第249話 リュミスのご褒美、サシャのヤキモチ

 思いがけない決闘で勝利をおさめ、一躍時の人となったシュリを、リュミスがこっそり連れ出したのは、午前中の授業も終わりに近い時間だった。

 人目を避け、使われていない教室に連れ込まれ、きょとんと自分を見上げてくるシュリを、リュミスは少々鼻息荒く見つめた。 



 「シュリ……」


 「リュ、リュミ姉様??」



 この時を待っていたとばかりに距離を詰めてくるリュミスに、若干引き気味のシュリ。

 そんなシュリに気づき、リュミスは、いけない、いけない、と己を戒める。

 せっかくの、シュリへのご褒美(という建前の自分へのご褒美)の時間だ。

 しっかりムードを作って、素敵な時間にしなければもったいない。

 そう考えて、リュミスは己の気持ちを落ち着けるように深呼吸をした。

 そして改めて、シュリの目をじっと見つめる。



 「シュリ。決闘、勝ってくれてありがとう」


 「え? あ、うん」



 リュミスは言いながら、シュリの頬を撫で、柔らかな唇を指先でなぞる。

 欲望に潤んだ瞳で、愛しい相手を食い入るように見つめながら。

 別に、シュリとキスをするのが初めてと言うわけではない。

 が、競争相手が多い環境で、そう頻繁に出来るものでもなく、リュミスは少々シュリに餓えていた。



 「約束の、ご褒美」


 「ご、ご褒美? あ、うん。そういえば、ご褒美をくれるんだった、よ、ね?」


 「そう、ご褒美。あげるから、目、閉じて?」



 そっと顎に添えられた指先に、くいっと顎を上向かせられ、シュリはちょっぴり苦笑する。

 リュミスはシュリにご褒美をくれるという。

 でも、これだとまるで……



 (僕がリュミ姉様にご褒美をあげる側みたいだなぁ)



 そんなことを思って。

 だが、シュリはあえてそれを言葉にすることなく、リュミスの言うなりに目を閉じる。

 前に、フィリアとしたご褒美のキス。

 リュミスはそれを意識しているに違いない。



 (フィー姉様としたのに、リュミ姉様としないなんて、そんなの不公平、だもんね?)



 それに、キスをするのは嫌いではない。

 キスは、シュリの大好きなスキンシップの一つだった。

 小さい頃から、キスをされまくって育ったせいで、前世が日本人であったというにも関わらず、シュリの中でキスという行為のハードルは非常に低い。

 自分から求めることこそ少ないが、相手に求められれば否とは言わない。

 いや、もちろん同性とのキスは基本的にお断りしているが。


 キスは性的な行為であるという知識はあったが、その実感は薄く。

 シュリにとってキスとは、握手やハグと並ぶ挨拶の一種の様な感覚のものだった。


 事実、愛の奴隷の三人との挨拶はキスが平常運転である。

 おはようのキスにはじまり、お休みのキスで終わるのが、シュリと愛の奴隷達との日常であった。

 だから、今更リュミスとキスする事に関して、動揺する要素は一つもなく、シュリはリュミスの唇が己の唇に重なる瞬間をじっと待つ。


 しばらくして。


 ふわりと重なってくる柔らかな感触。

 暖かな唇を通して、シュリを好きだというリュミスの気持ちが伝わってきて、シュリは彼女と唇を触れ合わせたまま、ふわりと微笑む。

 僕もリュミ姉様が大好きだよ、の気持ちを込めて柔らかく彼女の唇を食むと、リュミスも負けじとやり返してくる。

 シュリはクスクス笑い、もっと、と求めてくるリュミスの唇を、薄く開いた唇で受け止めた。


 フィリアと違ってリュミスは大分積極的だ。

 攻めをリュミスに譲ったシュリは、大人しく彼女の望むキスを受け入れる。

 唇の隙間から入り込んできた彼女の舌先を余裕たっぷりに迎え撃ち、気持ちのいいキスをただ楽しんだ。



 「……ひゅり。ひゅき。らいひゅき」



 キスの合間に、熱に浮かされたように聞こえてくるリュミスの声。

 シュリの舌を、懸命に追いかけからめ取ろうとする彼女の一生懸命さが愛おしい。

 こみ上げる想いのままに、彼女の舌をからめ取ると、



 「ふぁ……んっ、んぁぅ」



 リュミスの唇から甘い声がこぼれ落ちた。



 (……リュミ姉様ってば、かぁいいなぁ)



 素直なリュミスの反応に、胸をほっこりさせつつ、そのまましばらくキスを続けてから唇を離す。

 ぺろり、と濡れた唇をなめながらリュミスの顔を見上げれば、見事にとろけきった顔の彼女が、うっとりとシュリを見つめていた。

 シュリは柔らかく微笑みその頬を撫で、もう一度、唇を寄せようとした。

 寄せようとしたのだが。


 二人の唇が触れ合う寸前、リュミスの鼻から赤い何かがすぅっと滑り落ちた。

 あっ、と思ったシュリは、無限収納アイテムボックスから清潔な布をさっと取り出すと、リュミスの鼻に押し当てる。

 昔から、リュミスの鼻の粘膜は少々軟弱。

 今よりもっと小さな頃、シュリを見つめては鼻血を出し、シュリを抱っこしては鼻血を出すリュミスを心配して、スキル[状態診察]を使って診断したことがあるが、特に悪いところは無かった。

 ただ、興奮しやすかったり鼻血の出やすい体質、というだけの事なのだろう。



 (ちょっとリュミ姉様には刺激が強かった、かな?)



