の悪魔を見た。



 「なまっ!? おまっ、おれの、なまえを!? おれのことを、どうして知って……!?」



 なんで、と問われたオーギュストは、形のいい唇の端をつり上げ、にぃと笑った。

 そして、



 「……なにもかもお見通しだ」



 意味ありげにそう答える。

 実のところ、目の前の悪魔の名前を知り得たのはシュリのスキルのおかげなのだが、その点はあえて明かさずに。

 だが、オーギュストの作戦は成功し、余裕たっぷりのその様子にブロディグマは震え上がった。


 オーギュストが遙かに格上の悪魔とわかっても、実のところブロディグマはそれほど恐れてはいなかった。

 相手は確かに上位の存在だが、今は子供に使役されているらしい。


 あちらの世界ではともかく、こちらへ召還された悪魔は様々なものに縛られる。

 中でも1番きつい縛りは、使役する人間の能力の大きさによる縛り。

 これは単純に、使役する人間の能力が大きければ大きいほど、向こう側能力に近い力を有する事が出来る。

 そういう意味では、あちらでは下位であっても、こちらでは召還主の力量の差によっては格上の者とも渡り合うことが可能なのである。


 目の前の悪魔は、あちらの世界ではブロディグマが束になってもかなわないくらいに格上の存在。

 だが、主に縛られるこちらの世界では、そこまでの差はないはずだ。


 確かに、相手の主の魂は極上。

 それに惹かれて使われてやってるのは分かる。

 ブロディグマとて、あの魂を手に入れられるとなれば、一時の不自由など気にせずに使われてやることもあるかも知れない。


 だが、いくら極上の魂を持っているとしても、その身は見るからに弱く幼い。

 愛らしさは認めるが、そんなものは悪魔の主として何の役にも立ちはしない。

 別に、ブロディグマの召還主が取り立てて優秀な人間だとも思わないが、それでも目の前の幼子よりはましなはずだ。


 そう、思っていた。

 己があなどっている幼子の身に宿る力がどれほど規格外なものなのか、知ろうともせずに。


 そんなわけで、目の前の格上の悪魔を侮っていたブロディグマだが、己が誰かを特定されていた事実に、その余裕は消え去った。

 個人特定さえされなければ、禍根はこの場だけで済む。

 隙を見つけて標的を潰し、契約を終えてあちらの世界に帰ってしまえばそれで終わるはずだった。


 だが、名を知られ個人特定されている今、どうにか依頼をこなしてあちらの世界へ逃げ去ったとしても、それを恨みに思われたらあちらの世界でも標的にされるかもしれない。

 ブロディグマは、その可能性に怯えた。



 「……なにを取引きしろって言うんだよ」


 「その体を出て行け、ブロディグマ。もちろん、その体の魂も諦めてもらう」


 「言うとおりして、俺にはなんの得がある?」


 「お前はあっちへ強制送還だ。ただ、これ以上こちらで悪さをしないなら、それ以上追わずに見逃してやる」


 「はあ!? それで俺に何の得がある!? せめて魂の1つや2つもらわねぇと割にあわ……」


 「お前はもう十分、人の魂を味わっただろう? 十分すぎるほどに。これ以上欲張るなら、お前の存在すべてを消し去ることになるが?」


 「そ、そんなこと、できるわけ……」


 「できないと、思うのか?」



 細められた瞳の奥の冷たい輝きが、言葉の真実を告げてくる。

 主の力量も関係ないほどに、元々の力量に差があるのか、とブロディグマは肩を落とす。

 だが、最後の悪足掻きと好奇心から問いかけた。



 「あんたほどの悪魔が使役されるなんて、その小僧との契約はそれほど魅力的な内容だったのかよ?」



 と。

 その言葉を聞いたオーギュストが虚を突かれたような顔をし、シュリはこてんと首を傾げた。

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