第351話 依頼人とのご対面①

 「どうした? シュリ。少し、眠そうだな」



 翌日、朝食の席で。

 ジェスからそう問われ、シュリはなんとも言えない苦笑をもらした。



 「ん~、ちょっと眠いけど大丈夫。元気だよ」



 隠しても仕方ないので正直に答えれば、



 「昨夜はあまり眠れなかったのか? もしかして、1人だと、寂しかったか?? 言ってくれれば、その、添い寝とかいつだって……」



 もじもじしながら添い寝を申し出られてしまった。

 シュリは笑顔のままでちょっと固まり、だがすぐに、



 「えっと、寂しいとかじゃないから安心して? 初めての場所だからちょっと寝付きが悪かっただけだと思う。今夜はきっと大丈夫だよ」



 首を横に振って、やんわりと添い寝をお断りした。

 昨夜眠れなかったのは、眷属ペット達とのキスで引き起こされたうずうずのせい。

 体の奥に灯った熱が中々冷めてくれず、なんだか落ち着かなくて眠れなかったのだ。


 そんなところに、ジェスに限らず更なるうずうずの原因になりそうな人を迎えたら、余計に眠れなくなってしまう。

 それは本末転倒というものだろう。


 シュリからのお断りの言葉に、ジェスは少しだけがっかりした顔をしたが、すぐに傭兵団の団長らしいきりりとした顔へその表情を変えた。

 そして、



 「今回の件の依頼人だが……」



 そんな風に話を切り出した。



 「ひそんでいるであろう悪魔に計画が漏洩しないよう、向こうからこちらにお忍びで出向いてくるそうだ。今日の午後に顔を出す、という連絡が来たが、問題はないだろうか? 問題なければ、了承の返事を出しておく」


 「ん? わかった。僕は大丈夫だよ。アガサは?」


 「私も平気よ。久しぶりに会うし、楽しみだわ」



 シュリがうなずき、アガサが微笑む様子を確認したジェスは、



 「分かった。フェンリー。依頼人に向こうの指定したルートで連絡を」


 「了解。まかせて」



 小さくうなずき、フェンリーに指示を出す。

 それを受けたフェンリーは食事を中断して即座に席を立ち、食堂を出て行った。

 その背を見送ってから、改めてジェスの顔を見上げる。

 おお、なんか団長っぽい、とちょっぴり感心しながら。


 シュリの知るジェスは、正義感が強くて、後先考えず突っ走りがちで、真面目で凛々しいけどちょっと恥ずかしがり屋。

 傭兵団を率いる団長だと知った後も、あんまりそれらしい面を見る機会がなかったからなんだか新鮮だった。

 そんなシュリの視線を感じたのだろう。



 「ん? なんだ??」



 ジェスが首を傾げてシュリを見返す。



 「ジェスがちゃんと団長してて、かっこいいなって思って」


 「な!?」



 向けられた問いににっこり笑って返すと、みるみる内にジェスの顔が赤くなった。



 (あ、僕の知ってるジェスになった)



 一瞬で乙女の顔になったジェスを見ながらそんな風に思う。

 ジェスは熱くなった頬を己の手を当てて冷やしながら、



 「きゅ、急に変なことを言うもんじゃない。それに、今までだって団長らしい事をはしてただろう?」



 そう言って少しだけ唇を尖らせた。

 あ、あの唇にキスしたい、そんな風にこみ上げてくる節操のない欲望を持て余しつつ、それを全く感じさせない表情でシュリは微笑む。



 (これが思春期なのか、それともただ単に性欲(大)の悪影響なのか)



 悩むところだなぁ、と思いながら、シュリは理性で己の欲望を押さえ込み、



 「ジェスが団長らしい事をしてたのは、きっと僕の見てないところでだよ。宿で団員の人達も一緒にご飯を食べたときも、ジェスは酔っぱらってて団長らしい様子はなかったし。あの時はむしろ、フェンリーの方が積極的に団員さん達に指示を出してたよね?」



