第百九十一話 入学式侵入阻止作戦!!⑨

 グランやイグニス、シェルファがさて仕事に取りかかろうとしていた頃、アリアもまた標的であるエルジャの部屋の前まで来ていた。

 彼の気配がこの扉の奥にあるのは分かっていたので、アリアはなんの気負いもなく扉を開けてずかずかと中に入り込む。

 入ってすぐのリビングスペースに彼の姿はなく、アリアはそのまま部屋に備え付けられている洗面台のスペースへと足をのばした。

 すると案の定、熱心に鏡をのぞき込んでいるエルジャの後ろ姿に出くわし、



 「……あなた、昔から自分の姿を鏡に映して見るの、異常に好きですわよね?」



 思わずぼそりと呟いた。

 間近で聞こえたその声にびくっと背中を震わせて、慌てた様子で振り返るエルジャ。

 振り向いたそこに水の精霊の美麗な姿を認め、一瞬驚きに目を見開いたものの、すぐにその目を細めその美しい上位の存在を軽く睨んだ。



 「水の精霊様、ですか。ようこそおいで下さいました、と言いたいところですが、男の部屋に勝手に入るのはいけませんよ?それが女性形態をとっている者の常識というものです。まったく、びっくりするじゃないですか。それから、人聞きの悪いことを言わないで下さい」


 「相変わらず、小うるさい男ですわね。それから、なんですの?人聞きの悪い事って」


 「私は別に、鏡を見るのが好きな訳じゃなくてですねぇ……」


 「なにをいってるのかしら?私に隠し事をしようとしても無駄ですわよ??まあ、昔から比べればその悪癖も少しはおさまっているようですけれど、小さい頃のあなたはそれはもう飽きないのかしらって思うくらい鏡の虜でしたわよねぇ?いつもいつも、うっとりして自分の顔を見てましたもの」


 「はははは……またまた、そんな当てずっぽうを……精霊様は、うちの里に来た事なんて無かったじゃ無いですか。当てずっぽうでしょ?当てずっぽうなんですよね??」



 幼い頃の自分の恥ずかしい姿をぴたりと当てられ、色を失うエルジャ。

 だが、里に来たこともない彼女が実際の事を知るはずがないと、乾いた笑い声と共に探るようにたずねた。

 そうであって欲しい、そうであってもらわねば困る、とばかりに。

 だが、現実は実に残酷だった。



 「あら?まあ、確かに里に直接出向いたことは無かったですけれど、あんなのちょっと視覚転移をすれば簡単にのぞき見できましてよ?私達、泉に四人だけで過ごしていて暇だったものですから、よく退屈しのぎに里をのぞいてたものですわ。あの里の住人は、意外と堅物が多いですから若干面白味が足りないと思っていましたけれど、あなたや、え~と、リリシュエーラ、だったかしら?変わり者の若い世代が出てきてくれたおかげで、結構娯楽には事欠きませんでしたわねぇ。まあ、あそこの里長も、私達の間ではなかなかの人気でしたけれど」



 さらりとそんな爆弾を投げつけられて、エルジャはがっくりと床に膝を落とし頭を抱えた。

 いきなり崩れ落ちたエルジャを、アリアは不思議そうに眺めて首を傾げる。



 「あら?どうしたのかしら??急に」


 「……いえ、お気になさらず……己の恥ずかしい過去をしる存在をいきなり目の前に突きつけられて、困惑と羞恥と絶望で、もうどうにかなってしまいそうなだけです」



 いったいどこまで知っているんでしょうか?ま、まさか、あんなことやこんなことまで……?とぶつぶつ呟くエルジャの後頭部を面白そうに見つめながら、



 「少々おおげさじゃないかしら?あなたの小さい頃は、数々のエピソードでそりゃあもう私達を楽しませてくれたものでしたけれど、そんな恥ずかしがるほどのことは……」



 気にすることはありませんわよ?と彼を慰めかけたアリアは、何かを思いついたようにはた、と手を止める。

 そして、



 「ありましたわね!ほら、アレ。あのセリフには、私達、しばらくお腹が痛くなるくらい笑わせていただきましたわ」



 ぽん、と手を叩き、それから思い出したセリフとその時の情景に、こぼれる笑みを隠そうともせずに、



 「確かあなたがまだ50歳にも満たない頃の、まだまだ若い枝の頃でしたわね~。あの頃のあなたは毎日日課のように鏡をのぞき込んでいたものですわ。それはもう、うっとりしながら。まあ、飛び抜けて綺麗な顔立ちをしてましたから仕方無いのかもしれませんけれど」



