第3話

「……これ、コボルト……か?」

「そうですね」

 昔は人間の大人より小さい程度の身長しかなかったはずだが、それでも痩せた身体に鋼の筋肉をまとい、ギラギラとした目で獲物を定め、半開きの口から覗く鋭い牙や鉄の鎧を軽々引き裂く爪で相手を殺し、食す。そんな獰猛どうもうさが頼もしかったコボルトが……

 人間の子供よりも小さくなって、ふわふわの毛並みになり服まで着せられ、頭を撫でられている。その右上には"僕は世界一、ご主人様が大好きなんだワン!"とあった。

「獰猛さ!」

「どうしたんですか、いきなり? まぁ読み進めていってください」


 次のページはゴブリン……? 小狡く人を罠におとしいれ、相手をいたぶり尽くし、生きたまま食べるのが趣味で、見た目も薄汚いトカゲみたいなヤツら。そんな敵味方問わず嫌われものであるはずのゴブリンが、寝顔を晒している。目をこすったり、あくびをするところも描かれている。

 ちなみに確信が持てなかった理由については、

「目が大きい……それに何かこう、丸々としてる……」

 である。

 本来なら、目は細く、口は大きく裂け、ほっそりとして不気味な雰囲気をずっと漂わせているはずのゴブリンは、目がクリンとして、全体的に丸みを帯びたフォルムになり、愛嬌があるようにすら感じられる。

 コボルトと同様に文字が書かれていたが、"う~ん、僕ってば朝に弱いんだ"の文字。

「野性!」

「さっきから単語だけ叫んで、どうしたんです?」


 側近の突っ込みを無視して、次のページを開いてみるとイエティが載っていた。イエティに関しては見た目はそこまで変わらず、分かりやすかった。眩しいくらいの笑顔を振りまいていたが。

 イエティは人間二人分くらいの巨体を誇り、人間を掴み取って、頭からかじっていた凶暴そのものの魔族だったはずだが、人間と変わらない身長位まで縮み、胡坐あぐらいてる上に女性を乗せて、後ろから抱きしめてる。

 ニッコリと笑った口元からは"山ガールも森ガールも、みんな僕の虜さ!"と喋っているように描かれていた。


「知るかぁ!!」

 魔王は堪らず立ち上がり、本を床に激しく叩きつけた。

「あ! もぉ……暴れないでくださいよ、借家なんですから」

 肩で息をしている魔王を気にせず、側近が話し出す。

「私も昔は知らなかったんですが、魔力を自分で作り出せない魔物に十分な魔力を補充させると、ある程度ですが、体格や見た目を変える事が出来るらしいんです。ですので、昔のイメージとは全然違ってるだけで、街中に大量に溢れてますよ。ちなみに魔力を自分で作り出せる場合はに……聞いてます?」

 やり場のない怒りが魔王を支配していく。

 本当であれば、復活したと同時に魔族に崇め奉られ、力を合わせて人間を絶望の底に叩き落すはずが、付いて来る魔族もほとんどいない、勇者より強いゴーレムが街を闊歩かっぽしている。右腕と称するほど信頼していた側近に精神的屈辱を合わされている。

 以上の事柄に、立ち尽くして怒りを溜めるだけしか出来なかった。


「側近……」

「はい?」

「勝負だ!」

「……はい?」

 考えてもどうしようもなくなった魔王が最終的に出した結論。それは、強い者が偉いという昔の魔族の常識にのっとり、全ての魔族を打ち負かして自分の配下に戻す事。

 手始めとして、近くでマイペースに傷口に塩を塗り込んでくる側近に力の差を見せつけようとしたのだ。


「え、止めておきましょうよ」

「ふんっ! 怖気づいたか!」

「いえ、魔王様にもプライドがあるから、倒したら申し訳ないじゃないですか」

「はあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 魔王にとって、その日一番の驚愕すべき出来事だった。

 昔であれば、勝負なぞしなくとも力の差は歴然だったが、今の発言はそれを覆した。側近は勝てる気でいるし、楽勝ムードを漂わせているのだ。


「しょ、勝負だああぁぁぁ!」

「仕方ありませんね」

 今の魔王に何を言っても、火に油を注ぐだけと理解した側近は、外に出る準備を進める。






 準備を終えた側近と共に、少し遠くの山の中に出てきた魔王達。何故こんなところを選んだかというと、部屋でなら他に人もいないので、多少騒ぐくらいであれば、お目こぼししてもらえるが、外で騒いだら怒られる。という理由で、人気の無い街外れまで、足を伸ばす羽目になったのだ。

「覚悟はいいか?」

「はぁ、まあ……」

 歯切れの悪い物言いに、乗り気で無いのが伺えるが、それはそうだろうと魔王は考える。


 今の側近の魔力を感じ取っても、絶望的な差が開いているだけで、決して勝てる見込みなどない。身体を魔力で構成している魔族にとっては、その総量が実力に直結しているのだ。

 絶対に勝てない闘いと理解して尚、受けなければいけない以上、やる気など微塵も出ないのは必然。だが、舐められたままでいるなど王の沽券こけんに関わる。

 せめて手早く終わらせてやろうと、使う魔法を選択する。食らえば数日は立ち上がる事すら不可能になる威力を発揮するものだ。


「あまり手加減してやれない我を許せよ。では、行くぞ! 闇の力に蝕まれ――ひぎゃああああぁぁぁぁ!?」

 呪文詠唱中に何かが弾けるような音と、ついさっきゴーレムに食らった衝撃と同じ痛みが、魔王の全身を駆け巡る!

