第10談『微酔』

A「ここ、いいかい?」


B「あ、どうぞ」


A「この店、雰囲気は好きなんだど狭いんだよね」


B「あ、わかりますそれ。


  繁盛してるみたいだし、広くしたりするのって考えないんですかねぇ」


A「大将が偏屈で、


『俺の目が届かないスペースは作りたくねぇ!』って聞かないみたい」


B「それって、単なる物臭なだけなんじゃ…」


A「それはわからないなぁ。大将何にも言わないですから」


B「図星だから何も言い返せないんですよ、多分」


A「お、大将がこっち見てる。冗談だよ大将」


B「そうですよ大将。冗談ついでにハイボール1つください」


A「あ、こっちは麦ちょうだい」


B「そういえば、よく見かけますよね」


A「席がこれだけしかないから、顔は合わせる事も多くなるよね」


B「折角なんで、名刺交換します?」


A「お、いいね。


  でも、名刺手元に残ってたかなぁ…」


B「使い切っちゃうぐらい配るんですか?


  僕なんて、入社して貰ったやつが全然減らなくて困ってるんですよ」


A「配り歩いてた方がいいよ。


  何か困った時に『あ、確かアイツがいたな』って思わせただけでも価値があるんだよ」


B「それは社内でも社外でもですか?」


A「勿論…あ、ラッキーだね。これが最後の一枚だったよ」


B「え?いいんですか、その一枚?」


A「いいよいいよ。


  次のデザインをウンウン唸って考えるのも楽しいし、


  新しいの作ったら欲しいって言う人もいるからね」


B「じゃぁ、遠慮なくいただきます。


  あれ?メールアドレスの下に書いてある『6_150』って何ですか?」


A「頭の6は、その名刺が何番目に創った名刺だったかを載せてある。


  6だから、この名刺は第6版って事。


  後ろの150は単にシリアルナンバーとして残しているだけで単なる趣味」


B「と言う事は、150枚全て配り終えたんですか?」


A「これしか残ってなかったという事は、そうなんだろね」


B「製作者近影って写真を付けたり、凝ってますね…


  あれ?『東と西からのぼってくるものってなーんだ?』って


  これ、なぞなぞですか?」


A「そう。第6版は裏面になぞなぞを載せようって思ってね。


  だから、こんなものを持ち歩いてるんだ」


B「なぞなぞの本ですか?」


A「面白いのはないかなぁって探したり、頭の体操代わりにしたり、


  朝一は難しいビジネス書を理解した振りをして読むよりも、


  こういった読みやすい物を選んだ方が、僕は良いと思ってるんだ」


B「しかも、このなぞなぞって手書きですよね?」


A「そうだよ」


B「この150枚の名刺の1枚1枚に手書きって大変じゃないですか?」


A「それを大変だなんて思った事はないなぁ。だって楽しいもん」


B「楽しいですか、それ?」


A「現実の大半は辛いことばっかりだから、無理矢理にでも楽しめる事を探さないとね」


B「でも、これって答えはどうするんですか?」


A「社内で配ったなぞなぞの答えは、直接答えられたり、


  内線の最後に出てきたりして、構えないといけないから緊張するよ」


B「社外では?」


A「お昼に直接電話貰ったり、メールで答えてくれる人もいるよ。


  中には、答えがわからなくてお子さんに教えてもらったって人もいたなぁ」


B「そこまでですか?」


A「会話の良い物種になったって喜ばれちゃった。それが【AsNalアスナル】の佐伯さん」


B「あの『泣こう。心を取り戻しに』のコピーで有名になった?」


A「そうそう。ばら撒いたのがそんな所で功を奏するなんて思わなかったけどね」


B「でも、全ての人がそうってわけでもないんでしょう?」


A「勿論。5,6人ぐらいから返ってきたら御の字だね」


B「何か勿体ない気がするんですけど」


A「そう思われても仕方ないっちゃぁ仕方ないけどね。


