第百四十五話 エルフの里のお騒がせ娘②

 里の中に上位精霊の気配を感じたときは、まさかと思った。

 彼女が生まれ落ちてから今日のこの日まで、そんな事は一度もなかったからだ。


 祖父は言う。


 昔はそれこそ、上位精霊と共に生きる精霊使いはざらにいたのだ、と。

 それが徐々に数を減らし、最近は主を持たない上位精霊を探すのも困難になった。

 それでも探せば、己の精霊を持つ精霊使いは居るのだと言うが、閉塞や停滞を好まない彼らがこの里へ訪れることは、今ではほとんどない。

 数少ない精霊使いは貴重で、どの国でも彼らを求める声は多いと聞く。

 そう言った国からの誘いを蹴ってまで、こんな秘境のような場所にひっそりと存在する小さな里へやってくる物好きなど、いないと言うことなのだろう。


 幼い頃から偉大な精霊使いになることを夢見てきた。

 精霊との感応力も強く、精霊魔法も得意だったから、きっといつか自分だけの強く美しい精霊を手に入れるのだと、そう思い続けて百年近く。

 その願いは、まだ実現には至っていない。

 森に、上位精霊が複数住んでいると噂される泉があることは知っていたし、何度か足を運んだ事はあるのだが、なぜか一度としてたどり着くことは出来なかった。

 なんでだろうと祖父に聞いたら、



 「精霊がお前と会いたいと思ったら、おのずと泉への道は開けるものじゃ。あきらめず、精霊に話しかけなさい」



 そう教えてくれた。

 その日から、一日とて欠かさずに、朝に夕にと精霊に話しかけるのが日課になった。

 その結果、小さきもの達とは随分仲良くなったとは思う。精霊魔法の威力も精度も上がった。

 だが、それだけだ。

 相変わらず森の泉へ行くことは出来なかったし、他の上位精霊が彼女を求めてやってきてくれることも無かった。

 里に精霊の気配を感じたのは、いつになったら精霊は、私を求めてくれるのだろうかーそんな思いに焦燥が募り始めた頃だった。


 気配は五つ。

 小さな小さな気配だし、その内の一つはなんだか様子がおかしかったが、彼女にははっきりと感じられた。

 そして歓喜した。とうとう、精霊に認められたのだと。それも、一度に五人の精霊から。


 どきどきしながら、彼女は精霊がやってくるのを待った。

 だが、どうにも様子がおかしい。

 精霊の気配は里に入ったものの、里の入り口付近にとどまっていた。

 いくら待っても里の一番奥まった所にある里長である祖父と彼女の家にやってくる様子がない。

 里の入り口に、なにかあったろうか?と考えて、ある解答にたどり着いた彼女は愕然とする。


 そこにあるのはあの男の家だ。


 優秀だ、天才だともてはやされる彼女が思わず嫉妬を覚えるほどの精霊使いの才能を持つ男。

 一度はこの里の閉鎖的な部分を嫌って飛び出していった元冒険者。

 まさか、精霊は、彼女ではなくあの男を選んだというのだろうか。

 彼を慕う教え子を放り出して何十年も里に戻らなかったようなろくでなしを。



 (そんなの、ゆるせない)