「が……は……」

「もう終わりでよろしいですか?」

「まだ……まだやれるぅぅぅぅうぎぃぃぃぃ!」

 最後の一撃で体力を消耗しきった魔王には、もう抗う術は残っておらず、地に伏すという醜態を晒すほかなかった。


 土に顔を付けながら思考する。なぜ側近がソレを使えるのかを。答えは自分で導き出す前に、天から降ってきた。

「大丈夫ですか? だから言ったのに……今の時代の防犯グッズは馬鹿に出来ないんですよ」

「ボ……ボーハングッズ?」

 またしても聞き慣れぬ単語に、苦しみながら息を吐き出し問う。

「そうです。詳しい話は省きますが、さっきの魔電池を使って相手に雷を浴びせる道具です。しかも私が使ったのは魔族用でも、もっとも強力なヤツなんで、いくら魔王様でもキツいかと」

「さ、さっき魔族は平和に暮らしてるような絵を見せられたばかりなんだが……?」

「そりゃ中には反抗する魔族もいますし。年に二桁行かないくらいですが」

 頼みの綱であった、力の差を見せつけるという方法すら、勇者が作った道具のせいで、逆にみっともない姿になり、ここに至って打つ手がなくなった魔王。せめて生き恥を晒しながら生きるよりはと選んだのは、

「……殺せ」

 せっかく復活して得た肉体を滅ぼして死ぬ事どあった。


「え? 嫌ですよ。面倒くさい」

「いや、そこはお前、我の生き様に感動してしかるべき場面じゃないのか!? それを面倒くさいとか、なんでそんな淡白なんだ!」

「どうせ魔王様は単一で生き返せますし」

「チクショウめが!」

 自分の命を差し出してる現状で、側近のあまりのやる気の無さに再度、怒りが湧いてきたものの、身体をほとんど動かせないもどかしさと情けなさに、涙すら流してしまいそうな魔王だった。

「落ち着いてください、魔王様。はい、どうぞ」

 側近がそう言って近付けた物が身体に触れると、自然と体力が回復していった。

「……もしかして、これが?」

「そうです。魔電池から直接、魔力を取り出して補充する道具です」

 手にしていたのは、長い棒状の物体。こんな道具のおかげで生き返ったと言われても実感がないし、何故か凄くしょうもないような気がして、全身から力が抜け落ちた。


「魔王様」

「……何だ?」

「今はもう新しい時代なんです。昔みたいに争って、勝った方が偉いなんていうのは古いんです。であれば、ちゃんと生きてみてはいかがでしょう?」

「ちゃんと生きる?」

「はい。平和に生まれ、平和に生活し、平和に死んでいく……魔族だって、そんな生き方をしてもいいんじゃないでしょうか? もちろん魔王様もです」

「……」

 側近の言葉に、初めて世界で肉体が創られ、闘いの日々に身を置き、勇者に倒されるまでの激動の時を懐かしむように思い出す。魔族の先頭に立ち、息つく間もなく殺し、殺され、奪い、奪われ……

 生き急いでいたのだろうか、それとも死に急いでいたのだろうか? だが、もう魔王としての居場所などないかもしれない。そんな思いが魔王の胸中を支配していく。


「我が生きるべき時は過ぎたのか……」

「生きるのに早いも遅いも無いんじゃないですかね」

 そして、ゆっくりと立ち上がり宣言する。

「ならば、その平和とやらを甘んじて受け入れてみるか。目標は、一日一悪!」

「そうで……はい?」

 良い具合に話が纏まる雰囲気を感じ取った側近は、その言葉に疑問しか覚えなかった。

「あの……平和にくらすんですよね?」

「うむ」

「一日一悪?」

「そうだ」

「いや、話の流れどこ行きました?」

 よく分からない事を言い出した癖に、魔王は自信に満ちた表情で胸を張っている。それを見て、電撃で脳の回路がやられたんだろうか?と、失礼極まりない事を考えていた。


「無意味にいさかいを起こすつもりは無くなったが、それでも人間と一切のわだかまりなく手を取り合おうなんぞ出来ん! よって一日一悪で我慢してやろうというのだ。やはり、魔王としてのアイデンティティは簡単に変えられる物ではないしな。」

 いや、今日一日で魔王としての威厳やら何やらは全て消滅しましたけども? そこらを理解した上で、そのセリフ吐きますか?

 側近は喉から出掛かった言葉を無理やり飲み込んで、自分の中にひた隠した。

「今日を、我の新しい生誕の日としよう。ハハハハハッ!」

 馬鹿笑――高笑いを続けていく魔王を見ながら、これから騒がしくなる日々を予感した側近だった。

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