第百十七話 シュリという少年に関する考察

 午前中の三クラス合同の実技授業の為に校庭に出たリメラは、クラスメイトから離れて、校庭の片隅の木に寄りかかるようにして授業の開始を待っていた。



 (シュリは今頃、おばあさんと合流して、もう学園を出たのかな?)



 昨日初めてであった、親友の従兄弟であり思い人でもある少年の、可愛くも愛おしい面影を思い出しつつ、口元に柔らかな笑みを浮かべる。


 最初はただ素晴らしいもふっぷりに、元来のもふもふ好きの血が騒いだだけだった。

 そのもふもふを、心ゆくまでもふりたい……その一心でその外身を堪能させて頂いた訳なのだが、その中身が生身の少年だと言うことを理解した瞬間、びっくりするほど胸が高鳴った。

 そして思ったのだ。もふもふじゃない彼も、もふもふと同じくらい、いやそれ以上に好きかもしれない、と。


 胸がドキドキして、頬が火照り、彼に触れ、そして彼に触れられたいという思いに翻弄されながら、リメラは思った。

 もしかしたらこれが……これこそが、物語や話に聞く、恋という感情なのかもしれない、と。


 今まで、恋なんてものに興味はなかった。

 恋なんてしなくても生きていける。自分の好きなことをして、好きなものに囲まれて生きていければ、それで満足だと思っていた。


 だが、そうじゃないことを唐突に突きつけられたリメラは、その感情に流され、暴走した。

 そう、暴走したのだ。たった五歳の男の子に、恋をしたが故に。



 (うん。アレはまさしく暴走と呼ぶにふさわしい醜態だった……酒に酔っていた訳でもないのにな。いや、酒の影響の方がよかったか?そうすれば、酔いが醒めればうっかり忘れる事も出来たかもしれないのに。昨日のアレに関しては、忘れたくても忘れようがない)



 昨日の自分の行動を思い返しつつ、リメラはちょっぴり頬を赤らめる。

 変わり者を自覚する彼女ではあるが、それなりの羞恥心というものくらいはちゃんと持ち合わせていた。



 (うん。まあ、とにかく、過ぎたことはどうしようもない。忘れよう。うん、忘れるべきだ。幸い、シュリは寛大にも許してくれたしな)



 リメラは再び愛おしい面影を思い、口元に笑みを刻む。

 彼とはほんの少し前に分かれたばかり。

 なのにもう会いたいと思ってしまう。その顔を見て、声が聞きたいと。



 「……恋ってものは、思ったより苦しいものなんだな」



 知らなかったよ、と一人呟き、物思いに耽っていると、遠くの方で自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 ん?と思って顔を巡らせれば、こっちに向かって駆けてくる親友の姿が視界に入ってくる。

 得意属性が違うせいでクラスも違う親友がなぜリメラを探しに来たのか分からずに首を傾げていると、息を切らせて駆けつけた彼女は、その息が整うのを待つ間もあけずにがっとリメラの手を取った。



 「フィリア??」



 どうしたんだと問うリメラの手を引いて、親友は有無を言わさずに再び走り出す。

 当然、リメラも手を引かれながら走ることになった。

 一体なんなんだと思いつつも、リメラは抵抗することなくフィリアの導きに従って走る。

 そして、そうすることしばらく。

 目指す先に、銀色の髪の小さな人影を見つけて、リメラは目を見開いた。


 それはリメラが会いたくて仕方がなかった相手。リメラが生涯で初めて思いを寄せた少年。

 シュリは、フィリアが引き連れてきたリメラを見上げてびっくりした顔をしていた。

 そんな表情すら可愛くて愛おしく、リメラはそんな自分の中の感情の動きに素直に応じて、その面に柔らかな笑顔を浮かべた。

 それからきゅうっと首を傾げる。

 確かシュリは、学園長のところでおばあさまと合流するはずじゃなかったかな、と。


 だが、その問いに関する答えを貰う前に、フィリアがシュリの魔法を見ろと言ってきた。

 五歳でもう魔法が使える!?そりゃすごいと声を上げれば、フィリアはまるで自分のことのように誇らしげに胸を張る。

 ふるんと揺れる、素敵なボリュームの胸をちょっと羨ましく見つめてから、シュリの方へ視線を戻せば、シュリは上目遣いにこちらを見上げてつんと唇を尖らせるという、精神攻撃を仕掛けてきた。

 思わずぐらりと欲望に押し流されそうになりながらも何とか堪え、魔法は上手じゃないから期待するなとのシュリの言葉に、なんとか笑顔で答えを返す。

 じゃあ、いいけどさ、と、フィリアに対するより砕けた口調で話してくれるシュリが愛おしい。

 抱きしめたい、ほっぺたをすりすりしたい、可愛い唇にキスしてみたい……そんな欲望を何とか己の内に押し込めつつ、シュリがそっと手を前に突き出すのを見守る。

 なんの魔法を使う気だろうなと、興味深く見つめていると、



 「ウォーター」



 とシュリがおもむろに魔法の名前を口にした。



 (なんだ?使う魔法を事前に教えてくれてるのか?)