 彼女はわき上がる嫉妬と怒りのままに、里長である祖父を焚きつけた。

 エルジャバーノが精霊を独り占めしようとしている、と。

 孫に甘い祖父がその言葉を疑うはずもなく、彼女の言うがままに里人を集め、大挙して村はずれの家を目指した。


 案の定、近づけば近づくほど精霊の気配は顕著になった。

 あえて力を押さえているのか、その気配は妙に希薄だったが、精霊を感じる力が人一倍強い彼女には精霊がそこに居ることははっきりと感じられた。

 押さえていてもなお輝く様な精霊の存在感に、彼女は興奮を抑えられなかった。


 エルジャバーノを説き伏せて、一目会うことさえ出来れば、精霊はきっと彼女の資質に気づいてくれる。

 そして、ぜひ己の主となって欲しいと膝を折るに決まっているのだ。

 そう確信して、エルジャバーノの家の扉を叩いた。


 だが。


 大勢で取り囲み、精霊を出すように説き伏せた彼女達を前に、エルジャバーノは信じられないことを言った。

 家にいる精霊は主持ちだと言うこと。

 しかも、精霊を従えているのは、ただ一人の人だと言うのだ。


 家の中に感じる精霊の気配は四つ。

 後一つ、眠っているような気配の精霊も居るが、それは別にして、四人の精霊を一人の人間が統べているのだとエルジャバーノは言う。

 そして、それを成しているのは、エルジャバーノの幼い孫息子だとも。


 正直、信じられなかった。

 遙か昔はともかく、近年では複数の精霊を従える者など聞いたこともない。

 それはおとぎ話の中の存在だ。そんな者が、現実にいるはずがない。


 だから、エルジャバーノに求めたのだ。精霊を従える本人に会わせろと。

 渋るエルジャバーノを見て思う。

 ほら、やっぱり嘘なのだ、と。

 ならば、せいぜい困らせてやろうと駄々をこねたら、なんと、エルジャバーノは渋々ながらも承諾したのだ。

 これには少し、驚いた。


 まさか、本当なのだろうか。

 本当に、一人で四人の精霊を従える大精霊使いがここにいるのだろうか。

 信じられない。だが、もし本当にいるのだとしたら会ってみたい。

 そんな矛盾した思いのままに、エルジャバーノが消えた扉を睨むように見つめる。


 そうして彼女がじっと見つめる中、扉は思いの外早く開いた。

 そこから出てきたのは、仏頂面のエルジャバーノと、彼と手をつないだ小さな男の子。


 銀色の髪がきらきらと光を反射してキレイだった。

 顔立ちは、さすがエルジャバーノの孫と言うだけあって、文句なしに美しくも愛らしい。

 純真な淡い紫の瞳が無邪気にリリシュエーラを見上げていた。







 「この子がシュリですよ。シュリ、彼女はリリシュエーラ。この里の里長のお孫さんです。この里の中では一番若いですから、シュリと一番年が近いのも彼女なんですよ」



 とはいえ、シュリより何十年もお姉さんですけど。

 そんな風にリリシュエーラの事を紹介しながら、エルジャバーノが見たこともないような優しい眼差しを己の孫に注ぐ。

 シュリは頷き、それからまっすぐにリリシュエーラを見上げた。



 「えっと、初めまして。リリお姉さん。シュリです。おじー様がいつもお世話になってます」



 シュリは大人びた様子でそう挨拶すると、ぺこりと頭を下げた。

 その声も仕草も、文句なしに可愛くて、どきんと、胸が大きく跳ねる。

 シュリの菫色の瞳の奥に見え隠れする力強い輝きに、思わず目を奪われた。

 そして、感じる。

 目の前の小さな存在の中に、四つの大きな力があることを。


 エルジャバーノの言葉は本当だった。


 悔しそうに唇をかんで認める。

 いや、認めざるを得なかった。目の前に、これほどの現実を突きつけられたら。

 だが、ただ素直に認めてしまうのもなんだか悔しい。

 そんなこんなで態度を決めかねて、むうっと唇を尖らせていると、



 「リリお姉さん?」



 シュリが可愛らしく首を傾げた。

 その様子が余りに可愛くて胸を打ち抜かれたリリシュエーラは、反射的に胸を押さえる。

 胸がきゅうっと締め付けられた、そんな気がしたのだ。



 「シュリ?おじー様はリリお姉さんにお世話になってるんじゃなくて、リリお姉さんをお世話してあげてるんですよ?そこの所を間違っちゃいけません」



 リリシュエーラがシュリの魅力にクラクラしていると、エルジャバーノがなんだか聞き捨てならないことをシュリに吹き込んでいるのが聞こえた。



 「えっと?」



 そうなんですか?と言うように、シュリの無邪気な瞳がリリシュエーラを見上げる。

 彼女は己の頬が燃えるように熱を持つのを感じた。



 「私がいつ、あなたの世話になったって言うのよ!?」



 反射的にエルジャバーノに噛みつけば、



 「自覚、ありません?私は結構、あなたの理不尽な我が儘を聞いて上げていると思うんですが……」


 「ひっ、人聞き悪いことを言わないでよ!私、別に、そんなに我が儘なんて言ってないでしょう?」


 「……えっと、それ、本気で言ってます?」


 「本気に決まってるでしょ!?全く、もう!!シュリ、エルジャバーノの言う事なんて信じちゃダメよ!息をするように嘘をつくような胡散臭い男なんだから」


 「……おじー様?」


 「うっ、嘘なんかつきませんよ!?ほんとです。シュリ、おじー様を信じて下さい」


 「昔、いたいけな教え子に、ちょっと散歩に行ってきますから自習してて下さいと言い残して、里を出奔したのはどこの誰?私、その言葉を一週間は信じて自習を続けたのよ。不眠不休で。おじい様にストップをかけられなかったら、危うく天国にお招きされる所だったわ」



