第二百二十九話 ある日の職員会議

 入学式の時から、規格外な少年だとは思っていたが、まさかこれほどだとは思っていなかった。

 その日。

 何度目になるか分からない、臨時職員会議に出席した教師達一同は、誰もがそんな思いを抱いていた。


 今日の議題ももちろん、今年の新入生の一人、シュリナスカ・ルバーノの今後の取り扱いについて。

 このまま順当に学校生活をおくらせるべきか、飛び級制度にて彼の能力にちょうどいい学年に編入させるべきか。

 学校長含め、教師の多くは後者を支持していた。


 反対している者は少数。

 そのほとんどは一年生の授業を担当している者ばかり。

 彼らは、シュリの能力の高さはイヤと言うほど思い知ってはいたが、反対の理由は授業でシュリに関われなくなるのが我慢できないと言う、少々利己的な理由がほとんどだった。


 その中で、唯一シュリの為を思って飛び級に反対する教師が一人。

 サシャ先生は、怜悧な美貌を引き締めて、他の教師達の顔を見回し、主張した。



 「彼はまだ入学したばかりなんですよ?友人もまだ少なく、これから作っていくという、彼にとっては大事な時期のはずです。なにも、ずっと飛び級をさせるなとは言いません。ただ、わざわざこの時期を選んで飛び級させなくてもと、私は言っているんです。大人の都合で振り回される、彼が可哀相だとは思いませんか?」



