第百八十九話 入学式侵入阻止作戦!!⑦

 「ん~、カイゼル・ルバーノは、今、どこに居る??」



 皆と別れ屋敷内をすたすたと歩きながら、グランは自分の標的の居場所を探る。



 「ん??お、これか??」



 すぐにそれらしき気配を察知した彼女は、急ぎ現地へ駆けつけたが、カイゼルがいると思しき場所の扉の前で、ぴたりと足を止めた。

 心底困ったような表情を浮かべて。



 「ここは、もしや……いや、もしかしなくても、人間の用足し場か。しかも、どうやら、男性用のようだな……」



 グランは顔に羞恥の表情を浮かべ、独り言のように呟く。


 いきなりだがここで、この世界でのトイレ事情をちょっと説明しておこう。

 この世界では、貴族階級や商人など、それなりの資産を持つ家庭ではほぼ現代日本の一般家庭備えられているレベルに清潔なトイレが備えられている。

 まあ、こちらの世界とは違い、魔法を組み込んだ魔道トイレと呼ばれる代物であるが、形態は一般的な洋式便器とほぼ同じ。

 残念ながらウォシュレット機能は組み込まれていないが、現代日本人であっても十分に満足できるレベルの清潔感を保つものである。

 まあ、かなり高価なものなので、庶民には手が出せない代物ではあるが。


 このトイレには、物心がついて自分でトイレに行き始めたシュリもほっとしたものである。

 正直、現代日本のトイレ事情に慣れきった身としては、あまり原始的なトイレだと辛いなぁと、内心思っていたから。

 そういう意味で、ルバーノ家に備えられているトイレはシュリにとっては十分に満足できるものであった。

 加えて言うと、ルバーノ家はトイレ設備にはそれなりに力を入れていて、流石に各部屋に備える程ではないものの、中に入ると個室が二つ備えられたトイレが男女別に用意されていた。


 そんなルバーノ家のそれなりに清潔な男子トイレで、カイゼルはどうやら、今、絶賛用足し中のようだ。

 大きい方か小さい方かは分からないが。



 「う、む。急いで片づけなければならないのだが、用足し中では仕方ないな。少し待つか……」



 見た目からは想像できないほどの純情さを持つグランはコホンと咳払いをして、扉から目を逸らしつつ廊下で待つことにする。

 そうして、待つことしばらく。

 だが、カイゼルはいっこうに姿を見せない。

 もう一度彼の気配を探ってみるが、彼は確かにその扉の奥に居た。



 (何故だ!?何故出てこない!?なにか、不測の事態でもあったのか……?)



 意を決して男性専用の扉の向こうへ乗り込むべきか、このままここで待つべきか、悩んでいる内にも刻一刻と時間は過ぎていく。

 これがアリアであれば顔色一つ変えずにさっさと中へ入っていくところであろうが、ここにいるのは長く生きてはいるものの、男に関する人生経験を全く積んでこなかった奥手な女。

 問答無用で男子トイレに踏み込む事は、流石にハードルが高すぎた。



 (くっ……!!何故出てこぬのだ!?)


 『グラン?』



 男子トイレの扉を親の敵のように睨みつけ、じりじりしながら待っているグランへ、不意にアリアの声が届いた。



 『アリア?どうした?も、もしやもう終わったのか??』



 脳裏に響く彼女の声に、もしやもう任務を終えたのかと、思わず探るように問いかけてしまう。



 『いえ、まだこれからですわ。グランの方はもう終わったんですの?』


 『いっ、いやっ。まっ、まだだ。その……すまん』


 『別に謝らなくても良いですけれど。でも、グランがそんなに手間取るなんて珍しいですわね。あなたの事だから、さっさと済ませてると思ってましたけど……なにか、不測の事態でもあったんですの?』


