魔法少女かのん×カノン

乃木しのぎ

第1話

「きょ、今日のかのんちゃん、すごくかっこよかったよ……」


 夕焼けで赤く染まる土手を歩く二つの影がある。

 片方は野球のユニフォームを着、グラブを通したバットを担いでいる少女。

 終夜よすがらかのん。少年野球チームの紅一点かつ四番バッターという、トンデモ野球ガール。

 今日もサヨナラ逆転ホームランを打った帰りだった。


「そう? りりぃちゃんは今日もかわいいねー」

「か、かわいくないよぅ……」


 頬を赤く染めながら、おきにいりのクマのぬいぐるみに顔をうずめる。

 姫宮りりぃ。先に行くほど透ける金髪と、青いリボンがチャームポイントの男の子である。

 男の子である。

 フリルマシマシの甘ロリな服を着ていても、男の子である。

 女子よりも女々しいと言われても男の子である。

 つまるところの男の娘である。


「あ~、癒されるぅ~」

「ふえ?」

「なんでもないよ!」


 バットを担ぎ直しながら、かのんは言い繕う。

 りりぃはそうなの? と納得した。


(ちょっとおバカなりりぃちゃんもかわいいよぅ……どんなりりぃちゃんでもかわいいけどね!)


 かのんはりりぃを溺愛していた。

 周りから引かれるほどには溺愛していた。

 りりぃ煩悩だった。


「ぅ?」

「なんでもないよ! なんでも!」

「そっかー」

「そうそう、なんでもないからねー……」

「んー……?」

「どうかしたの? りりぃちゃん? かのんはどうもしてないよ!」

「かのんちゃんじゃなくて……気のせいかなぁ……」

「……? なにかあったの?」

「う、ううん……見間違いかも。すごく変だったし……」


 自分の目がおかしくなったのだろうか。目をくしくしとこするりりぃ。かのんはその視線の先を見るが、いつもの風景が広がっているだけだった。


「なにもないねえ」

「なにもないねえ」


 かのんとりりぃは顔を見合わせる。


「ぅー、やっぱり気のせいだったかも」

「そっかー。じゃあ、帰ろうか」

「うん」


 ごくごく自然に二人は手を繋ぐ。

 そして。二人は『それ』見た。


「……え?」


 かのんは、自分の目がおかしくなったのかと思った。

 それはそれほどまでに奇妙な光景であったのだ。

 けれど、それはすぐに違うとかのんは判断する。

 りりぃも同じものを見ているからだ。


「今、なにか……」

「うん……」

「歪んでた、よね……?」

「うん……!」


 りりぃの瞳に涙が滲み始める。怖いものに対しての反応は、人一倍敏感なりりぃである。

 そんなりりぃが目にしたのは、『歪み』だ。

 なにもない空間が、歪んだ。

 ぐにゃりと。

 音もなく。


「か、かのんちゃん……」

「……だいじょうぶだよ、りりぃちゃん」


 なにが大丈夫なのか。そんなことをかのんは思う。

 けれど、庇護の対象であるりりぃのために、かのんは勇気を振り絞る。

 担いだ金属バットを抜き、構えた。

 ぐにゃりと歪んだ空間が、元に戻る。しかし、次の瞬間には別の場所で『歪み』が起こる。規則性なき『歪み』の連鎖が続いてゆき、そして。


「え……?」

「りりぃちゃん!」


 りりぃが『歪み』に巻き込まれた。

 かのんの頭が沸騰する。


「か、かのんちゃん……! かのんちゃん!」

「ぁ……! りりぃちゃん! ダメぇえええ!」


 かのんはりりぃの手を引く。

 しかし、その行動もむなしく、りりぃの姿は『歪み』の中へ消えていった。

 かのんもその『歪み』に飲み込ま――

 そして。


「え……?」


 世界は翻った。


「ここ、どこ……? 街……?」


 かのんは目の前に広がる光景に呆然とする。

 ビル街だ。

 高いビルが所狭しと並んでいる。


「なに、これ……」


 その世界に色はなかった。いや、ないわけではない。ネガを反転させたような世界。そして、色彩のない空。

 何よりも、その街には決定的な何かが欠如している。そうかのんは感じた。


「あ……! りりぃちゃん! りりぃちゃんは!」


 かのんは慌てて辺りを見渡す。

 『歪み』に取り込まれたのは、りりぃも同じ。そんな論理的な考えが浮かぶよりも早く、本能的にかのんはりりぃの姿を探していた。

 そして、見つけた。


「りりぃちゃん!」


 りりぃは、路面に仰向けで倒れていた。

 まぶたは閉じられ、金の髪が広がっている。近くには愛用のクマのぬいぐるみが落ちていた。

