間話 フィフィアーナ姫

 鮮やかなストロベリーブロンドに、淡い水色の夢見る様な瞳。

 誰もが愛らしいと言ってくれるその外見が、フィフィアーナは大嫌いだった。

 物心ついたときからピンクという色自体、好きじゃなかったし、鏡を見る度にいつも思った。

 可愛らしい甘さよりも、むしろ研ぎ澄まされた鋭さが欲しいと。


 だが、現実は残酷で。

 フィフィアーナをなによりも愛してくれる父も母も、彼女の愛らしさを更に磨く事への努力を惜しむことは無かった。

 気がつけば、彼女の部屋は甘ったるい色とレースにまみれ、ベッドを占領するのは役にも立たないぬいぐるみ達。

 クローゼットに詰め込まれる服のどれもが、彼女の髪や瞳、愛らしい顔立ちを引き立てるような甘くて豪華なドレスばかりだった。


 幼いながらに、そんな生活にこっそりため息をつく日々を過ごしていたフィフィアーナの元に、ある日、美しい騎士がやってきた。

 その騎士の名前はアンジェリカ。父である国王付きの近衛の偉い人なのだという。


 だがその人は、凛々しく美しいのにそれを傲らず、どこか謙虚で温かで、ちょっと抜けていて。

 さらには、実際の年齢よりも若く見える容姿があいまって、とても偉い人のようには見えなかった。

 その人を見た瞬間、フィフィアーナは雷に打たれた様な気がしたものだ。

 そんなことある訳ないのに、アンジェリカによく似た人を知っているような気がして、胸がドキドキしたことを覚えている。

 胸がドキドキして、だけどなんだか切なくて。

 彼女の顔を見上げたまま、気付けばフィフィアーナは声も上げずに涙をこぼしていた。


 挨拶に来てみたら、いきなりお姫様が泣き出して、焦りつつも困った顔をしたアンジェリカは、懐から妙に乙女チックなハンカチを取り出して、フィフィアーナの涙を優しく拭ってくれた。

 絶世の美男子の外見なのに、乙女なハンカチ……そのちぐはぐな組み合わせに思わず笑ってしまいながら、彼女らしいな、となぜか思う。

 思いながら、フィフィアーナは彼女の袖口を掴んだ。もう離さない、そう宣言するように。

 そして、舌足らずな口調で、彼女に自分付きになるように命令し、そのまま彼女に抱き上げて貰って父王の元へと向かった。


 アンジェリカを自分の専属に欲しいとの娘の願いを、王は快く聞き届けた。

 生まれてから、我が儘という我が儘を言ったことのない姫の、初めてのお願いだったからだ。

 その日から、アンジェリカはずっとフィフィアーナと一緒だった。その身も、心も。

 ある日突然、どこの馬の骨ともしれない輩に、アンジェリカが心を奪われてしまうまでは。





 あの日、アンジェリカは街に来ている旧友に会いに行くと言って、外出していた。

 まあ、元々、彼女に当てられた休養日だったし、休みの日まで彼女を縛るつもりの無かったフィフィアーナは、我が儘を言わずに彼女を送り出したのだ。


 だが、帰ってきた彼女を見て驚愕した。

 たった一日……いや、ほんの数時間目を離しただけだというのに、アンジェリカは女の顔になって戻ったのだ。

 正確には、恋する女の顔、と言うべきかもしれないが。


 一体どこの馬の骨が私のアンジェリカに手を出したのかと、可愛らしい顔立ちが災いして全く鬼のように見えない憤怒の表情を浮かべていると、彼女の方から事細かに今日の出来事を語ってくれた。

