第14話 郡山の合戦

 政宗の母・義姫は最上義光もがみよしあきの妹である。そのためか伊達家よりも最上家のことをよく気にかけているという噂もあった。


 照姫はそんな義姫のもとに最上との和睦の使者となってもらうために赴いている。



「お母様、いらっしゃいますか」



 照姫は部屋の外から話しかけた。中からは人の気配がしている。誰かはいるようだ。



「照か。遠慮することはないぞ。入りなさい」



 すっと障子が開けられ、スルスルと照姫が部屋の中に入った。中には義姫が毅然として座っている。


 照姫は義姫の前に座った。その表情は笑みもなく、真剣そのものだった。



「何か用かえ」


「はい。お母様に伊達家と最上家の和睦を手伝っていただきたいのです」


「ほう」



 義姫は驚いて見せたが、どこか白々しい。すでにどこかでこうなることを予想していたのだろう。



「良かろう。伊達と最上のためじゃ。私ごときが役に立つなら嬉しい限りじゃ」



 義姫はニヤニヤしながら照姫を見ている。そこには何か条件があるぞ、と思わせるだけのいやらしさがあった。



「しかし、照。おぬしにお願いしたいことがある」



 照姫は、そら来た、と顔をしかめる。しかし話を聞かないわけにはいかない。



「なんでしょう」


「政宗を、伊達藤次郎政宗を当主の座から降ろすのじゃ」


「な!?」



 照姫にとっては信じられない言葉だった。政宗は照姫にとって神にも等しい存在だ。それを当主の座から降ろすなどとは考えるだけでも身震いする。



「別に今すぐとはいわん。機会がきたら、私が最上家から照にふさわしい夫を連れてこよう。その夫こそが新しい伊達家の当主じゃ」


「……」



 恐ろしい策謀だった。照姫は実の母ながら義姫のことが怖くなった。ここまで政宗を、実の息子を嫌えるものなのか。



「その返事、今ここでしなければなりませんか?」


「何、照はその時がきたら首を縦に振るだけで良い。返事など、聞いても聞かなくても同じことじゃ」


(つまり、私の意向など関係なし、ってことですわね。お願いでも何でもないですわ)



 照姫は一言でも二言でも反論したかった。しかしここで反論したら最上との和睦の件は断られてしまうだろう。照姫は黙って義姫の話を聞くしかなかった。


 照姫は唇をかみ締めて義姫を睨みつける。義姫は照姫の気持ちをわかっていながらも、それに答えようとはしなかった。




   ☆☆☆




 天正十六年(1588年)二月、大崎、最上との和議を進めている中、蘆名、佐竹が伊達領に攻めてきた。小競り合いだと思っていた南側の戦火が広がってしまったのだ。



「厄介なことになった」



 政宗は小十郎、綱元、照姫、月姫とともに地図を見ながら唸っている。大崎、最上との和議が成立していない以上、北方の兵を南に回すことはできなかった。


 今は成実がわずか六百の兵で大内定綱おおうちさだつなの四千を抑えている。しかしこのままでは次第に状況が悪くなっていくことは目に見えていた。



「小十郎、何か考えはあるか」


「はっ」



 小十郎は図面を見ながらじっと考える。皆の視線が小十郎の口元に集まった。



「大内定綱を、調略しましょう」


「何、定綱をこちらに引き入れるというのか!?」



 これには政宗だけでなくその場にいた全員が驚いた。大内定綱といえば政宗が当主の座に着いたときに帰参を申し入れておきながら約束を違えた人物だ。とても信用できる人物ではない。