 『ふっ、不測の事態というか、なんというか、その……』



 アリアの問いかけに、グランは顔を俯かせてチョコレート色の肌を色濃くする。

 ちょっと恥ずかしそうに言いよどみ、だが、結局は今の状況を包み隠さずアリアにぶちまけた。



 『なるほど。カイゼルが男子トイレから出てこない、と。また、このタイミングで、厄介な男ですこと』


 『そっ、そうなのだ。わ、私はどうしたらいいだろうか……』


 『あなたはしっかり者で頼りになりますけれど、その少々純情すぎるところが時々面倒ですわね~……でも、ここは心を鬼にしていいますわ!グラン?』


 『な、なんだろうか?』


 『恥ずかしがってないでさっさと踏み込んでおしまいなさい。大丈夫。私達にとってシュリ以外の男なんて路傍の石と一緒ですわ。それに、私達には時間がありませんのよ?』


 『う……しかし、路傍の石といわれてもな……だって、用足しの場所だぞ!?色々と、その、余計なものが見えてしまうかもしれないじゃないか……』


 『あ~はいはい。でも困りましたわね~。このままではシュリを失望させてしまうかもしれませんわね~?』


 『そっ、それは困る!!だめだ!!!』


 『……じゃあ、どうすればいいか。あなたなら分かりますわよね?グラン?』


 『む、むぅ』


 『そこが片づいたら、あなたにはイグニスとシェンファの様子見と補佐を頼みたいんですの。私ももちろん、早く終わればフォローに動きますけれど』



 頼れるのはあなただけなんですのよ?とでも言いたげなアリアの口調に押されたように、グランはとうとう頷いた。

 断崖絶壁から飛び降りるような、決死の思いで。



 『わ、わかった。なんとかする……』


 『シュリのために、お互い頑張りましょうね?グラン』


 『あっ、ああ。頑張ってみる』


 『じゃあ、また後ほど』



 アリアの言葉を最後に念話は途切れ、グランはまだカイゼルの出てこない女性禁制の場所への扉を睨んだ。

 だが、睨んでるだけではどうにもならず、ため息をかみ殺しつつ、扉の前まで進み出る。

 そして、ドアを開けるために手をかけたところで、もう一度固まった。

 そうしてしばしフリーズした後、グランはそっと扉に耳を寄せた。

 どうやら、いきなり扉を開けての乱入はハードルが高かったようだ。彼女はひとまず、中の様子をうかがうことにしたらしい。



 (聞きたくはない……聞きたくはないが、聞くしかないのだ)



 己に言い聞かせながら、聴力を上げていく。

 精霊であるグランにとって、そういった身体能力の操作は割とお手の物なのである。

 だが、聴力を上げてもそれらしい音は聞こえてこなかった。

 まあ、あまり汚らしい音を聞きたく無かったグランはちょっとほっとしつつ、じゃあ、何でカイゼルは出てこないのだ?と首を傾げながら更に耳をすませた。



 「う、うぬぅ。だ、出し尽くしたはずなのに、腹がっ、腹が痛いっ!!こんな日に限ってなんということだ……」



 すると憔悴しきったようなカイゼルの声が耳に引っかかってきて、なんだ、腹を壊していただけか、とグランは頷きつつ、次の情報を待った。



 「しかし、原因はなんなのだろうな……やはりアレか?シュリの入学式についワクワクして、早朝から服をとっかえひっかえしたせいなのか?それで腹が冷たのがいけなかったのか!?」



 どうやらカイゼルは、シュリの入学式に潜入することが待ち遠しすぎて、朝から一人ファッションショーを繰り広げていたらしい。

 春先とはいえ、今朝はまあそこそこに冷え込んだから、腹をこわすのも無理はないかもしれない。



 「いや、しかしな……それだけでこんなに腹が痛いのは少々納得がいかんな……はっ!!もしやあれか!?昨晩、あわよくばシュリと一緒に風呂に入ろうと行った、風呂場での裸待機が長すぎたというのか!?アレは流石に、寒かった。脱衣所があんなに寒いとは流石のワシにも予想外だった」



 今度、脱衣所用に温熱の魔石を購入してくるか、と呟く声を拾いながら、グランは呆れたように目を細めた。

 朝からのファッションショーだけでなく、最近一緒に風呂に入ってくれないシュリを風呂場で捕まえようとして、真っ裸で待ちかまえていたようだ。

 それも、どうやら浴室ではなく、脱衣所で待機していたらしい。そりゃあ、腹も壊すだろう。



 「だが、そんなことでこんなに腹を痛くするか?……考えたくないが、やっぱりアレか?裸でブルブル震えるワシにちょっと引きながらメイドが教えてくれた、シュリはもう入浴を済ませたという情報に踊らされて、つい出来心で風呂の湯を飲んだことが……」


 (だっ、だめだぁっっっ!!これ以上は聞いてられん!!!みっ、耳が汚れるぅっっっ!!!!)