 さらに言葉を続けた。



 「あ、あの、水の精霊様??で、できればそれ以上は……」



 エルジャは忘れ去りたい過去を目の前に突きつけられ、だらだらと冷や汗を流しつつ、無駄とは知りつつもアリアに制止の言葉をかける。

 だが、そんな言葉でアリアが止まるわけもなく、



 「嗚呼、美しすぎる僕。花も恥じらうこの瞳、この唇……神様はどんないたずらでこんな美しい顔を作り上げたのでしょうか……もし目の前に僕と同じ顔の少女がいたならば、きっとすぐに求婚しますのに……唯一無二の僕であることが恨めしい……」



 情感たっぷりに、当時の若きエルジャのこの上もなく恥ずかしいセリフを再現してくれた。

 両耳を押さえ、再びうずくまるエルジャ。

 アリアはそんなエルジャを面白そうに見下ろして、



 「す、すてきなセリフですわよね??……ぷぷっ」



 口元を隠して小さく笑い、エルジャは頭を抱えたまま絶叫する。



 「や、やめて下さい~~~!!!私の黒歴史を掘り起こすのはぁぁ!!!」


 「あ、そう言えば、他のバリエーションもありましたわね?確か五、六パターンほど」


 「あああああ~~~!!!後生ですからお許しを~~~!!!」


 「そう?じゃあ、この話はこの辺りで……」


 「あ、ありがとうございます。たすかりました……ところで、わざわざお越しいただいたと言うことは、何か用事があったのではないですか?」



 立ち話もなんですし、ソファーへどうぞ?と素早く立ち直ったエルジャは、優雅にアリアをソファーの方へとエスコートする。

 そんな彼の姿を見ながら、アリアはふぅんと一つ頷いた。

 さっきの話はそれなりにダメージを与えたようだが、まだ再起不能とはいかないらしい。

 目的を達成するためには、もっとエルジャバーノの精神をえぐる必要があるだろう。

 そんな黒いことを考えつつ、エルジャに促されるまま、アリアはソファーに腰掛ける。

 そして向かいに腰掛けたエルジャを見つめ、余裕たっぷりににっこりと微笑んだ。

 エルジャはそんな彼女の笑顔を見て、ほんの一瞬怯み、それから気を取り直すように咳払いをしてから、



 「……わざわざお越しいただいたご用件をお伺いしても?」



 若干警戒心を漂わせつつ、だがまっすぐに切り込んだ。

 そんなエルジャの蛮勇に、アリアは笑みを深める。



 「勇気がありますのねぇ、エルジャバーノ。私に向かってそんな率直に」


 「勇気、というか……回りくどく言ったところで、あなた達相手では対して結果は変わらないのではと思いまして」


 「でも、まあ、そうですわね。では、こちらも率直に言わせてもらいますわ。シュリの入学式、参列するのは諦めなさいな」



 アリアの言葉を聞いたエルジャは一瞬息を飲み、それから大きく息を吐き出した。



 「やはり、その件でしたか……」


 「ええ。私がわざわざ言いにきたのですから、もちろん、諦めますわよね?」



 アリアは婉然と微笑んで決断を促した。

 上手くいけばこの段階でエルジャをくい止めることが出来る、アリアは彼の担当になった当初からそう考えていた。

 元々、エルフという種族の精霊に対する信仰は深く、エルジャが生まれ育ったあの隠れ里は特に、精霊信仰の篤い地だった。

 だから、エルジャの精霊に対する信仰心が彼の欲望に勝れば、この時点で止められるのではという予感はあったのである。

 しかし、



 「精霊様からのお言葉ですが、ここはお断りさせていただきましょう!!」



 エルジャはきっぱりと首を横に振った。



 「あら?あなたは私の言葉に従うと、十中八九思っていたのだけれど」


 「確かに、我らエルフにとって、あなた達精霊の言葉は神の言葉にも等しい。ですがっ!!今回ばかりは飲めません!!!なぜならっっ!!!」


 「な、なぜなのかしら?」