  じゃぁ、逆に聞くけど、貰った名刺ってどうしてる?」


B「貰ったのはちゃんとファイルして、保管してますけど」


A「あぁ、それじゃぁダメだよ」


B「え?どうしてです?」


A「それじゃぁ、試してみようか。今その名刺のファイルってある?」


B「えぇ、まぁ」


A「それ、貸してくれない?」


B「え!それは流石に…」


A「別に取ろうってわけじゃないんだから」


B「はぁ…わかりました。えっと、これですね」


A「う~んと…そうだなぁ…


  【猪狩屋いかりや】の堂ノ下さんってどんな人?」


B「えっ! え~っと…そんな人から名刺貰ったかなぁ…」


A「すぐ出てこないという事は、覚えてないでしょ?」


B「えぇ、恥ずかしながら」


A「単に名刺を貰っただけなら、いくらファイルしてもそれは死んだままだよ。


  見た段階で、「あぁ、あの人ね」って思ってもらえるような工夫を名刺にもやっておく。


  その手間は惜しむのは勿体ないと思うなぁ」


B「はぁ」


A「最近は何もかもがメールで終わっちゃう事が多いからねぇ。


  その道のプロじゃなくても『声』って大切だよ、印象に残るから」


B「そういうものですか…」


A「ま、『変えろ』って言われて『はい、わかりました』で変われるんなら、


  誰だって苦労はしないもんだからね。


  ちょっとずつ変えていこうとする方が気楽でいいもんさ」


B「そうですね。ちょっとやってみます」


A「じゃ、これは返すよ。ありがとね」


B「いえ」


A「しっかし、寿ことほぎグループって凄い所にいるねぇ」


B「そうですか?実感ないんですけど」


A「何言ってるの?日本酒のトップブランドじゃない。


 【不易ノ志ふえきのこころざし】と【いしずえ】はあの偏屈でさえも此処に置いている二大看板だよ」


B「あ、本当ですね。あの辺りに見慣れた瓶が何本も…」


A「気付かなかったのかい?」


B「自社の製品は目に入れないようにする癖がついてるんです。


  商品開発の際に色々味見に駆り出されるんで」


A「酒呑みからすると羨ましい職場だなぁ」


B「僕自身はそんなに強くないんで、逃げ回ってたりもするんですよ」


A「けど、なんだろう…言い難い事なんだけど」


B「不釣り合いですか?」


A「よく分かったねぇ、君幾つだい?」


B「今年で28になります」


A「それぐらいの子がこんな場末にいたら、やっぱり浮いて見えるよ」


B「大将が聞いてたら、真っ赤になりますよ」


A「大丈夫、そっぽ向いてたから。


  君ぐらいのトシなら、お洒落なダーツバーの方が馴染みそうだもん」


B「そうですか?個人的にはこっちの方が好きなんですけど」


A「しかもほら、最近の寿グループって若い人向けのお酒を


  よくコマーシャルでやってない?


 ほら、確か・・・片桐イオリが出てる・・・」


B「【マヨイ】ですか?」


A「そうそう。『いいオトナ、目指さない?』っていいねぇ」


B「あぁ言うのを考える人が、普段何を考えてるのかって知りたいですね。


  そのお陰か好評って聞いています」


A「確かに魅せるグラビアを身上にしてる彼女に


  着物を着せて、大人の雰囲気を醸し出すなんて結構な英断だよなぁ」


B「好評と言えば好評なんですけどね、ちょっと気掛かりなんですよ」


A「え?いいんじゃないの?」


B「最近はお酒を愉しまない若い人が多くなってきまして…」


A「あぁ、『若者の〇〇なんとか離れ』ってヤツかぁ。


  確かに、最近誰を誘っても最初はノッてこない連中が増えたわ」


B「これがどんどん進んじゃうと、


  これも先細りになっちゃう事も考えないといけなくなったわけで、


  そのリサーチで色々なお店に立ち寄っているうちの1つが此処だったんです」


A「ってことは、ここは単なるついで扱い…大将聞いてるーっ!」


B「わーわーわー、勘弁してくださいよ!