 それはもう嬉しそうに、幸せそうに。


 友人を捜しに街にでて、偶然その友人の身内に出会ったこと。

 その少年は、フィフィアーナより二つほど年上の五歳の男の子で、名前はシュリと言うこと。


 それ以外にも、アンジェリカは色々話してくれたが、正直、頭に血が上っていて良く覚えていない。

 覚えているのはシュリと言う名前だけだ。

 フィフィアーナの大切なアンジェリカの心を、ぽっと出てきて、ひょいっとかっさらっていった、憎んでも憎みきれない相手の名前だけ。


 それからは毎日の様に、アンジェリカの口からはシュリと言う名前が少なくとも十回は語られた。

 その名前を口にするアンジェリカが、幸せそうに頬を染め、愛おしそうにその瞳を細める様子を見る度に、フィフィアーナのシュリに対する憎しみは募っていった。

 そして、とうとうフィフィアーナはシュリに対面する事になる。


 シュリという泥棒猫は、どうやら国の英雄とも言うべき名高い冒険者、ヴィオラ・シュナイダーの孫に当たる存在らしい。

 今回は、王国の国境近くの街・スベランサでの亜竜の大量発生と暴走を見事くい止めた功績を讃えると言う名目で呼び出されたヴィオラ・シュナイダーに、どうやらそのシュリという孫も一緒についてくる様なのだ。


