第八十六話 復讐の決着

 急速に意識が浮上して、最初に見えたのはガナッシュの顔だった。

 その、シュリに対する憎しみに満ちた顔を見ながら瞬きをする。

 早く逃げないととは思うのだが、頭の覚醒に体がついてきていない感じだった。

 しかし、どちらにしてもシュリがいるのは小さな籠の中。そう簡単に間近に迫った彼の手から逃げられるはずも無かったのだが。


 とりあえず打てる手段として、身体強化や耐性のスキルをありったけ発動しておく。

 レーダーを発動して確認してみれば、こちらに近付いてくる緑の点がある。


 集団で移動してくる緑の点は、恐らくジュディスがつれてくる討伐隊の面々だろう。

 そうあたりをつけ、とりあえず、選考している3つの緑の点を素早くチェックする。


 二つはカレンとシャイナ。

 これは一番近い緑の点に少し遅れた位置に二つ揃って表示されていた。


 もっとも先行する緑の点、これには名前が表示されなかった。

 ということは、あったことはあるが、シュリが名前を知らない相手と言うことだ。


 いったい誰だろうーそう思ったとき、とうとうガナッシュの手がシュリの首を捕らえた。

 彼はシュリの首を持ったまま、軽々とその体を持ち上げる。

 そして憎々しげに睨みつけながら、じわじわとその手に力を込めた。


 だが、二人の間に横たわるレベル差のせいだろうか。思っていたほど苦しくはない。

 さすがに、全然苦しくないと言うわけにはいかなかったが。

 しばらくして、ガナッシュもその事に気付いたのだろう。

 彼は少し不思議そうな顔をして、何度か腕に力を込めた。

 だが、それでシュリの首をへし折ることも、それ以上締めることすら叶わずに、ガナッシュは困ったようにザーズへと目を向けた。



 「なんだ。殺しちまうんですかい?金になりそうなのにもったいねぇ。いや、ちがうな……そんな小せえ子を殺したら親が悲しんで……そうじゃねぇ。俺は、そのガキを高く売り飛ばすつもりで……」



 ザーズは矛盾したことを口にしながら、己の内からわき上がってくる感情に戸惑ったようにガナッシュとシュリを見つめた。

 恐らく、急速に魅了の効果が薄れてきているのだろう。

 とはいえ、彼は長く魅了の影響下にあり、洗脳状態でもある。

 彼がガナッシュの支配から完全に逃れるにはまだ時間がかかりそうだった。

 ガナッシュも、ザーズの様子がおかしいことに気付いたのだろう。少し焦ったようにシュリを床に放り投げ、



 「ザーズ、その赤ん坊を、シュリナスカ・ルバーノを殺せ。指先から切り刻んで、出来るだけ長く苦しませながらだ!」



 断固とした口調でそんな命令を飛ばす。

 その声にぴくんと反応したザーズは、ややうつろな瞳を床に叩きつけられて転がったままのシュリへと向けた。

 ちなみに、床に叩きつけられてなお、シュリは大した怪我もなく無事だった。

 高いレベルと身体強化スキル様々である。



 「赤ん坊を、殺す……?この俺が……?で、出来ねぇ……いや、俺には出来る。今までだって、散々殺しはやってきたじゃねぇか……」



 ぶつぶつ言いながら、ザーズは腰に差していた曲刀を抜いてシュリへと向ける。

 ふらふら揺れる切っ先を見ながら、シュリはさてどうしようかと考える。


 クリエイトスキルで、武器と防具を作り出し、反撃するのも一つの手だ。

 しかし、ネックは今現在最速でこちらに向かう名も知らぬ味方。

 近付いてくるのがカレンやシャイナだけなら良かったのだが、よく知らぬ相手に己の規格外さを知られるのは出来れば避けたかった。


 となると、クリエイト系を発動するのは、本当にどうにもならなくなった時にした方がいいだろう。

 とりあえず、味方はこちらに向かってきている。

 シュリがすべき事は、味方が到着するまでの時間稼ぎだ。

 不自然すぎない程度に[見切り]と[高速移動]を駆使して致命傷を避け続ければいい。



 (うん。それでいこう。後は、情に訴えてみるのも手だけど、それが混乱しているザーズにどれだけ通用するか、だな)