 リリシュエーラが恨みがましくエルジャバーノの顔を見上げれば、彼の端正な顔にタラリと汗が伝い落ち、里長はうんうんと頷きながら、



 「そうじゃったのぅ。そんな事もあったのぅ。あの時、リリシュエーラは確か三日三晩寝込んで、普通の食事が出来るようになるまで一週間はかかったかの。それまでは、誰に対してもほんに素直な子じゃったのに、あの出来事を境にちょっぴり捻くれた性格になったのも、今ではいい思い出じゃわい。ま、わしにとっては今も昔も変わらずに可愛い孫娘じゃがの」



 そんな風にしんみりと、追い討ちをかけてきた。


 「おじー様……」



 シュリはほんのりと不信感をにじませた眼差しで冷や汗をたらたら流している祖父を見上げる。




 「そ、それは確かに私が悪かったです。でも、戻ってから何回も謝ってるでしょう?そろそろ許してもらえませんか、リリシュエーラ。シュリの視線が何とも痛いです」


 「条件によっては許して上げても良いわよ?」


 「じょ、条件とは??」


 「今夜一晩、シュリを貸してくれたら許して上げる。シュリとは精霊使い同士、じっくり話をしてみたいのよ」


 「えっと、でも、折角シュリが我が家に泊まる機会なので、出来れば別の条件に……」


 「駄々をこねないでくれるかしら?エルジャバーノ。それに、条件をつけられる立場なの?まあ、どうしても寂しいっていうなら、シュリの代わりにうちのおじい様を貸して上げるわ。特別よ?」


 「いやっ、その気遣いは見当違いですからっ!!」


 「エルジャバーノ。わしゃ、うまい肉が食いたいぞい」


 「そんな訳で、おいしいお肉を食べさせてやってちょうだい。よかったわね、おじい様。エルジャバーノが腕によりをかけてごちそうを作ってくれるわよ」


 「リリシュエーラ!!」


 「シュリは私の招待に応じてくれるかしら?」



 リリシュエーラはしゃがみ込んでシュリと目線をあわせて訪ねる。

 シュリはじっとリリシュエーラを見つめ、それからはらはらした顔の祖父をちらりと見上げてから少し考え込み、そして大きくこっくりと頷いた。



 「いいよ。リリお姉さん」


 「シュリ!?」


 「おじー様が昔リリお姉さんに迷惑をかけたのは確かなんでしょ?僕がきちんとおわびしてくるから大丈夫だよ。それに、リリお姉さんは優しいから、僕をいじめたりしないよ。ね、リリお姉さん」


 「も、もちろんよ。い、いじめたりしないわ」


 ちょーっと精霊に関する裏トークを聞き出すだけで。

 更に出来れば精霊も交えて話が出来ればいいと、リリシュエーラは思っていた。

 すでに主を得た精霊を口説くほど、リリシュエーラは馬鹿ではない。

 だが、他に主を持たない精霊の心当たりを聞くくらいは、いいんじゃないかと思うのだ。



 「……わかりました。シュリのお泊まりを認めましょう。ですが、里長はいりませんから持ち帰って下さい」


 「シュリと二人で話をしたいから、持ち帰りは拒否するわ。きちんともてなしてあげてね?おじい様をもてなすのも、許してあげる条件のうちよ」


 「くっ……仕方ありません。わかりました。シュリ?」


 「なあに?おじー様」


 「なにか変なことをされそうになったら、すぐに逃げてきていいんですからね?」


 「へ、変な事ってなによ!?」


 「あんな事やこんな事ですよ。シュリはまだ小さいですが魅力的ですからね。油断は禁物です」


 「し、しないわよ!こんなちびっ子に!!」


 「なら、いいんですけど。じゃあ、シュリ。おばー様には私から話しておきますから」


 「ありがとう、おじー様。じゃあ、いこ?リリお姉さん」



 にっこり笑ってシュリが手を差し出してくる。

 手をつなげと言うことだろうかと察して、おずおずと手を伸ばせば、小さくて柔らかな手がリリシュエーラの指をきゅっと握ってきた。

 再びどきんと胸が高鳴って、頬が熱くなるのを感じながら、リリシュエーラは努めて平静な表情を保ちつつ、



 「じゃ、じゃあ、エルジャバーノ。シュリは借りていくわね?」



 エルジャバーノに声をかけて歩き出す。

 手をつないで歩く、二人の仲良さそうな後ろ姿を、エルジャバーノは何とも不安そうに心配そうに見送った。

 そして、



 「エルジャバーノよ。肉は、いつかのぅ?」



 己の傍らに残された里長に目を落とし、心底うんざりしたようにため息をついたのだった。

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