 流石に許容できかねるカイゼルの変態発言に、グランは両耳を押さえ、頭をぶんぶんと勢いよく降った。

 そして、思う。こんな変態をシュリに近づけちゃいかん、と。

 出来ることならさくっと存在を抹消デリートしてしまいたい所だが、シュリの親族であるカイゼルをそう簡単に排除してしまうことも出来ない。

 しばし考えたグランは、



 (とりあえず、閉じこめてシュリの入学式に行けないようにした上で、変態性の矯正、だな)



 大きく頷き、もう躊躇することなく男子トイレの禁断の扉を開いた。

 そして、カイゼルが籠もっていると思しき個室の前に立ち、



 (まずは、逃げ出せないように扉をがっちがちに固めてしまおう。ネズミ一匹抜け出せないように)



 土の力で、個室の扉をがっちり固め、扉の下の隙間や上の隙間もしっかりふさいでおく。



 (あ、空気穴だけは開けておかんとな。人は空気がないと簡単に死ぬから、気をつけねば)



 抜かりなく空気の通り道も所々作り、閉じ込める事は簡単に終了した。

 後はアレである。変態性の矯正の方を何とかしなければ。

 時間があれば、グラン自らが説教をしてやりたいところだが、今は少々時間がない。

 仕方ないので、自分の性格を転写した土人形を使うことにした。


 扉に手を当てて、土人形をイメージする。今回は戦闘を行わせる訳でもないということで、小さくてシンプルな土人形を三体、作り上げた。目も鼻もないのっぺらぼうちゃんである。

 便座に腰掛け、腹の痛みにうんうん唸っていたカイゼルは、いきなり目の前に現れた身長30cmほどで三頭身ののっぺりした三体の茶色い人形に思わず目をむいた。



 「な、なんだぁ!?これは??」



 三体は、とととっと走り、便座に腰掛けたまま驚愕するカイゼルを三方から囲むと、彼の顔を見上げて偉そうに腕を組む。

 そして、



 「一人ファッションショーはまあいい」


 「可愛い甥と風呂に入りたいと思う気持ちも、まあ、わからんでもない」



 口々に、グランの声で言葉を紡ぐ。

 カイゼルは、目の前のシンプルすぎる人型から聞こえる、凛々しい女性の声に、目をぱちくりした。

 人型が示すのはまずは共感。

 だが、次の瞬間、三体の人型はくわっと目を見開いた。



 「「「だがっ」」」



 目を見開いたというが、開かれた目の奥に眼球など存在するわけもなく、そこには薄気味悪い空洞があるのみ。

 カイゼルは思わず得体の知れない恐怖にひいっとその身をすくませる。



 「いくら可愛いとはいえ、甥の使った風呂の湯を飲むのは悪っっ!!!」



 妙な威圧感を発する土人形が次に伝えたのは断罪の言葉。

 その内容に、



 「なっ!!!!なっ、なぜそれを!?」



 カイゼルが驚いたような声を上げる。それを扉の外で聞いていたグランにいわせれば、何故もなにも、さっき自分でいっていただろうに、と呆れる思いだが、自分の独り言を聞いていた存在が居るなど夢にも思わないカイゼルはどこまでも真剣だった。



 「この変態!」


 「ちっ、ちがっ!?ワシは、変態などでは……」


 「変態は害悪!変態は排除!!」


 「だっ、だから、ワシは変態では……」


 「問答無用!!変態にシュリの伯父である資格はない」


 「ちっ、ちがうんだぁぁ。ワシは、ワシはただ、シュリが可愛くて……」


 「この変態」「この変態」「この変態」


 「やっ、やめてくれぇぇぇ~~~!!!ワシは、ワシはぁぁ!!!」



 三方向からの波状攻撃に、ついには頭を抱え込むカイゼル。

 その悲鳴にも似た声を聞きながら、グランは男子トイレを後にする。時間がない、後はあやつらに任せよう、と。

 グランも鬼ではないので、カイゼルを一生閉じこめるつもりはもちろん無い。

 ドアをふさぐ土の壁の効力は、シュリの入学式が終わる昼過ぎには解除される予定だし、カイゼルを責め諭す土人形たちは、カイゼルが改心したと判断されれば消える予定だ。

 まあ、カイゼルの変態性の改心が見られなければ、いつまでも彼につきまとうだろうが。



 (まあ、だが、とりあえず私の仕事は終わりだな。イグニスとシェルファの様子でもうかがってみるか)



 男子トイレの扉をパタリと締め、気持ちを切り替えたグランは一仕事を終え、すっきりした顔で一つ頷く。

 こうして、シュリの入学式への脅威一つは無事封印された。

 激しい変態撲滅攻撃にさらされ、真っ白に燃え尽きたカイゼルが、たまたまトイレ掃除にやってきたメイドに発見されるのは、これよりずいぶん後の話である。

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