  確かに最初はそうだった事は認めますけど、今は違いますよ。


  『鰤の照り焼き』なんて田舎を思い出しそうになって、ひっそり泣いてましたから」


A「え?田舎何処なの?」


B「氷見ひみです」


A「あぁ、寒鰤は有名だもんね」


B「大将も同郷って聞いた時から、一気に親近感湧きましたよ。


 それから一人呑みの時は、此処って決めてますもん」


A「世界は案外狭いもんだねぇ」


B「端に座った時なんて、話を聞く事に集中して、


  新商品のヒントを探すために躍起になってますから」


A「あんまり良い趣味じゃないな、それは」


B「あくまで参考程度ですし、大半は覚えていなかったりもするんですけどね」


A「それは単なる言い訳だよ。


  やましい事がなければ、堂々と話をしたらいいんじゃない?


  雑談をしたくないと言い張る連中はこんな所には来ないから」


B「そうですね、気をつけます」


A「んで、何か分かったの?」


B「中々難しいものですし、聞いてるこっちがテンションの下がる話ばかりで…」


A「どういう事?」


B「何と言いますか、大半が愚痴になる事が多くて、


  聞いてるこっちの元気まで持っていかれそうな気分になるんです」


A「そりゃ誰だってそうなるでしょ。実のある話は出ないと思うなぁ」


B「中でもご家庭の事で愚痴が始まったら、居たたまれない気持ちになりますよ。


  将来結婚する時の足枷になりそうな事ばかりで」


A「まぁ、結婚には夢を持っていたい年頃か…」


B「一言一言が肩とか腕に圧し掛かってきて、知らずとお酒が深くなっちゃいました。


  次の日はミスばかりで『どうしたお前?』って変な顔されましたから」


A「あまり強くないのを知っていると、余計に変に映るよなぁ」


B「『リサーチの為に深酒しちゃいました』なんて言ったら、


  怒られるのは目に見えてますからね」


A「自業自得だなそりゃ」


B「結局は収穫はなくて、くたびれ儲けで終わっちゃいました」


A「そりゃ御苦労様。


  でも、それらしいヒントはちゃんと隠されてたよ」


B「えぇ?何処がですか?」


A「これは俺の見解だからズレている部分もあると思うけど、


  好んで日本酒を飲む人って、大体はいい年をしたお父さんでしょ?」


B「まぁ…そうですね」


A「その世代になってくると、内外で大変な時期になるもんだ。


  愚痴の1つだって零したくなるってのは、実際聞いた君でも分かると思うけど」


B「えぇ、とても重かったです」


A「それだけ世のお父さんは疲れているという事だよ。


  外ではノルマや軋轢に踏まれ、


  内では家族に冷たくあしらわれて居場所に窮する」


B「………」


A「そんな疲れているお父さんが、


  『あぁ、こいつは俺の事が分かってくれているなぁ』と思って通うのが、


  こういった居酒屋であったり、


  そこで呑むものがあそこに飾ってある一升瓶達だったりするのさ。


  言うなれば、此処はお父さんたちの桃源郷ってヤツだね」


B「そっか、差し詰め…『日常からのエスケープ』ですね」


A「ほら、出てきたじゃない」


B「あ…『居酒屋でしか飲めない日本酒』かぁ…


  これ、いただいてもいいですか?」


A「俺は別職種だから、気にしなくてもいいよ。


  深くなって忘れる前に何処かに書き留めておきな」


B「ありがとうございます。ちなみにこの蛸山葵も…」


A「はっはっはっはっはっ、調子に乗るな」


B「そういえば、


  この『東と西からのぼってくるものってなーんだ?』の答えは何なんですか?」


A「1日あげるから考えてみな。


  分かっても分からなくてもいいから、電話してくれれば答えるから」


B「うわー、気になって深くなりますよ」


A「若者が何かにぶつかって、うんうん唸ってる様子を眺めるのも、


  年長者の特権さ。思う存分悩みな」


B「わかりました…でもヒントはくれてもいいんじゃ…」

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