 そんなことを思いながら、そう簡単には止まらない鼻血の世話をしていると、部屋の外からカツカツと、聞き覚えのある足音が聞こえた。

 そして。



 「シュリ君、リュミスさん、ここですか?」



 そんな声と共に、サシャ先生が部屋の中に入ってきた。

 彼女は密着している二人の姿を見つけると、ぴくりと眉を震わせて、



 「それで? 二人はここで、なにをしているんです? そんなにぴったりとくっついて」



 冷え冷えとした声で、そんな問いかけを放つ。



 (きょ、今日のサシャ先生、何だかご機嫌が悪いなぁ)



 そう思いながら、シュリは恐る恐る彼女の方を振り返る。

 だが、彼女の機嫌が悪いのも、仕方がないかもしれない。

 本当なら、シュリはサシャを守るために彼女の側にいてあげなきゃいけないのに、今日はリュミスに捕まってまるでそれを実行出来ていない。

 約束したこともろくに守れないんじゃ真面目なサシャ先生の機嫌が悪くなるのも当たり前だよなぁ、と思いながら、シュリはリュミスの鼻を押さえたまま、おずおずとサシャの顔を見上げた。

 しゅん、と落ち込んだ様子のシュリの、まるで怒られた子犬のような愛らしい様子に、サシャの胸がずきゅんと打ち抜かれる。



 (くっ……シュリ君が、愛らしすぎます)



 よろり、とよろめくサシャに、シュリはちょっぴり不思議そうな顔をしたものの、



 「えっと、リュミ姉様が鼻血を出したので、その手当をしてます」



 とりあえず素直にそう答えた。

 途端にサシャは心配そうな顔になって、



 「鼻血……大丈夫ですか? リュミスさん」



 そう言いながら、リュミスの傍らに膝をついて、彼女の顔をのぞき込んだ。

 シュリに代わってリュミスの鼻に当てられた布を押さえながら、彼女の頬や額に触れ、その体調をチェックしていく。



 「熱……は無さそうですが、少し顔色が赤いですね。大事をとって医療室に行きましょう。歩けますか?」



 サシャに問われ、リュミスはコクリと素直に頷く。

 これでシュリと二人きりの時間も終わりか、と非常に無念そうな顔をしてはいたが。



 「シュリ君も一緒に行きましょう。リュミスさんの事も気になるでしょうし、ついでですから、シュリ君も怪我がないか見てもらいましょうね?」



 サシャの言葉に頷き、リュミスを支えるように歩くサシャの少し後ろをついて歩く。

 サシャはリュミスの足取りが覚束ないことを心配しているが、シュリは知っている。

 アレは、シュリとのキスに、ちょっと腰が抜けちゃってるだけなのだ、と。

 だが、流石にそれを申告するわけにも行かず、シュリは賢く口をつぐんだ。


 シュリに関して言えば、サシャの心配するような怪我はしていないし、していたとしても自己治癒であっという間に治ってしまう。

 正直、医療室でやってもらうことなど何一つないのだが、



 (まあ、それでサシャ先生が安心できるならいいか)



 そんな風に思いながら医療室へ同行したものの、案の定、シュリの体には傷一つ無く。

 もっとしっかり服を全部脱いで診察しようか?と鼻息荒く迫る医療室の先生を軽くスルーして、シュリとサシャは医療室を後にした。


 リュミスは、鼻血は止まったが一応大事をとってしばらくベッドで休んでいくことになった。

 というわけで、行きは三人だったが帰りは二人きり。


 サシャ先生は有無を言わせずシュリを抱っこして歩く。

 この世界の女の人達は力が強いのかなぁ、といつもいつでも隙あらばシュリを抱っこしたがる面々の顔を思い浮かべながら、そっとサシャ先生の顔を伺った。



 (もう、ご機嫌はなおったかなぁ?)