 そう思いながら、シュリは涙で潤ませた瞳を、ザーズに向けてみた。

 その効果かどうかは分からないが、剣を振り上げようとしていたザーズが、シュリを見つめて動きを止めた。

 苦しそうに、痛みをこらえるように顔をしかめた男は、何かを葛藤しているようだった。

 そんなザーズの様子に気付かないまま、ガナッシュが彼の肩に手をかける。

 苛立ったように、乱暴に。

 そして、



 「おい、ザーズ!なにをしている!?さっさとシュリを痛めつけろ!!」



 ヒステリックな声で、そう怒鳴った。

 彼はその時はまだ疑っていなかった。ザーズの唇から、いつものように従順な言葉が出てくることを。

 しかし、今回ばかりは勝手が違っていた。


 頭に響くその声に、ザーズは何かを堪えるようにぎゅっと目をつむり、そして乱暴にガナッシュを振り払った。

 今にも剣を振り下ろそうとしていたその腕で。



 「うるせぇ!黙れ!!」



 ザーズの手の中の剣の鋭い切っ先は、振り払われ呆然としたガナッシュの鼻筋から頬にかけて浅くはない切り傷を刻んだ。



 「あ……えぇ??」



 想定もしていなかった事態に、ガナッシュはのろのろと己の顔へと手を伸ばす。

 生々しい傷口に触れ、その刺激が引き起こす鋭い痛みに顔をしかめた。

 そして、吹き出した血が汚した手の平を見つめ、徐々に目を見開いていく。



 「な、なんなんだ、これは?血?僕の、血なのか??僕の、僕の顔は??」



 混乱したように呟きながらガナッシュは、いつも持ち歩いている金属を綺麗に磨いて作った小さな姿見を慌てて服の合わせから取り出した。

 いつものようにそれに己の顔を映しだしたガナッシュは、それを見たとたん、魂消るような悲鳴を上げた。


 そこには変わり果てた己の顔が映っていた。

 鼻筋を横に深く切り裂いて、顔を斜めに横切る傷口は、なめらかな頬の端までも無惨な傷跡をパックリと開かせていた。

 血にまみれた己の顔を姿見に映したまま、途切れることのない悲鳴をほとばしらせつつ、ガナッシュはへなへなと床へ座り込んだ。

 頭に響く悲鳴にザーズは顔をしかめつつ、再び吠えた。



 「うるせぇぇっ!!」



 そして剣を振るう。己の主、ガナッシュに向かって。

 心乱れたその剣は、幸いな事と言っていいのかは分からぬが、ガナッシュの命を奪いはしなかった。


 怒りと苛立ちにまかせてガナッシュの脳天に向かって振り下ろされた剣先は、その軌道を僅かに右へ逸らせた。

 だが、それは己の美を何よりも愛するガナッシュにとっては死ぬよりも辛い事態をひきおこす。

 右へ逸れた剣先は、彼の右側頭部の頭皮を薄く削りとった。彼の自慢の美しい金髪ごと。

 姿見越しに、その一部始終を目撃してしまったガナッシュは、狂ったような悲鳴を再び響かせた後、ぷつりと意識を手放したのだった。


 後に残ったのは、狂った瞳の大男と、無防備な赤ん坊。

 男は狂いきった瞳にシュリを映し、にいっと獰猛に笑った。

 そして先程とは打って変わった素早さで、剣を振りかぶる。



 (やばい!!)



