第11話 人取り橋の合戦(前編)
天正十三年(1585年)十一月十七日、本宮城を出た伊達軍は観音堂山に布陣した。
「小次郎、敵の様子はどうだ」
「そうですわね。
「こちらの兵力は七千、四倍以上か」
政宗は苦しそうな顔を隠そうともしないで敵がいるであろう南を睨みつける。これほど不利な戦は政宗も体験したことがなかった。
「お兄様、勝てるでしょうか」
「勝つしかあるまい。負ければ伊達家が滅びる。そのつもりで戦うのだ」
そこに小十郎がやってきた。相変わらずこの緊張感の中でも冷静な顔つきだ。
「藤次郎様、連合軍が動き出しました。現在、本陣に向かって北進しております」
「来たか」
政宗はバッと立ち上がった。自ら陣頭に立って指揮するつもりのようだ。
しかし、政宗の前に立ちはだかるように一人の老人が姿を現した。
「お屋形様、お待ちくださいませ」
「左月か。どうした」
老人は政宗が幼名・
「今回の先方、わしに任せてはもらえないでしょうか」
「左月が? おぬしは兜もろくにつけられないではないか。それで敵陣に突き進むというのか?」
「なんの、佐竹や蘆名の矢弾がわしに当たりますか。それに……」
左月は少し涙ぐみながら言葉を続けた。
「殉死した
政宗は左月の意気に飲まれていた。ここまで言われて蔑ろにすることもできない。
「わかった。おぬしにこの軍配を預ける。それがしの代わりに蘆名や佐竹を打ち破ってきてくれ」
「ありがたき幸せ」
左月は政宗から軍配を受け取ると自分の部隊のところに戻っていった。その様子に小十郎はただならぬものを感じ取っていた。
(左月殿、もしや、討ち死にするおつもりでは?)
左月の様子には鬼気迫るものがあった。親友ともいえる遠藤基信が死んだことも関係があるだろう。自分も後を追って死んでしまいたいのかもしれない。
しかし小十郎はこのことを政宗に伝えなかった。死を決意した兵士というものは強いものだ。誰かが死ぬ気で敵に討ちかからなければ活路は開けない。そのために左月の決死の覚悟というのは必要なものである。小十郎はそう判断したのだ。
(これも、伊達家のため)
☆☆☆
戦闘は瀬戸川にかかる人取り橋付近で始まった。伊達軍と連合軍の激しいぶつかりあいである。
「突撃―」
左月は一通り鉄砲と矢を放った後、部隊を突撃させていった。
初めのうちはその勢いに連合軍も押されていたのだが、多勢に無勢、次第に連合軍の勢いが増していった。
「うぬ、これはまずい」
連合軍は左月の部隊を真っ二つに裂くように突出した。そのままの勢いで政宗がいる本陣へと突き進んでいく。
その様子を別働隊として布陣していた伊達成実が見ていた。
「左月の部隊がやられた。救援に行くぞ」
成実はすぐさま部隊をまとめると左月の部隊と合流することを試みた。
しかし、あまりにも敵の数が多すぎ、成実は左月の部隊に近づけなかった。成実も敵に取り囲まれ、危機に瀕することとなる。
政宗は焦りとともにその場を立ち上がった。
「小十郎、それがしも出るぞ。総力戦だ。ここで左月や成実を失うわけにはいかん」
「はっ、しかし……」
小十郎の視線は照姫を見ていた。そのことに政宗も気づいたようだ。
「小次郎、お前はここに残れ。本陣を守るのだ」
「な、何を言っていますの!? 全軍が出るのですわよね? お兄様がいない本陣を守る必要がどこにあるのですか。私もお兄様と参ります!」
政宗はちっ、と舌打ちしたがこうして言い争っている時間も惜しい。結局は政宗とともに照姫も出陣することになった。
「小次郎、それがしから離れるなよ」
「わかっていますわ」
☆☆☆
連合軍は伊達の本陣に突入した。政宗はよく戦った。しかしじりじりと押されていき、左月や成実の救援どころではなくなった。政宗自身も矢を一筋、銃弾を五発受けたのである。
そこにボロボロになった左月が現れた。
「お屋形様、ご無事でしたか」
あの状況を自力で脱出したらしい。なんとも恐ろしいまでの戦闘力である。
「左月か。無事でなによりだ」
「はい、しかし、状況は良くありません。ここは一度退かれるべきです」
左月は政宗に進言するとともに小十郎をチラリと流し見た。小十郎も進言せよ、と言っているようだ。
「藤次郎様、左月殿の言うとおりです。ここは一度退きましょう」
「……致し方ないか」
政宗は唇を噛みながら悔しそうに敵陣を見る。成実も苦しい戦いをしているようだがまだ生きているようだ。伊達の旗が左右に動いていることからそれがわかる。ここは成実の猛将ぶりに期待するしかない。
(成実、死ぬなよ)
☆☆☆