 思いながら、じぃ、とサシャのきれいな横顔を見つめていると、その視線を感じたのか、彼女が横目でちらりとシュリの方を見た。



 「……本当は、二人でなにをしていたんですか?」


 「ほ、本当は……って?」



 何のことでしょう? とはぐらかすように、とぼけてそう返すと、サシャは形のいい唇を少し子供っぽく尖らせて、



 「鼻血が出るような事、してたんでしょう? 二人きり、他にだれもいない部屋で」



 すねたようにサシャが言う。

 ほんのり見え隠れするヤキモチを、表情に乗せながら。


 サシャを先生として尊敬しているけど、普段は見せない表情と口調が、何だかとても可愛くて。

 その頬や、唇に触れてみたいという気持ちがこみ上げて、ちょっとうずっとする。

 でも、それをしてしまったら、生徒と先生ではないだろう、という理性が、動きそうになる手を押しとどめた。

 そんなシュリの葛藤など知らず、



 「なに、してたんですか? 先生は、シュリ君の先生なんだから、それを知る権利があると思います!」



 冷静なサシャ先生らしからぬごり押しで、サシャはシュリに答えを迫った。

 さて、どうしよう……サシャ先生が可愛いくて困る、という事実を一旦横に置いておいて、シュリは思案する。

 素直に本当の事を話すべきか、無難にはぐらかすべきなのか。


 ちらりと様子を伺えば、嘘は許さないとばかりの、サシャ先生の怜悧な鋭い眼差しが突き刺さる。

 その瞳に見え隠れする嫉妬の感情を、サシャ先生がまさかね、と苦笑で横へ追いやり、シュリは心を決めて口を開いた。



 「その、リュミ姉様がご褒美をくれると言ったので、そのご褒美をもらってました」


 「ご褒美……」



 結局、肝心なことをぼかして真実を伝える。

 ご褒美はなんなのか、とは、サシャは聞かなかった。

 シュリの言葉を聞いた彼女は、ちらりとシュリの唇を見て、それからほんのりと頬を赤らめて、



 「ご褒美のキス、ですか? 婚約者同士ですものね。先生が口を出す事ではないんでしょう」



 そう言うと、悔しそうに唇を軽く噛んだ。

 ご褒美、という単語から、なんでだかそのご褒美の内容がキスである、と分かってしまったらしい。

 なんで分かっちゃったんだろうな~、と思いつつ、シュリはサシャ先生の横顔を見つめる。

 むうぅ、と可愛らしく唇を尖らせるシュリを、サシャはもう一度見つめ、



 「ま、まあ。リュミスさんの気持ちも分かります。確かにさっきのは格好良かったですから。自分の為に戦ってくれた貴方に、自分の愛情を示したいという気持ちは、とてもよく」



 更にその頬を赤くした。

 そんなサシャを見ながら、シュリは心底不思議そうな顔をする。



 (どう考えても、そこまで格好いい勝ち方じゃ無かったと思うんだけどなぁ?)



 そう思いはするものの、サシャ先生の目にも、決闘をするシュリは格好良く映っていたらしい。

 実際の所、多属性の魔法を軽々と操り、一対多数で悠々と勝利をおさめて見せた姿は十分に見栄えがするものだったのだが、本人には全くその自覚は無く。



 (リュミ姉様もサシャ先生も、贔屓目がすごいことになってるなぁ)



 シュリはちょっぴり苦笑し、サシャに身を任せるようにきゅっと抱きついて、



 「でも、これでリュミ姉様も少しは満足しただろうから、午後はちゃんと先生と一緒に居ますね」



 耳元でそうささやく。



 「い、一緒に?」



 耳元で聞こえる愛しい相手の声に、首元まで真っ赤になったサシャの様子に気づくことなく、シュリは少々疲れた体を休めるようにサシャにもたれ掛ったまま、



 「だって、害虫除けが、必要なんですよね? 本当は朝から一緒にいなきゃって思ってたんですけど、リュミ姉様が離してくれなくて。先生、大丈夫でした? 変なこと、されませんでしたか?」



 ちょっと眠そうな声で問いかける。



 「大丈夫です。みんな、シュリ君の決闘騒ぎで大忙しでしたし、シュリ君の魔法に釘付けでしたから」


 「良かった……じゃあ、結果的にちゃんと先生を守れてたんですね」



 重くなってきた瞼と戦いながらシュリは微笑んだ。



 「昨日はつい、立場を考えずに相談してしまいましたが、シュリ君に迷惑をかける訳には……」



 生真面目なその言葉に、頭をサシャの肩に乗せたまま、首を横に向けて彼女の顔を眠そうな瞳で見つめた。



 「迷惑じゃ、ないですよ? 僕、サシャ先生の力になりたいです」



 先生の事、大好きですから……寝落ち寸前、シュリはそんな言葉をこぼし、そしてうとうととまどろみ始める。

 サシャは、びっくりしたように己の肩に頭を預けて眠るシュリの顔を横目で見つめた。

 そして、



 (い、今のは生徒として教師としての私を好きだってことで……と、特別な意味なんて、ないに決まってます。無いに、決まってますとも)



 自分に必死にそう言い聞かせる。

 その顔は、耳から首元まで、見事なまでに真っ赤に色づいていた。

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