 「可愛い可愛い私のシュリが、入学式の晴れ姿を大好きなおじー様に見守ってもらいたいと、私がくるのを心待ちにしているからです!!!!」



 どぉぉぉん、と背後に効果音が聞こえてきそうなほど自信満々に言い放ったエルジャを前に、アリアは思わず額に手を当てた。



 「それは、あなたの思い違いじゃなくて?むしろシュリは、平穏無事に入学式を終えたいと……」


 「そんなのは、建前に決まっているでしょう、建前に!シュリの本当の気持ちは、一人で出席する入学式は心細い、おじー様と一緒にいたいと泣いているはずです!!」


 「で、でも、ですわね?同じ学校に従姉妹が二人通っているのですから、別に一人と言うわけでは」


 「なにを言ってるんですか?シュリは私が大好きなんですよ?私以外が一緒にいたところで、なんの足しになるというんですか!?」



 アリアの反論をすべて叩き切り、エルジャは呆れたように肩をすくめた。いつもシュリの近くにいるのになにも分かってないんですね、とでも言うかのように。

 その仕草に、カチーンときた。彼女の水色の瞳がすうっと細められる。

 だが、凍えたまなざしの水の精霊にも気づかずに、エルジャは自分とシュリのラブラブエピソードを得意げに語った。

 シュリがここにいたら、おじー様、それは盛りすぎだよ……とげんなりするぐらい、ラブラブ成分を盛りに盛って。

 いらっとしたところに、問答無用でそんな砂を吐きそうな話を聞かされ、アリアはそれほど長くはない自分の堪忍袋の緒がぷちーんと切れる音がはっきりと聞こえた気がした。



 「まあまあ。微笑ましいお話ですこと……時にエルジャ?覚えているかしら」


 「はい?」


 「あなた、ずいぶん長いことおねしょの癖が直りませんでしたわねぇ。確か、十を超える年までは余裕でおもらしを……」


 「わわわわわ~!!!いきなりなにを言い出すんですかぁぁっ!?そっそっそれは、シュリとは関係ないでしょう!?」



 慌てた声で制止するエルジャに逆らうことなく、アリアは一旦引いて矛をおさめるように見せかけた。

 だが、もちろんこれで終わりではない。

 彼女はにっこり微笑んで再び口を開いた。



 「あら、ごめんなさいね?じゃあ、話題を変えますわね?確かあなたが生まれて二十年を過ぎたまだ年若い頃だったかしら?冒険者を夢見たあなたは、一人森に分け入ってきましたわね?」


 「あ、ああ、そうですね。そんなこともありましたねぇ。懐かしい」



 エルジャが対した警戒心も抱かずに相づちを打ち、乗ってきましたわね、とアリアが内心ニヤリと笑う。



 「そこで、大した武器もないのに、子連れのビッグベアに運悪く出くわして、可愛らしいお尻を爪で引っかかれて、あのときは散々でしたわねぇ?」


 「ま、まあ、あのときは持ち前の度胸と機転でなんとか解決を……」


 「そうでしたわね~。あなたは賢い頭をフル活用して、ビッグベアの爪で引っかかれて丸出しになったお尻のまま、池、というか沼に逃げ込んでましたわねぇ~。うんうん、賢かったですわぁ」


 「ソ、ソウデスネ」



 それ以上はふれないで欲しいと言うようにエルジャが宙に目をさまよわせるも、アリアの方は許してやる気は毛頭ない。



 「当時のあなたは知らなかったでしょうけれど、あそこの水場は吸血ヒルの温床ですの。サーベルベアはそれを知っていたから、あなたを追わなかったんですわ。命拾いしましたわねぇ」



 ほほほ、とアリアが笑い、当時のことを思い出したかのようにエルジャの体がぶるぶると震え出す。

 それをみたアリアは、好機が来たとばかりにすぅっと目を細めた。



 「あら?もしかしてまだ痛むのかしら?当時の私達、本当に心配しましたのよ?ほら、お尻に穴があいたままヒルの温床に飛び込んだせいで、言葉では言えないような場所までヒルに蹂躙されてしまったでしょう?あなた。一番大変だったのは、やっぱりアレですわよね?男の子の一番大事な所の先っぽに……」