 ジェスの言葉に返事を返す。

 そんなシュリの見解に、ジェスはうぐ、とうめき、



 「あの時は、まあ、確かに酒に酔っていた、な。だが、シュリとの再会を祝う食事だったし、ちょっと舞い上がってたし、あれは仕方ないだろう!?」



 そう訴えてきた。



 「う~ん。まあ、そうだねぇ」



 苦笑しつつ頷いてあげると、



 「フェンリーが団員達に指示を出すのは、いつもそうしているからであって。ほら、だって、フェンリーは副団長だし! 副団長は団長を補佐してくれるものだし。いつだってフェンリーは私を助けてくれて! フェンリーはな、優秀なんだぞ? 書類仕事だって早いし、団員達をまとめるのも上手い。強さ、という点での力量も文句ないレベルだし。フェンリーが望むなら団長を譲ると言っているんだが、フェンリーが私の補佐をするのが好きだからイヤだというもんだから……」



 最初は言い訳だったはずなのに、気がつけばフェンリーが褒め殺されていた。

 あれ? と首を傾げるジェス見ながら、シュリは柔らかく微笑む。

 フェンリーはきっと、ジェスのこう言うところが好きなんだろうなぁ、と思いながら。



 「そっか。フェンリーはいい副団長なんだね」


 「う、まあ、そういうことだな」


 「でも、ジェスだっていい団長だよ。そうじゃなきゃ、フェンリーも団員の人達もついてこないでしょ?」


 「う、ん。そう、なのかな」


 「そうだよ。団長のジェスは、かっこいいし素敵だよ」


 「う……またそうやって褒める」


 「いや?」


 「べ、別にいやな訳じゃ……。ただちょっと、照れくさい」



 恥じらうジェスを可愛いなぁと思いながら見ていると、



 「シュリ、私は?」



 アガサの声が割り込んできた。



 「へ?」



 なんのことか分からずに、間抜けな問い返しをすると、



 「ジェスばっかり褒めてずるいわ。私のことも褒めて!」



 なにやら可愛らしい我が儘を言い出した。

 シュリがジェスを褒める様子を眺めていたら羨ましくなってしまったのだろう。



 「え、えーっと。そうだなぁ。アガサは、う~んと、えっと……あ! 美人だよね!!」


 「うんうん、それで?」



 どうにか褒め言葉を絞り出したが、それでは終わらずに先を促されてしまった。

 もっと褒めろと、そういうことなのだろう。

 だが褒め言葉というものは、求められたからといって簡単に出てくるものでもない。

 こういうのは、不意に出てくるものなのだ。



 (存在がえっち、だとか、誘惑するのが上手、とかそう言うのはダメな気がするよなぁ)



 どうしよう、と困ってアガサの顔を見上げたら、彼女の唇が目に飛び込んできた。そうすると、否応なしに彼女とのキスを思い出してしまう。

 シュリが体験してきた中でも1、2を争うような技量の、官能的なキスを。

 その瞬間、



 「キスが、上手……とか」



 うっかりぽろりと、その言葉がこぼれ落ちてしまった。

 それを聞いた瞬間、無邪気で好奇心旺盛な少女のようだったアガサの表情が一瞬で洗い流され、官能的な女の顔が浮かびあがる。

 アガサは妖しく甘く微笑んで、シュリとの距離を一気に詰めてきた。



 「それは、私とキスしたいって、そういうこと?」


 「ちが……!?」

 ちがう、そういう意味じゃない、とそう伝えようとしたが、その隙をアガサは与えてはくれなかった。

 唇がふさがれ、舌がぬるりと入ってきて。

 あっという間にトップギアに入った官能的で熟練された大人のキスに、それなりに熟練しているはずのシュリも翻弄されてしまう。



 「な……なぁ!?」



 突然始まった激しくも甘いキスシーンに、顔を赤くしつつ呆然と見入ってしまったジェスだが、すぐに立ち直ってアガサの元へ突進する。



 「ちょ、朝食の席で何をしてるんだ!? シュリから離れろ、アガサ殿」



 どうにかしてシュリとアガサを引き離そうと駆けつけたジェスを横目で流し見て、アガサはおもむろに片手を持ち上げた。

 そしてそのまま片手を伸ばし、キャンキャンわめくジェスの胸を的確な技量と絶妙な刺激で揉みはじめた。



 「こ、こらぁ! な、なにを、す、る……んっ。ぁん」



 細い指先で、服の上からジェスの胸の先端を見つけだし、こすりあげ、快楽を与えることで、ジェスの文句を封じる。

 なんともアガサらしい対処法だった。

 シュリへのキスの手もゆるめずに、ジェスを胸だけで追いつめていく。



 (なんていうか。流石だなぁ、アガサ)



