第二十七話 お風呂場での決意

 大きな湯船にその身を浸し、シュリはほうっと恍惚の吐息を漏らす。


 風呂は良い。

 特に大きな風呂は最高だ。

 それが温泉であるならばなおいう事はないが、今はたっぷりとした温かい湯に浸かれるだけでも良しとしよう。


 思えば、前世ではお風呂が好きで、周囲にシャワーで済ます派が多い中、毎日嬉々として浴槽に湯をためて入っていた。

 旅行に選ぶ先は専ら温泉地。

 年をとって旅行に行けなくなるまでに、日本全国の温泉に入り尽くすのが夢だった。もう叶わない夢ではあるが。


 そんなシュリ……いや、瑞希がこの世界で生まれてから今に至るまで、お風呂に入ることが一切叶わなかったのだ。

 自覚は無かったが、かなりお風呂という存在に飢えていたようだった。


 もちろん、赤ん坊の特権として桶やたらいに湯をためて身体を洗って貰ってはいたが、それはお風呂とはまったく別物といっていい。

 今、あふれんばかりの湯に浸かりながら、自分がどれだけお風呂を求めていたのかという事を自覚する。

 ああ、自分はこんなにお風呂が好き……否、愛していたのかと。


 とろけんばかりの恍惚とした表情でお風呂を堪能する瑞希……いや、シュリを見て、ミフィーも楽しそうに笑っていた。

 お風呂に浸かって、ふへーっと緩みきった顔をしたシュリの様子がツボに入ったらしい。


 だが、今はとことんお風呂を堪能する事にしたシュリは、気にせず緩んだ顔をさらし続ける。

 それは何とも言えない至福の時間だった。



 「ふふっ。シュリってば、ふやけたおじいちゃんみたいだよ~」



 にこにこ笑っていながらのミフィーの批評に、



 (ふやけたおじいちゃん、てどんなだよ!?)



 と、内心つっこみを入れながら、ミフィーが笑っている事になんだかほっとしていた。

 シュリはずっと気がついていたのだ。

 朗らかにしていながらも、ミフィーが不意に見せる憂いを帯びた表情に。


 それも仕方のない事だろう。ミフィーは最愛の人を亡くしたばかりなのだ。

 シュリだってもちろん悲しいが、きっとミフィーほどではない。


 今回の事で、ミフィーは夫を失い、シュリは父を失った。

 何とかアズベルグまでは行けそうだが、それから先はミフィーと2人、助け合って生きていかなければならない。



 (早く大きくならないとなぁ。ミフィーを助けてあげないと)



 シュリは父親と同じ色の大きな瞳で母の顔を見上げる。

 明るい表情で隠しているが、頬が少しこけてる気がするし、目の下には隠しきれないクマがある。

 シュリは小さな手を一生懸命伸ばして母の顔に触れる。守ってあげなきゃなぁと、そんな風に思いながら。


 ジョゼは別に、シュリにミフィーを守って欲しいとかは思ってないだろう。

 1歳になったばかりの息子にそれを求めるほど、スパルタな父親ではなかったから。

 というか、むしろ甘すぎるくらいに甘い父親だったと思う。

 シュリを目の中に入れても痛くないくらいの可愛がりようで、いつもミフィーに呆れられていた。


 でも、だからといってミフィーにシュリを守って欲しいとも思っていないような気がする。

 どっちがどっちを守るとかではなく、ジョゼならばきっと2人で力をあわせて幸せになれって、そう言うような気がした。


 まあ、そういう気がするだけで、それが本当なのかは分かりはしない。

 結局のところ、残された人間が居なくなった大切な人の事を考えて考えて、ひたすら考えて……そして想像するしかないのだ。

 あの人なら、どう思うのだろうか、と。


 だからシュリはそうした。

 ジョゼならば、ミフィーとシュリが力をあわせて幸せを掴むことを望むはずーそう想像し、心を決めたのだ。

 ミフィーと一緒に幸せになれるように努力しよう、と。

 その為ならば、マザコンの汚名も甘んじてうけてやろうではないか、と。


 きりりと表情を引き締め、ミフィーを見上げた。



 「ん??そんなにじっと見てどうしたの??お腹でも空いた?」



 シュリの内なる決意はまるでミフィーには伝わってないが、それでも良い。

 こういう事は自分の意志が大切なのだ、うん。

 それに、一番大切なのはミフィーが心から笑っていられる事。

 そのためならば、シュリは道化にだってなれるし、どんなことでも頑張ろうと思えた。



 「ミフィーさん、シュリ君の顔が真っ赤ですよ?そろそろあがりましょうか?」


 「それもそうね。じゃあ、シュリ。お部屋に戻ったらおっぱい飲んで寝んねしようね~」



 いつの間にか一緒に湯船に浸かっていたカレンの提案で、ミフィーがシュリを抱いたまま立ち上がる。

 至福のお風呂タイムももう終了だ。

 なんだか、いろいろ考えていて無心で堪能出来なかった事だけが心残りだった。


 これから先、ミフィーと2人での暮らしはそんなに贅沢出来ないだろうから、しばらくお風呂とはお別れだろう。

 シュリは名残惜しそうに揺れる湯船のお湯を眺めながら、いつか毎日でもお風呂に入れるような人間にのし上がってやるっ、とそんな決意を心に抱くのだった。


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