 父も母も、ヴィオラと面識を持っておくと、困ったときにきっと助けてくれるはずだからと、彼女にフィフィアーナを会わせたいと考えているようだ。

 さらに、ヴィオラの孫と年も近いから仲良くなってくれるといいな~、なんて野望も抱いているようだが、そんなのはまっぴらごめんだ。


 まあ、百歩譲って、ヴィオラ・シュナイダーとは仲良くしてもいい。

 だが、アンジェリカの心をかっさらった泥棒猫とは、金輪際、仲良くするつもりなんかない。

 泥棒猫がどんな卑しい顔をしているのか、しっかり拝んでやろうじゃないか、そんな心持ちで向かった私的な謁見の場に、そいつはのんきな顔をしてぼんやり立っていた。

 姫らしく、まずはヴィオラ・シュナイダーに声をかけ、それから改めて泥棒猫へと向き直る。



 「シュリナスカ・ルバーノです。初めまして、フィフィアーナ姫」



 そう言って頭を下げたそいつは、確かに美しい顔立ちをしていた。

 まだ幼さの方が勝っているせいもあって、美しいというより愛らしいという方がふさわしいような美貌だが、あと数年でそれもまた変化してくる事だろう。

 少しずつ、少年らしい凛々しさが出てきて、あっという間に道行く女達が誰もが見ほれるような美しい少年が出来上がるに違いない。

 まるで、絵物語の王子様の様な色彩と美貌に、フィフィアーナはぎりっと歯を食いしばった。この軟弱な顔で、私のアンジェリカをたらしこんだのか、と。


 まるで悪気のない、無邪気なまでのまっすぐな眼差しが、純粋な好意を浮かべてフィフィアーナを見つめていた。

 アンジェリカの事が無く、ただ普通に初めて会っただけだったら、きっと彼に好意を抱いていたかもしれない。

 彼のまとう空気は、少しだけアンジェリカに似ていたから。

 綺麗なのに、それを傲ることなく、むしろ己の美貌に無頓着で、どこかのんびりした穏やかな犬を思わせる様なところが。

 だが、今はむしろそんな共通項さえも腹立たしい。

 しかし、いつまでも黙っているわけにもいかないだろうから、仕方なくフィフィアーナは口を開いた。



 「あなたが、シュリ?」



 と、自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。

 私、こんな声も出せたのね?と自分自身も驚いたが、それ以上に周囲の大人がうろたえていた。

 それも仕方がない。今日の今日まで、アンジェリカの前以外では、滅多に我が儘も言わない、品行方正で温厚な姫君で通してきたのだから。



 「え~っと、シュリ?フィフィアーナに何か変なことでもしたの?」



 そんな質問をシュリにぶつけたのは、その祖母のヴィオラ。シュリは訳が分からないと言う顔で、首を横に振っている。

 そんなシュリの、困った顔を見ていると、少しだけ胸がすっとした気がした。

 だが、そんなわずかな清涼感は、次の瞬間に吹っ飛んでしまう。

 愛しい相手が困っているのを見かねたアンジェリカが、逆効果になることもわからずに解決に乗り出してきたからだ。


 長い足で、あっという間にシュリの元へ駆けつけたアンジェリカは、シュリの後ろに立って彼の細い肩に両手を置いた。

 その瞬間、彼女がちょっぴり嬉しそうな顔をした事を、他の誰が見逃してもフィフィアーナが見逃す事は無かった。

 あまりの苛立たしさに、ぎぎぎっと歯をこすり合わせる。

 その音がわずかに漏れてしまったのだろう。

 シュリナスカ・ルバーノが驚いたような顔でこっちを見た。

 目をまあるくして、こんなに奴を嫌っていなければ、可愛いとすら思える表情で。

 フィフィアーナは、そんな彼を憎々しげににらみ返す。

 そして、アンジェリカの口から語られるシュリの話を聞くという苦行に顔をしかめた。


 語られたのは、もう耳にタコができるほどに繰り返し聞かされた話だ。

 シュリが街の人を助けて、その姿が王子様みたいだったと、アンジェリカが頬を染める。

 そして、シュリに可愛いと褒められたとかで、アンジェリカは更にその綺麗な顔を真っ赤に染めた。



 (なによ!?私だって毎日、アンジェリカの事を可愛いって褒めてるじゃない!?)



 その自分の言葉とシュリの言葉の、一体なにが違うというのか。

 少なくとも自分の方が、より愛情を込めてアンジェリカを褒めているはずだと言うのに。

 アンジェリカに褒められて持ち上げられ、居心地悪そうにしている目の前の少年が憎たらしくて憎たらしくて、思わず。



 「……この、女ったらしのくそガキが!!」



 そんな本音が口からこぼれ落ちてしまった。

 いけないいけない、姫ともあろうものが、こんな言葉を口にしたら……そうは思うが、もう出てしまったものは仕方がない。

 幸い、ほとんどの人には聞こえなかった様だからセーフだろう。

 唯一聞いていたらしい目の前のシュリナスカ・ルバーノだけが驚愕の眼差しでこっちを見ていた。

 彼の見ている前で、フィフィアーナはアンジェリカに問いかけた。シュリの事が好きなのか、と。

 自分の気持ちを認めきれないのか、アンジェリカは答えを渋っていたが、最後には認めた。



 「えーっと、その……は、はい。好きです。すみません」



 と何とも彼女らしい答え方で。

 なんだかもう、目の前の泥棒猫を、さくっと抹殺したくなってきた。

 そうすれば、アンジェリカの心を惑わす奴はいなくなる。

 悲しむ彼女の事は、ゆっくりと優しくフィフィアーナが慰めてあげればいいのだ。

 だが、そんなことが出来ようはずも無いことは分かっている。

 自分の想いの為に誰かを犠牲にする事など、フィフィアーナには出来ない。

 出来ないけれど、悔しくて、苦しくて、苛立たしくて。どうにもこうにも歯ぎしりが止まらない。


 更にそれは、どうにかしてシュリとフィフィアーナの関係性を良好にしようと空回りするアンジェリカのせいでどんどん激しくなっていく。

 このまま、自分の歯はすり減って無くなってしまうのではないかと思うほど。

 そんなフィフィアーナを、シュリが心配そうに見つめてくるのが、また妙に腹立たしかった。

 あんたに同情される覚えなんかない、フィフィアーナはシュリを睨み、思う。

 そして、



 (覚えてなさい、シュリナスカ・ルバーノ。いつかあんたという存在を軽々越えて、アンジェリカの心を奪還してみせるんだから!)



 心の中で呟いたその言葉を己の誓いとし、フィフィアーナは一言一句たがうことなく自分の胸へと刻み込んだのだった。

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