第五十九話 姉様とぼく⑥

 (つ、疲れた・・・・・・)



 心の中で呟きつつ、廊下を一人とぼとぼ歩く。

 アリスの訳の分からない締め付け攻撃(?)に、シュリはもう疲れ果てていた。

 おしっこ!!と騒いで何とか抜け出してきたが、彼女から逃げるのはとても大変だった、とだけ言っておこう。

 少なくとも、しばらくはアリスの傍に近寄りたくないくらいには。

 別に、アリスを嫌いな訳ではないけれど。



 (また誰かに見つかる前に早く部屋に戻ろう・・・・・・)



 誰にも見つかりませんようにと、心の底から願いながらトイレの前を通り過ぎて階段へ向かおうとした時、ちょうどタイミング良くトイレのドアが内側から開いた。

 思わず足を止めてそちらを見たシュリは、その場で固まった。


 そこには、シュリが初めて見るメイドさんの腕の中からこちらを見る、一人の幼女の姿があった。

 シュリの姿を見つけた彼女は、ぱあぁぁぁっと顔を輝かせ、翡翠の瞳をキラキラさせてこちらをじっと見つめている。

 すっかりロックオン状態である。逃げるには、少々手遅れと言える状況だった。



 「あーーーー!!シュー君!!!!」



 固まるシュリを指さして4番目の姉・ちっちゃなミリシアが叫ぶ。



 「ミリシア様?」



 ミリシアを抱っこしているメイドさんが、不思議そうな声を上げてシュリを見た。

 シュリも真っ直ぐにメイドさんを見上げる。

 彼女は鮮やかな蒼い髪を一つに結んだ、切れ長の瞳の綺麗なお姉さんだった。

 彼女が片手で軽々とミリシアを抱き上げているのを見て、これならいけるとふんだシュリは、彼女に向かって両手を差し伸べる。


 もう、逃げることは無理だと諦めた。

 だが、歩いて彼女達について行くのも、正直面倒くさい。

 じゃあ、どうするのか。決まっている。抱っこして運んで貰うのである。

 自分に向かって手を差し伸べ、きゅるんっとした瞳で見上げてくる幼児をじっと見つめ、



 「もしかして、抱っこ、ですか?」



 蒼髪のメイドさんは冷静に問いかけてきた。

 こくん、と頷いて返せば、彼女は更にシュリをじーっと見てきた。



 「あなたはもしや、シュリ様ですね?ミリシア様も、シュー君と呼んでいましたし」


 「あい!」



 元気よく片手を上げて返事をし、にぱっと笑いかける。

 いつもは大体このくらいで相手の様子がおかしくなってくるんだけど、この人はどうかな?とそっと様子を伺いながら。



 「そうですか。私は新人メイドのシャイナと申します。以後、お見知り置きを」



 しかし、シャイナと名乗ったメイドさんの態度は不思議なくらい平常運転だった。

 すごく冷静な感じで、顔を赤くする素振りも、はぁはぁと息を荒くする様子も見られない。

 あれぇ?と思いながら、シュリは首を傾げた。

 いつもいつも、必要以上の好意を向けられるのは大変だが、何もないとそれはそれで何となく不安になる。


 それにいつまでたっても抱っこしてくれないので、抱っこをせがむように掲げたままの腕も少し疲れてきた。

 だが、下ろすのも負けるみたいで悔しいと、変に意地を張ってそのまま待っていると、彼女はミリシアを抱いたまましゃがみ込み、シュリと目線を会わせてきた。

 そして、



 「シュリ様、シャイナ、です」



 再び己の名前を繰り返す。

 これは名前を呼んで欲しいって事なのかな、と賢く察したシュリは、



 「しゃーな?」



 彼女の名前を呼んでみた。

 その瞬間、ふよっと彼女の口元が動いた気がした。

 だが、すぐにその口元はきりりと引き締められてしまう。



 「シャイナ、です」


 「しゃいにゃ?」


 「シャイナ、ですよ。シャ・イ・ナ」



 ・・・・・・どうやら、彼女は妥協できない性格のようだ。

 仕方ないなぁと思いながら、シュリはきちんと彼女の名前を呼ぶために口の中で何回か反復練習をし、満を持して唇を開いた。



 「しゃいな」



 今度は上手に呼べた。

 それを聞いたシャイナの口元が再びふよりと動いた。

 だが、シュリがそれをしっかり確かめる前に、彼の体は彼女の腕に引き寄せられ、抱き上げられていた。



 「上手に言えたご褒美です。抱っこして差し上げます」



 言いながら、両手に二人の幼子を抱えたシャイナはスタスタと廊下を歩き出す。

 それはただのメイドと言うにはちょっと規格外の力強さだった。






 ミリシアの部屋は、一言で言い表すなら『メルヘン』だった。別の言い方をするなら、『非常に女の子らしい部屋』とも言える。

 その部屋は、ピンクとレースと可愛らしいぬいぐるみで溢れていた。


 シュリは現在ミリシアのベッドの上におり、絶賛ぬいぐるみに埋もれ中だった。

 何故そうなったか。

 それはシュリの目の前でにこにこ笑うミリシアのせいに他ならない。

 彼女はお気に入りのコレクション達をせっせとシュリに渡し、更にはその周囲に飾り付け、今はうっとりとその光景を見つめている。



 「シュー君、かぁいいねぇ」



 ちっちゃな手がシュリをなで回し、そして逃げ場のない状態でぷちゅっと可愛いキスをされる。



 (あー・・・・・・もう、どうにでもして・・・・・・)



 はっきりいってシュリは疲れていた。このまま寝落ちしてもおかしくないくらいに。

 かくん、こくんと船をこぎながら、シュリは抵抗することなく、ミリシアの口づけを受け続ける。

 そのキスに、徐々に熱がこもってきたのも感じていたが、眠すぎて正直もうどうでも良かった。



 (小さいミリーが何をしてもそんなに危険もないだろうしね・・・・・・あー、眠い。もういいや、寝ちゃえ)



 心の中でそう開き直ったシュリは、見事なまでに一瞬で意識を手放していた。

 それほど眠かったのである。

 ミリシアは、健やかに寝息を立て始めたシュリを不満そうに見ていたが、しばらくすると彼女自身もまた、気持ちよさそうに眠ってしまった。


 だが、シュリはすっかり忘れていた。

 ここには、ミリシアの他にももう一人警戒すべき人間がいた事を。

 いくら警戒厳重な領主の屋敷の中とはいえ、もっと気をつけるべきだったと後に反省する事になるのだが、今のシュリはまだそんな事は知らない。

 シュリはただただ眠気に任せ、可愛らしくも愛らしく、無防備で無警戒に眠るのみだった。

 


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