政宗はそれでもなかなかその場を動こうとしない。その様子を照姫が心配そうに見つめていた。
そこに小十郎が一つの案を献じてきた。
「藤次郎様、兜を私にお渡しください」
「なぜだ」
「敵に藤次郎様がまだここにいると錯覚させるためです」
「それでは小十郎が危ないではないか!」
「これも家臣の務めです」
小十郎はニヤリと笑って手を差し出す。しかし政宗はその手をじっと見たまま兜を差し出すことはしなかった。小十郎を犠牲にしてまで生き残ろうとは思えなかったのだ。
小十郎はその政宗の気持ちもわかっていた。だからこそこの身を犠牲にしてまで政宗を助けたかったのだ。
「照姫様」
「え? はい」
照姫はキョトンとした目つきで小十郎を見た。まさか話がこちらに飛んでくるとは思わなかったのだろう。
「藤次郎様を、頼みましたよ」
「……え?」
小十郎はバッと政宗の兜を取るとそのまま自らの兜と入れ替えた。
「な、小十郎、何をする」
「ご無礼。生き残ったそのときは、文句を一言でも二言でも聞きまする」
小十郎は素早く馬に乗ると敵に向かって駆けていった。その姿はすぐに粉塵にまぎれて見えなくなる。
「ははは、さすがは片倉小十郎景綱。わしも負けてられんわい」
同時に左月も小十郎の後を追うように馬に乗った。
政宗の周りに残ったのは照姫とわずかな兵であった。
「あのばか者どもが、今から説教の文句を考えてやる」
政宗はまぶたに涙を溜めて後ろを振り向いた。その側にそっと照姫が寄り添った。
「照、お前は、それがしから、離れるなよ」
「……はい」
☆☆☆
政宗は
左月は敵軍に突撃し、人取り橋を超えて奮戦した。
「わしは鬼庭左月。鬼の名を継ぐものじゃ。鬼の首、取れるものなら取ってみよ!」
左月の部隊はまさに鬼神のごとく奮戦した。左月の部隊だけであげた首の数は二百余にのぼる。これには連合軍も恐れおののいた。
「誰か、わしの首を取れるものはおらぬのか!」
左月はなおも敵の中を突き進んだ。その間に政宗が少しでも遠くに逃れることを願って。
小十郎も政宗の兜をかぶって戦った。三日月を模した前立てが戦場でキラリと光る。
「我は伊達藤次郎政宗なり! 伊達の首、そう簡単には取らせんぞ!」
小十郎の言葉が戦場に響き渡る。その声に引かれた敵兵が小十郎のもとに群がり集まってきた。
「お屋形様を討たすな! 進めー!」
その群れに左月が突撃する。まさに二人だけで敵をなぎ倒しているかのように突き進んだ。
しかし、その快進撃も長くは続かなかった。左月も老いというもがある。体力が尽きてきた頃、
「……う、ぬ。もはや、目の前が良く見えぬわい」
すでにあたりは暗くなっていた。しかし左月の視界が悪いのはそれだけではない。疲労と怪我で視力が一段と落ちているのだ。
「貴殿が鬼の左月か。我は岩城常隆の家臣、窪田十郎なり。その首、貰い受ける!」
窪田十郎が槍を突き入れる。左月はその槍を刀で何とか弾き返そうとした。
「う、ぐっ……」
しかし刀に力が入っていなかったのか、刀の方が槍に弾かれ、左月の左肩に突き刺さった。
だが左月は肩に刺さったその槍をガシッと掴む。
十郎はこれが死に掛けの老人が出す力か、と驚嘆する思いで槍を引き抜こうとする。しかし左月は意地でもこれを離さない。
「こしゃくな!」
十郎は槍を捨てた。抜刀して左月に斬りかかる。すでに力尽きていた左月に避ける気力はなかった。
ザシュッ、と鮮血が闇夜に飛び散った。左月の体が前のめりに倒れる。
「てこずらせやがって、これで鬼の首も取ったな」
十郎が脇差を抜き、左月の首を斬り落とそうとした。その時、左月はまだ意識を保っていた。
「く、くくく……」
「な、何だ!?」
「鬼の首を取ったつもりか? こんな老いた鬼の首を取っても何の価値もない」
「それを決めるのはお屋形様だ」
「鬼はな、まだいるぞ。綱元がいる。わしの倅だ。綱元が、わしの敵をとってくれるわい」
「……言い残したいのはそれだけか」
「うむ、最後に……お前も黄泉のお供をいたせ!」
左月は最後の力を振り絞り、脇差を抜き放った。十郎の喉下に脇差が迫る。
しかし、左月の脇差は十郎の喉を突き刺すことはなかった。左月の脇差より早く、十郎の脇差が左月の首を斬り落としていたのだ。鮮血が戦場の闇夜を彩った。
「……最後まで、まさに鬼、だったな」
十郎の脇差には鬼の血がこびりついた。鬼庭左月は、首だけになっても鬼の形相をしていたという。
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