 なんだかもう、呆れるのを通り越して、感心してしまった。

 もうこうなってしまっては、アガサが満足するまでこの場はおさまらないだろう、と諦めかけたその時、食堂のドアが開いてフェンリーが帰ってきた。

 食堂内の状況を見た彼女は目を丸くし、



 「えっと、これ、一体全体どういう状況?? 私も仲間に入るべき、かしら?」



 思わずそんな言葉をこぼして、うっかり乱入しそうになった。

 だが、そうなる前に、



 「ば、ばかぁ! は、早くアガサ殿を止めろぉ!!」



 団長命令というには色っぽくて可愛い声音の命令が、絶妙なタイミングで入り。

 フェンリーはすっかり体に染み着いた条件反射的な行動で、アガサの手をジェスの胸から引きはがし、シュリの体を取り上げた。



 「くっ……ゆ、油断もすきもない!!」



 己の胸を守るように、アガサから距離をとるジェス。

 その、甘い熱を感じさせる表情を見つめながら、



 (命令無視して乱入するべきだったわ)



 フェンリーは真面目な顔の裏側で歯噛みする。

 そして、その悔しさをかみ殺しつつ、依頼人との面談が本日の午後で確定した事を、己の団長と客人達に伝えるのだった。


◆◇◆


 「ディリアンです。決裁いただきたい書類があるのですが、入っても?」


 「確認いたします。少々お待ちください」



 部屋の外から声をかければ、答えるのは部屋の主ではなく別の声。

 複数人配置されている護衛の1人だろう。

 中にいるのは部屋の主の他に、傭兵団からの護衛が2人、ディリアンが手配した、宮廷魔導師団の者が2人。

 決して狭い部屋ではないが、自分以外の者が4人も詰めている部屋は、さぞかし息苦しいことだろう。

 そんなことを考えながら、大人しくその場で待とうとした。

 だが、



 「構わん。入れ」



 即座にそんな声が中から聞こえ、内側から扉が開かれた。

 開けたのは、見覚えのある、若手の宮廷魔術師の1人。

 その反対側には傭兵団から派遣されたのであろう、筋骨隆々としたたくましい若者が立っていた。

 彼らと目線をあわせ頷きあい、それから室内に入り、正面に目を向けた。

 正面の執務机の向こうに見えるのは、彼が主と仰ぐ、現国家元首の姿。

 その左右にはやはり、宮廷魔術師の若者と傭兵の若者が油断のない表情で立っていた。

 背後で扉の閉まる気配を感じ、



 (さて、これで密室に男が6人、か。全く、暑苦しいことこの上ないですね)



 そんなことを思いながら歩を進める。

 近づいてくる主の、疲れたような表情に、



 (もう少しなんとかならないのか)