「定綱はこれまでに主人を何度も変えてきました。田村、伊達、蘆名……。だからこそ調略もうまくいくというものです」


「餌はどうするのだ」


「定綱の旧領である小浜で良いかと思われます。領民も納得するでしょう」



 政宗は唸りながら小十郎を見つめている。自信に満ちた小十郎の姿を見ると蔑ろにはできそうになかった。



「……やってみる価値はあるか」


「お待ちください」



 定綱を調略しようする政宗に照姫が異議を申し立てた。



「私は定綱を信用できませんわ。一度こちら側についたとしてもまたいつ裏切るかわかったものではありませんもの」


「私も照姫様の意見に賛成です。定綱は奸物。とても信用の置ける人物ではありませんぞ」



 照姫に続いて綱元も反対した。それほど定綱に信用がないということなのであろう。


 しかし政宗は両者の顔をじっくりと見て口を開く。その言葉にはズシリとした重みが感じられた。



「照、綱元、確かにお前たちの言うとおりだ。しかし、奥羽平定、天下を狙うには定綱のようなものも使わねばならぬ。刀には刀の、弓矢には弓矢の使い方というのがあるのだ」


「お兄様は定綱のようなものでも使えると思っているのですか?」


「使える」



 政宗ははっきりと言い放った。その自信があったのだろう。定綱に舐められていたころの自分とは違う。そういう自信が満ち溢れていた。


 照姫も政宗にそこまで言われては引き下がるしかない。不安は残ったが政宗の言葉は絶対だ。



「……わかりました。お兄様に従います」


「綱元はどうだ」


「……殿のおっしゃるとおりに」



 政宗は大仰に頷いた。



「小十郎、直ちに成実に使者を出せ。大内定綱を調略せよ、とな」


「御意に」



 政宗は確かに成長している。小手森城で撫で斬りをしていた頃から、使えるものは使うという心構えになってきているのだ。



(お兄様は、どこまで行くのでしょうか)



 照姫は少し怖くなった。政宗が照姫の手の届かないところにいきそうに思えてしまった。


 それは、母・義姫から言われたことも関係していただろう。照姫が見る政宗はどこかぼやけて見えるようになってきていた。




   ☆☆☆




 大内定綱の調略は成功した。定綱は小浜城を返還されることを聞いて悠々と帰参してきたのだ。


 さらには四月十八日、大内の裏切りを聞いて怒り狂った蘆名勢を定綱はわずか千の兵で撃退したのである。


 まさに政宗は定綱をうまく使ったといえるだろう。


 五月、義姫が伊達と最上との間に入って一時停戦の流れとなった。そのため北方の兵力を南に向けることができるようになる。


 政宗自身が出陣し、蘆名、佐竹、相馬の軍を撃破しようと試みた。


 まずは相馬義胤である。五月十二日、義胤は政宗の正室・愛姫の実家である田村領を手に入れようとしていた。


 義胤は三春に進軍し、さらに勢力の拡大を狙う。しかし、田村領の伊達派により撃退されると、政宗自ら率いる伊達軍に小手森城でさらに追撃されることになった。


 その際に政宗を裏切って小手森城に入っていた石川光昌は相馬領へ逃げることになる。



「うまくいった。この調子で蘆名、佐竹を攻略するぞ」



 相馬の脅威が拭い去られると分散されていた兵力がまとまってきた。これで蘆名、佐竹とも対等に渡り合えるという自信が出てきたのだった。




   ☆☆☆




 天正十六年(1588年)六月十二日、郡山こおりやまに軍を進めていた蘆名、佐竹両軍は伊達軍と対峙することになる。お互いに砦を築き、以降四十日間、小競り合いを繰り返すことになった。


 この郡山の合戦で政宗は一つ、照姫に物事を教えた。



「照、あれを見てみろ」



 政宗が指差したのは伊達軍と勇敢に戦っている蘆名・佐竹軍の二部隊であった。



「あの二部隊、手ごわいですわね。おそらく指揮している武将が良いのでしょう」


「ふむ、それだけではないぞ。見るに一方は二十代前半、もう一方は三十代後半とみた」


「え、本当ですか?」


「捕らえてみればわかる。誰か、あの二人の武将を捕らえてこい」



 しばらくすると政宗と照姫のもとに二人の武将が生け捕られてきた。年齢を聞いてみると政宗の言うとおり、一人は二十代戦半、もう一人は三十代後半であった。



「本当ですわ。お兄様、なぜ戦いを見ただけで年齢までもわかったのですか?」



 政宗はニヤリと笑う。



「若者は勇猛に頼って見境なしに突き進む。壮年のものは相手の強弱を測って戦うのだ。照、これを覚えておけば戦術がぐっとたてやすくなる」


「……」



 照姫は息を呑む。政宗の観察眼はここまでのものかと驚嘆する想いだった。


 照姫は郡山の戦いで兄の政宗から戦の何たるかを身にしみるまで教え込まされた。後年、これは照姫にとってかけがえのない宝物になる。




   ☆☆☆




 郡山の合戦は七月、大崎と最上の和睦が完全に成立すると潮が引くように蘆名・佐竹両軍も引き上げていった。伊達家が混乱しているからこそ付け入る隙があると判断しての出兵だったのだろう。伊達家が安定してしまっては戦うのも一苦労だ。


 調停には石川昭光いしかわあきみつ岩城常隆いわきつねたかが名乗り出た。


 天正十六年(1588年)七月二十一日に郡山の合戦は終わった。


 同時に、伊達家の多方面における戦も終わりを告げたのである。

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