第291話 お風呂場の攻防戦①

 「シュリ様、今日は私もシャイナもカレンも、急な仕事が入ってお風呂のお手伝いが出来そうにありません。仕方ありませんので、今日はメイド長のルビスに手伝いをお願いすることにしました」


 「ルビスに? わかった。あ、でも、別に一人でもお風呂くらい……」


 「いえ、一人でお風呂に入って溺れたら大変です」


 「お、溺れないと思うよ? 大人しく普通に入るだけなんだし」


 「耳の後ろやおへその洗い忘れがあっても大変ですし」


 「いやいや、耳の後ろもおへそも自分で洗えるから! っていうか、そこ、そんなに重要!?」


 「重要です! それに、シュリ様は貴族なのですから」


 「それは、まあ、そうだけど。でもさ、貴族だって一人でお風呂に入るでしょ?」


 「そういう方もいないでは無いですが、貴族たるもの使用人の仕事を無闇に奪うものではありません」


 「みんなの仕事を……そっか。そうだね」



 きりり、と表情を引き締めたジュディスの正論に、シュリは納得して頷く。

 ジュディスも他の使用人達のことをきちんと考えているんだなぁと感心しながら。

 だが、そんなシュリの感動を根こそぎ奪うように、



 「それに、シュリ様が一人お風呂を覚えてしまわれたら、私達とシュリ様の貴重な裸のおつき合いタイムが失われてしまいます!」



 ジュディスの欲望まるだしな発言が続く。



 「……うん。いろいろ台無しだよね。でも、まあ、ジュディスの言いたいことはわかったよ。今日のお風呂は大人しくルビスに手伝ってもらう」



 シュリはがっくり肩を落とした後、その面に苦笑を浮かべつつ頷いた。



 「そうして頂けましたら助かります。ルビスの手の足りないところは、執事長のアビスがフォローをする、との事です。ちょうどいい機会ですし、シュリ様の魅力であの二人をメロメロに堕としてしまうのもよろしいでしょう。あの二人、仕事は出来ますが今一つシュリ様への親愛度が低いように思いますので」


 「メロメロにって、あの二人とは今くらいの距離感で僕は十分満足だけど……」



 シュリが控えめに反論すると、



 「いえ、せめて最低限、有事の際に迷わずシュリ様の為に命を捨てられるレベルでないと……」



 ジュディスはがっと拳を握り、熱く己の持論を語った。



 「いやいやいや!! 重いから!! それ!! それに、僕は自分の身は自分でちゃんと守れるから、いらないよ、そういうの!?」


 「まあ、実際に命を捨てる場面があるかどうかは別として。シュリ様にお仕えする栄誉を得たからには、そういう心がけが出来るくらいの忠誠心は必要だ、と私は思うわけです」



 シュリは心から困った声をあげたが、ジュディスの心には届かない。

 ジュディスはうんうん頷きながら、更に己の持論を語り、



 「えええぇ~? 普通に真面目に働いてくれれば、それで十分だと思うんだけど」


 「シュリ様はそのスタンスでいて頂いて構いません。そして、使用人が分不相応な感情を抱かない程度に魅力を振りまいて頂ければ、と。実際の彼らの忠誠心の管理は、私がきっちり行いますので」



 シュリの反論をスマートに押さえ込み、にっこり完璧な笑顔で言い切った。

 愛の奴隷となってから数年、年をとることを忘れてしまったかのような美しくも若々しい彼女の顔を見上げ、シュリは降参するように小さな吐息を漏らす。


 彼女達はシュリを大切に思い、シュリの為に動いてくれるが、それが必ずしもシュリの望みと合致するとは限らない。

 彼女達はシュリへの無限に尽きぬ愛のもと、それぞれの考えでシュリの為に尽くしてくれている。


 そこにどんな深い愛があろうとも、所詮は他人同士。

 シュリの望みとは齟齬が出ることも良くあること。


 だが、シュリを怒らせたり悲しませたりするようなことが、彼女達に出来るはずもなく。

 どんなにずれているように思えても最終的には最適な状況に落ち着く、ということは今までも良くあった。



 (だから、まあ、今回も悪いようにはならない……よね?)



 シュリはそう考え、それ以上の反論は諦める。

 どの道、どれほどシュリが懸命に反論したところで、討論でジュディスに勝つのは至難の業だと、よく分かっていた。



 「まあ、その辺りのことは、ジュディスに任せるよ」



 シュリの言葉に、ジュディスは頬を染め嬉しそうに微笑み、



 「ありがとうございます、シュリ様。では、私は与えられた仕事をサクサク終わらせて参ります。なるべく早く戻りますが、やはりお風呂の時間には間に合わないと思いますので……」


 「分かった。大丈夫だよ。ちゃんとルビスにお世話してもらうから」


 「はい。では、行って参ります」



 頭を下げ、少し名残惜しそうにシュリから離れた。



 「うん。いってらっしゃい」


 「戻ってきたら、よく頑張ったね、のちゅーをお願いします」


 「う、うん。分かった。がんばってね」



 さらりと己の希望をねじ込んできたジュディスに、苦笑混じりの返事を返す。

 頑張ったねのちゅーは、ジュディスだけではおさまらないだろう。

 その事実を知ったシャイナやカレンがおねだりする様が目に浮かぶようだった。


 結果、三人にキスする未来しか見えないが、まあ、仕方が無い。

 何事も平等が一番。えこひいきは争いの始まりだ。


 そんなことを考えながらドアの向こうに消えるジュディスを見送る。

 が、見送ったはずのジュディスが、ドアの隙間からひょいと顔を覗かせて一言……



 「シュリ様?」


 「ん? なにか忘れ物??」


 「いえ、ちょっと言い忘れた事がございまして」


 「うん、なに?」


 「入浴の際、大事なところはご自身で洗うよう、ご注進するのを忘れておりまして」


 「うん?」



 あれ? なにか聞き間違えたかな? と、シュリは可愛らしく首を傾げる。

 なんだか、大事な部分は自分で洗えって、言われたような気がするぞ、と。

 でもでもまさか、そんなごく普通で当然の事をわざわざ言いに戻るなんてことないよなぁ、と少々混乱していると、



 「シュリ様の大切なところは、必ずご自身で洗うようにして下さい。ルビスにはまだ、そのご褒美は早いと思いますので」



 ジュディスは同じ事を繰り返し伝え、それがシュリの勘違いじゃ無かったことを突きつけて。



 「では、今度こそ、行って参ります」



 にっこりいい笑顔で笑い、その顔をドアの向こうに引っ込めた。

 その後、静かに丁寧にドアは閉まり。

 後には、広々とした部屋に一人、ぽかんとした顔のシュリが残された。


 その状態はしばらく続き、部屋の掃除に来たメイドはこれ幸いとシュリの横にしゃがみ込み、その顔をうっとり思う存分堪能したのだった。


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