 「ちょ、ちょっとぉぉぉ!?どうしてそんなことまで知ってるんですかぁぁぁ」


 「あら、ですから視覚転移で……」


 「その視覚転移、どれだけすごいんですか!?怖いですよ!!!」


 「まあ、見ようと思ったら見えないことなんてないんじゃないかしら?特にあなたは面白い話題を提供してくれる貴重な存在でしたし、私達四人ともあなたにちゃんとマーカーをつけてたんですの」



 ですから、あなたの話題には事欠かないんですのよ?とアリアは余裕の笑みを投げかける。



 「シュリの入学式、諦めてくれますわね?」


 「うっ、ううう……」


 「そう言えば、こんなこともありましたわね?あなたの初恋の顛末。アレの失敗も、確かヒルのトラウマで……」


 「わー!わー!わーっっ!!分かりました!!諦めます!!諦めますから、このことはシュリにはくれぐれも内密に……」



 これ以上聞きたくないと耳をふさぎ、エルジャバーノはとうとう降参宣言をした。

 それをみたアリアがにぃぃっと笑う。それは普段の淑女の笑みとは全く違う、真っ黒黒な笑みだった。



 「あらぁ?もう降参?もう少し粘ると思って用意した面白いお話がまだまだありますのよ?もうちょっと、お話ししてもいいんですのよ??」


 「……も、もうご容赦下さい。私の精神力は、もうマイナスですよ……」



 こんなこと、シュリに知られてしまったら、ダンディで頼れるすてきなおじー様像が壊れてしまいます、と突っ伏したエルジャバーノを満足そうに見つめた後、アリアはソファーから立ち上がる。

 エルジャが陥落した以上、もうここにいる必要はない。さっさと立ち去るのみだ。

 ドアを開け、部屋を出ようとしたところで彼女は一度立ち止まり、エルジャの方を振り返る。

 そして、



 「そう言えば、あなたが不能のままじゃなくてよかったですわ。あなたが役立たずのままだったら、シュリの母親は生まれなかったですし、そうなればもちろん、シュリも生まれなかったでしょうから」


 「……」


 「根気よくあなたをその気にさせてくれたヴィオラに感謝ですわね~」


 「里を出た後のことまでお見通しですかっ!?どんだけ私にご執心なんです!!??」


 「ふふふ。たまたまマーカーを外し忘れてましたのよ。まあ、流石にそのタイミングで外しましたから、それ以降のことは余り詳しくはないですけれど、ね」


 「ああああああ~~~~、悪夢だぁぁぁ」



 再び突っ伏したエルジャを尻目に、アリアは彼の部屋を出て扉を閉めた。



 (ふふ。まあ、思った通りに上手くいきましたわね)



 とほくそ笑み、他のみんなは上手くやりましたかしら、と思った所でイグニスから念話が届いた。



 『アリア、そっちはどうだ?こっちは、まあ、終わったぜ?グランも終わったみてぇだ』


 『あら。私もちょうど今、仕事を終えたところですわ。お疲れさまでしたわね。では、当初の予定通り、シュリの部屋で一度落ち合ってからヴィオラの部屋へ向かいましょう……大人しくしていてくれればいいんですけれど』


 『どうだろうなぁ?アレはバカすぎて、さすがのアタシにも読み切れねぇ。シェルファぐらいのレベルなら……いや、今はちょっと、シェルファのこともわかんなくなってきたな……』


 『なにか、ありましたの?イグニス??』


 『いや、なんでもねぇ。じゃあ、シュリの部屋でな』


 『ええ。では後ほど』



 そんなやりとりの後、とりあえず私達の担当は無事無力化出来たようですわね、と安堵の息をもらす。

 そして、いそいそと急ぎ足で仲間の待つシュリの部屋へ向かうのだった。

 この時点で。

 ヴィオラの部屋はイルル達眷属組を含め、もぬけの殻になっているのだが、今のアリアにはまだ知る術もなかった。

 

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