 と思った瞬間、信じられないような光景に、リメラは思わず目を見張った。

 シュリの手の平から、水が流れ出ているのだ。魔法の呪文を、まだ詠唱していないと言うのに。



 (これが噂に聞く無詠唱ってやつなのか?初めて見た……)



 ぽかーんとしてシュリを見ていると、その様子をどう解釈したのか、シュリが恥ずかしそうな顔をしてこちらを見上げてきた。



 「い、威力がしょぼくて、呆れてる?」



 そんな風に問われ、



 「そんなことない。これはすごいことだぞ!?」



 思わず反射的に声を上げていた。

 ついつい結構な大きさの声を出してしまい、シュリはびっくりしたように目を丸くしている。



 「す、すまない。無詠唱で魔法を発動する人物を見るのは初めてだから、つい興奮してしまって……」


 「でしょう?すごいわよねぇ?シュリの魔法。ほらね、シュリ。私の贔屓目なんかじゃなかったでしょう?」


 「いや、でも、リメラもお世辞言ってるだけかもしれないし」


 「お世辞?まさか。シュリは、無詠唱で魔法を発動させる事がどんなに難しいか知らないのかい?」


 「ん~、僕はこのやり方しか知らないからなぁ??」


 「ということは、君に魔法を教えてくれた人物も無詠唱で魔法を?」


 「あ~……えーっと、教えてくれた人はいないんだよね」


 「ん?いない??」


 「うん。魔法は、家にあった本を読んで自分で覚えたんだ。ただ、隅々まで読んだ訳じゃないから、覚え方はちょっと適当かも……」



 正確には、初級魔法の本を読もうとした、というべきなのだろうが。

 最初のページを開いた瞬間に初級魔法を取得してしまい、それ以上読む気力をそがれてしまったのは懐かしい思い出だ。

 魔法の威力が余りに酷く、最初は本当に落ち込んだものだ。

 しかし、いつかは素敵に魔法を使えるようになるかも知れないという夢を捨てきれず、シュリは毎日こっそり魔法の練習を続けていた。

 その結果が現在のシュリである。

 ウォーターに関して言えば、ぽたぽた程度だった水の威力が、ちょろちょろと流れるくらいにはなっているから、一応成長している。

 しかし、五年かかってもこの程度なのだ。

 もう、先は見えていると言っても過言ではない。

 なのに、無詠唱で魔法が使えてすごいとか誉められても、なんだか素直に喜ぶ気にはなれなかった。



 「すごいな。独学か」


 「たまたまだよ。そんなすごいことでもないんじゃない?肝心の魔法の威力がこんなだし?」



 感心したようにうなるリメラに、当然の如くそんな答えを返すシュリ。

 リメラは、ふっとアンニュイなため息をもらすシュリを不思議そうに眺めながら、



 「私からすると、何でそんなに自己評価が低いのかが疑問だぞ?独学で魔法を覚えるのもすごいし、無詠唱で魔法を使えるのもとてもすごいことなんだ。もっと誇っていい事なんだぞ?」



 そう言いながら、シュリの頭をそっと撫でた。



 「今まで、誰もシュリをすごいと言ってくれる人がいなかったんだから仕方がないとは思うけどな?もう少し、自分の魔法に自信を持っていいと、私は思う」


 「うんうん。私も同意見よ、シュリ!」



 フィリアもリメラの意見に同意してシュリを持ち上げるのだが、シュリ自身はまだ何となく納得していない様子だ。

 そんなシュリを見つめながらリメラは苦笑し、



 (だが、ここで増長しないところも、きっとシュリのいいところでもあるんだろうな)



 シュリの己への不満を隠そうとしない、どこか大人びて見えるその顔をじっと見つめた。

 これほどすごいことが出来るのに、満足どころか不満すら抱いている彼は、いったいどこまで強くなっていくのだろうかと、そんなことを思いながら。

 そしていつか、そんなシュリの傍らに立てるように、今まで以上に己を磨いて力を付けないとなと、リメラはそんな決意を新たに胸に刻むのだった。

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