 そう問われた気がして、その口元に小さな苦笑を浮かべた。

 だが、現在の状況で護衛の人数を減らすのは危険だし、それは護衛される本人も分かっている。

 だからこそ、彼も口には出さずに目で訴えるだけに止めたのだろう。


 ディリアンは、室内をさっと見回し、妙な魔力の気配はないか確かめる。

 とはいえ、悪魔が本気で擬態していた場合、その存在をどこまで感じられるか微妙だが。

 現に、以前はかすかに感じられた妙な魔力の気配、違和感を最近はほとんど感じない。

 きっと人の世に慣れてきた悪魔が知恵を付け、己の存在を巧妙に隠しているのだろう。


 そのことは驚異だが、こうやって4人で互いを見張りあい、常に2人で行動していれば、少なくともこの部屋にいるメンバーだけは悪魔に成り代わられる事を防げるはずだ。


 正直、今、この部屋にいる6人の中で1番危険なのは、個人行動の多いディリアンなのだが、腐っても宮廷魔術師団を率いる身。

 もし悪魔の器として狙われたとしても、すぐにやられるつもりはない。

 少なくとも、己の敗北を誰かに知らせる時間くらいは稼ぐつもりだし、窮鼠の一噛みくらいは味あわせてやるつもりだった。


 しかし、悪魔が人間社会を学習しつつあるなら、わざわざディリアンを狙ってくる可能性は極めて低い。

 もっと手軽にその身を奪える人材などイヤというほど転がっているし、その中には国家元首に近づくことの出来る者も少なくない数含まれているのだから。

 探るようにこちらを見つめる宮廷魔術師の若者2人に頷きを返し、ディリアンは疲れた顔の主へ歩み寄る。

 そして、



 「輸送を頼んでいた届き物が到着しました」



 短く、そう告げた。

 その瞬間、国家元首の表情に喜色が浮かび、同時に緊張が走る。

 彼は目線で護衛の者達を示し、言外に人払いは必要か、と言葉に出さずに問いかけてくる。

 ディリアンは、軽く首を横に振ってそれに答えた。

 人払いをすると、明らかに重要な話をすると、周囲に周知しているようなものだ。それに、わざわざ彼らを遠ざけなくても、2人にしか分からない符丁で話せば問題ないだろう。

 そんなディリアンの判断に元首もかすかに頷き、



 「そうか。いつ受け取りに行くんだ?」


 「今日の午後には検品をしてまいります。それで問題なければ、近々お届けに参ります」


 「そうか。それは楽しみだ」



 そう言って、元首が笑う。

 心から、楽しそうな笑顔で。ディリアンもかすかに笑みを返し、



 「報告は終わりか?」


 「はい」


 「では戻って検品の準備を整えてくれ。品物を、よく確かめてきて欲しい。求める品質のものかどうか。もし、少しでも足りないと感じるなら、無理に持ってくる必要はない。無駄にするモノは、少ない方がいいからな」


 「はい。そのように」



 元首の言葉に頷き、暇乞いをして部屋を出た。

 己の執務室へ向かいながら、先ほどの元首の言葉を反芻する。

 一国を統べる者としては優しすぎる、その言葉の意味を。


 彼は言っていた。

 他国から呼び寄せた助っ人の能力が、今回の事態をおさめるに足りないと感じたなら、連れてこなくていい。

 無駄な犠牲は少ない方がいいから、と。


 彼は思っているのだろう。

 どうにもならない場合でも、最悪、自分が死ねば事態はおさまる、と。


 確かに、悪魔を操る者の狙いは現国家元首の命であることはほぼ確実と言っていい。

 そう言う意味では、彼の命さえ差し出せば、一連の騒ぎはおさまる。


 だが、悪魔騒動がおさまったところで、その時に彼がいなければこの国の混乱はどれほどのものになるか。

 元首の首をすげ替えればそれで終わり、というわけにはいかないのだ。


 もしそうなってしまえば、彼の押し進める革新的な国の改革は道半ばで頓挫し、再び保守的な格差社会に逆戻りしてしまう事だろう。

 それだけは、どうしても避けなければならなかった。

 今、生まれ変わろうとしているこの国の未来を、閉ざしてしまうことだけは。



 (……誰を犠牲にしようとも、あなたには生きてこの国の元首として馬車馬のように働いてもらいますよ、アウグースト。そのために出来ることなら何でもしましょう。必要なら、どれだけの命を捧げても構いません。たとえこの自分の命であっても)



 静かな決意を胸に、廊下を歩く。

 まずは、悪魔を探し出す。

 誰が標的か分かるだけでも、こちらはかなりのアドバンテージを得ることが出来るはずだ。

 相手を見つけ、後はどうにかして倒すか封じるかする事が出来ればこちらの勝ちだ。


 助けを待つ間も、ただ遊んでいたわけではない。

 悪魔に関する文書を片っ端からあさり、対抗する手だてを探し、それなりの準備も整っている。


 何とかなるはずだと思うし、何とかしなければならない、とも思う。

 そのために己の命をかけることになったとしても、それこそ本望だ。


 そんな悲壮な決意を固めているディリアンは知らなかった。

 助っ人がアガサだけではないこと。

 アガサが引っ張ってきた助っ人がどれだけ規格外かと言うこと。


 その助っ人の前では、己の悲壮な決意などなんの役にも立たない、とその事をディリアンが思い知らされるのは、後少しだけ未来の事だった。


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