 シュリは慌てて、スキルを発動しようとした。

 だがその時。

 シュリとザーズの間に、大きな人影が飛び込んできた。


 それは一瞬の事だった。

 ザーズの剣は人影の肩口を深々と切り裂いて止まり、人影の突き出した剣は、ザーズの心臓を深々と刺し貫いていた。



 「て、てめぇ……俺を、裏切るのか」



 絞り出すようなザーズの声に、



 「すまねぇな、お頭。おれぁ、どうしても、このちび助を助けなきゃいけなかったんだよ……」



 そう答えたのは、シュリの父親を直接殺した男。

 無精ひげの無骨な顔は、深い哀惜の念を込めてザーズを見つめていた。



 「は……てめぇは、あ、相変わらず、女子供にゃあ、甘ぇ奴だな……」


 「……本当だったらお前の方こそ、盗賊のお頭なんて似合わない、優しい男のはずだったのにな……」


 「な……んだ、って??」


 「今更、思い出せやしねぇか。いいさ、ザーズ。思い出さねぇほうが、幸せな事もある。先に行って待っててくれ。どうせ俺も、すぐに追いかける……」



 無精ひげの、己の側近の言葉を不思議そうに聞いていたザーズだが、すぐにその瞳は輝きを失い、ずるりと体は地面へと崩れ落ちた。

 無精ひげの男はそれを見守り、彼の命の終わりを、そっと瞳を閉じて見送った。


 無精ひげの男とザーズ。

 二人は昔からの知り合いだった。

 ガナッシュの護衛隊長とその部下。そしてその後は、ガナッシュ私設の盗賊団の頭目と突撃隊長という間柄で。

 ともに魅了のスキルで自身を歪められていたが、無精ひげの男の方が、ザーズよりもガナッシュとの接触が少ない分、その夢から覚めるのは早かった。

 彼は、盗賊団の壊滅を頭目であるザーズに伝えに向かう途中で魅了の効力が切れ、かつての自分を取り戻していた。

 だが、己を取り戻した先には地獄が待っていた。

 魅了から解き放たれても、魅了されていた間に己の為した罪は全て覚えていた。もちろんシュリの事も、その父親の事も。


 呆然とする間も無く、彼は駆けた。

 ザーズがつれて出たシュリを、なんとしても救い出すために。

 そうして駆けに駆けて、彼は間に合ったのだ。

 己の手で、親友とも言える相手の苦しみを終わらせて、小さな命を守ることが出来た。


 男は、大量の血と共に流れ落ちていく己の命を感じながら、ゆっくりと、後ろにかばっていた小さな存在を振り向いた。

 だが、死にかけの体はバランスを失い倒れ、男は頬を床にこすりつけたまま、瞳だけでシュリの姿を探す。

 やがて、そのぼやけた視界に小さな赤ん坊が映り込んだ。

 男はほっと息をつき、苦しい息の元、ゆっくりと唇を開いた。



 「よう、坊主……無事でなによりだ……」



 血に塗れた唇を微笑ませ、男はただシュリを見つめた。

 そして、今にも消え失せてしまいそうな意識を何とかつなぎ止め、彼は言葉を紡ぐ。



 「お前の、親父……すまなかった……謝ってすむたぁ思えねぇが、それでも、どうしても、謝りたかった」



 そんな謝罪の言葉を。

 彼の言葉を受けたシュリが口を開くその前に、それを制するように男の声が穏やかに響く。



 「許さなくて、いい……許してほしくて、謝ったんじゃねぇ……ただ、謝りたかったんだ……ただ……」



 その言葉を最後に、男は動かなくなった。

 シュリは黙って手を伸ばし、男の瞼を閉じてやる。


 彼は、ジョゼの敵だった。ジョゼを殺した男だ。

 だが、その命をもってシュリを救ってくれもした。

 許す気にはなれない。だが、これ以上憎み続けることも出来なかった。


 シュリは、一人、ずいぶんと血なまぐさいことになってしまった室内を見回した。

 それほど遠くない場所から、この部屋を目指しているのであろう足音が聞こえてくる。

 たぶん、カレンとシャイナが駆けつけて来たのだろう。

 少しずつ近付いてくる足音に耳を澄ませながら思う。

 正直納得できる形になったかどうかは分からない。もしかしたら、もっと別のやりようがあったかもしれない。だが、己の望む復讐はひとまずの終わりを迎えた、と。


 少し疲れたな、と思う。

 人を憎むのは疲れるーそう思いながら、シュリはカレンとシャイナの到着を待たずに目を閉じる。

 もう一時たりとも起きていられそうになかった。


 血塗れの室内で倒れ伏し眠る自分の姿が、どんな事態を引き起こすかなど考える余裕もなく、シュリはその場で眠りに落ちた。

 その後、部屋に飛び込んできたカレンとシャイナの悲鳴に気付くこともないくらい、深く深く、ぐっすりと。

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