 そんなまっとうな申し立てに、飛び級反対派の教師達も口々に同意する。

 だが、飛び級推進派も大人しく黙ってはいなかった。

 立ち上がったのは、今回の入学式でその評判を著しく損じた校長先生だ。

 彼は年をとってやや縮こまってきた感のある体をしゃんと伸ばして、



 「ふむ。サシャ先生の申し分にも一理はあるのう」



 まずは、サシャ先生の主張をいったん受け止めた。

 だが、もちろんそのまま彼女の言うとおりにするつもりはもちろんなく。

 彼は奥まった目をギラリと光らせて、己の主張を展開する。



 「じゃが、シュリ君には可能性がある!!少しでも早く、彼の才能を伸ばしてやるのも、教師の努めじゃないかね?」


 「それは……」



 入学式であれほどのぽんこつさを見せた人物の言葉とは思えない正論に、サシャ先生も一瞬言葉に詰まった。

 それを見た大多数の推進派の教師達は、今こそ好機とばかりに一斉に声をあげる。



 「そうだ~。我々教師に、あの可愛らしいシュリ君の可能性を狭める権利はない!」


 「シュリ君は早く上の学年の授業に参加して、我々と一緒に勉強すべきだ!!」


 「一年の担当教員だけが、あの可愛い顔を毎日見れるなんて許せない!!」


 「私達だってシュリ君と毎日おしゃべりしたい!!」



 ……結果、なんというか、隠しきれない欲望が噴出した。

 しかし、反対派だって黙ってはいない。



 「シュリ君のすばらしい新入生生活を脅かす権利などあるものか!!」


 「シュリ君の、授業に真剣にのぞむ凛々しくも可愛らしい顔を見る権利は我々のものだ!!」


 「シュリ君とリア君、シュリ君とエリザベス君の絡みは至高のものだ!!彼らのクラスを分けてしまうなど、以ての外だぁぁっ!!」



 ……こっちもこっちで、なんともコメントし難い欲望が満載だった。

 サシャ先生は、そんな彼らを半眼で見つめる。

 このまま、この学校に居ることが、はたしてシュリナスカ・ルバーノという稀有な才能の少年にとって正しいことなのだろうか、と少々疑問を抱きながら。


 が、その考えを打ち消すように首を振る。

 周囲から見て、どれほど高い能力を備えているように見えようと、少なくともあの少年は普通の学校生活を送りたがっている。

 ここ最近、何度か行った面談で、彼は大人しく教師側の提案を飲み込んではくれたけど、その奥にはそういう思いが隠れているように思えて仕方がなかった。


 ならば、彼女に出来ることは、出来る限りシュリの思いを実現できるように努力する事だけ。

 シュリが、飛び級せずに新入生としての学校生活を満喫出来るよう。せめて、この一年間だけでも。


 彼をずっとこの学校にとどめておくことは難しいことは、サシャにも分かっている。

 彼はその才能のままにもっとずっと上まで昇っていける人間だ。

 サシャとて、その時がきたならもちろん、その背中を押してあげる気持ちはもちろんある。


 だが、どんなに優秀であろうとも、彼はまだ幼く、子供の時間というものは貴重なものであると、サシャはきちんと理解していた。

 彼の能力は、彼の子供としての時間を否応無く奪っていくことだろう。

 だからせめて……新入生としての最初の一年くらいは、子供らしく過ごさせてあげたいと思うのだ。


 本当だったら、他の学年での体験授業も、どうにかして蹴ってしまいたかった。

 飛び級推進派の圧力が余りに強く、結局退けることは叶わなかったが。

 シュリの将来を思い、考えに沈むサシャを尻目に、周囲の欲望はエスカレートしていく。



 「シュリ君が女の子じゃったら、わしゃ、絶対に放っておかんがの~。なにがなんでも個人授業の時間を割り込ませるところじゃが、男の子じゃしのう……」


 「いやいや、校長。シュリ君の愛らしさは性別を越えてますよ!私なんぞは、常日頃思っております。ついていてもいい……いや、むしろついている方がいい!!……と」


 「そうですな~。身体学の授業の体操服の半ズボンから伸びる足が何ともたまらなくて、私も授業が重ならないときは欠かさず見学に駆けつけてますぞ」


 「足もいいですが、ズボンにつつまれたお尻も、ぷりっとしててなんとも……」


 「先生、さすがに生徒に性的な目を向けるのはいけませんぞ」


 「性的なんてまさかまさか。私はあくまで、可愛らしい生徒を遠くから愛でてるだけですぞ?人聞きの悪いことは言わんで頂きたい」


 「ぬぅ……身体学の授業か。それは盲点じゃったわい……今度、わしもシュリ君のプリプリ具合を確認しに行ってみようかのぅ」



 暴走中の先生達は、反対派も賛成派も関係なくそんなバカな会話を繰り広げている。

 サシャは凍り付きそうな冷たい視線を、欲望にまみれた同僚達に向けながら、もしかしたら、と考える。

 もしかしたら、一気に飛び級をしてさっさと上の学校へ行った方が、シュリの為になるのかもしれない、と。


 そんなサシャの気持ちなど気づかないまま、シュリ談義で盛り上がる老若男女の教師陣。

 そんな彼らを、苦い表情でサシャは見つめた。



 「どの先生も、あの少年に夢中のようですなぁ」



 不意に隣に来たバッシュから話しかけられ、サシャはちらりと横目で彼を見る。

 筋肉過多で性格はやや押しつけがましく、彼を少々苦手にしているサシャではあったが、シュリに過剰な欲望……いや、愛情をぶつけない点に関しては、まあ、ほんのちょっぴりではあるが好感が持てた。



 「ええ。そのようですね……バッシュ先生は、そうじゃないんですか?」


 「私ですか?私には彼より他に、夢中になってる人がいますからね」



 言いながら意味ありげにサシャを見つめたが、サシャはそんな彼の視線に一切気づくことなく、バカ騒ぎが収まらない面々に再び視線を戻すと小さな吐息を漏らした。



 「全く、どの先生にも困ったものです。校長まで一緒になって……みなさんがバッシュ先生みたいに理性的なら、シュリ君も安心してこの学校で学べるんでしょうけれど」


 「いやぁ。サシャ先生にそう言って頂けるなんて光栄ですよ。どうです?今度一緒に食事にでも……」



 「こんな先生方ばかりでは、シュリ君の学校生活が心配ですね……」



 どさくさに紛れたバッシュ先生の誘いをあっさりスルーして、サシャ先生は物憂く呟いた。

 シュリの今後を憂うサシャ先生は気づかない。

 己の発言を軽く流されたバッシュ先生が少しむっとした顔をし、だがすぐに鼻の下を伸ばした彼の粘つく視線が自分の体を這い回っていたことを。


 彼女はこの場にいない、愛してやまない生徒の事を想う。

 そして、その胸の奥で、ある決意をひっそりと固めるのだった。

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