 かのんはりりぃに駆け寄り、その矮躯を揺さぶる。


「りりぃちゃん! 目を覚まして! りりぃちゃん!」


 そうすることしばらく。うっすらとりりぃの目が開いた。


「んぅ……かのんちゃん……? もう少し寝かせてよぅ……」

「寝ぼけるの早いよ……」


 とりあえず、無事らしいことにかのんはほっとする。見えるところに怪我もない。

 いつもなら起きそうで起きないりりぃを堪能するかのんだが、流石にTPOを弁える。


「寝言言ってる場合じゃないよ!」

「ぁぅ……? 夢、かな……ぐにゃぐにゃになって、変なところに飛ばされちゃったような……」

「夢じゃないよっ! 現実だよっ! 起きてー!」

「ぅぅ、起きりゅ……」

「かわいいー。りりぃちゃんかわいいよぅー」


 そんなことをやっている場合ではない。


「あぅー……」


 目を擦り、まばたきをしながら、りりぃは身を起こす。


「ん……ここどこぉ……?」

「分からないよ……でも、なんだろ、嫌な感じがする……」

「うう、そんな感じはするよぅ……なんか、こわいよぅ……」


 りりぃは迷うことなくかのんに抱きつく。

 いつもなら、ハッピーだね! なんてアッパーテンションでいうかのんだが、この非常時にそうも言っていられない。


「あ、くまさん」

「とりにいこっか……」


 とりあえず、落ち着けるかもしれない。

 そんなことを思いながら、かのんはりりぃとともに歩きだす。

 アスファルトだろうか。無機質なそれの上に転がっているクマのぬいぐるみに、りりぃが手を伸ばした瞬間だった。

 地が揺れた。


「きゃっ」


 その勢いに、りりぃがバランスを崩す。


「ぁぅ、な、なに……?」

「りりぃちゃん……あれ……」

「……え?」


 かのんが指さした先。そこには、巨大なクレーターと球体を描くようにえぐられたビルがあった。ぐらりと傾き、ゆっくりとビルが倒れ始める。風とともに、土煙がかのんたちを襲った。


「う……っ」

「ひゃ……!」


 その風圧に、抱き合うかのんとりりぃ。

 そうすることしばらく。風が止んだ。

 シン、と世界は静まり返っている。


「に、逃げよう、りりぃちゃん! ここ、何かおかしいよ!」

「ぁ……」


 呆然とするりりぃの手を引き、かのんは一刻も早くこの場を離れようとする。

 どこに逃げればいいのか。そんな考えが浮かばないほど、かのんは動揺していた。

 離れようとするのは当然で、そして最適解であった。

 ――だが、その判断は遅かった。


「あん? なんだ、お前ら」


 倒れたビルに立つ人影が一つ。

 サメのような女だった。

 ぎらりと並んだ歯を、赤い舌でなぞり、かのんたちを見ている。

 その視線に、かのんは背筋に寒いものが走ったのを感じた。

 それは、かのんが初めて浴びた殺気。それの正体が何かをかのんは知らない。けれど、りりぃを抱える腕に反射的に力が入る。


「ま、なんだっていっか。じゃあ死ね」

「え……?」


 女が指に挟んだネガ反転したビー玉のようなものを放る。

 そうして。


「伏せなさい!」


 かのんたちの目の前に巨大な黄金の十字架が刺さった。

 直後、ネガ反転の爆発が周囲を巻き込む。

 かのんが気がついたとき。十字架を支える人影が見えた。

 不思議なことに、十字架の先からは爆発が入り込んでこない。

 目の前に起きているこの現象は夢か幻かと思ったかのんだったが、胸の中のりりぃの体温と震えを感じ取る。


「おっと、本命のご登場ってかぁ?」

「Sit! 一般人が巻き込まれているなんて……! イレギュラーすぎるわ……!」

「クッハー! いい洒落が効いてんじゃねえの、ええ? 白いの」

「ジョークがわかるようで何よりね、クロード……!」


 特徴的な笑い方をする女に対峙するは、身の丈以上の十字架を軽々と担ぐ人影。金髪に白コート、白ハンチング帽を被った女性だった。

 かのんたちとクロードと呼ばれた女の間を遮るように立っている。

 そして、身体中から血を流していた。息も荒い。満身創痍もいいところだろう。


「お、おねえさん、血が……」

「あなたたちが心配することではないわ……」

「さーて、どうしようかねえ。足でまとい二人を庇わなきゃいけないってわけだ。アタシはどうしてやろうか」


 嗜虐にあふれた顔で、クロードは笑う。獰猛な表情の下では、悪辣な思考が渦巻いていいるのは明らかだ。


「パーティしようぜ。なあ!」


 クロードの指に現れたネガ反転のビー玉が、どろりと溶け、足元に垂れてゆく。

 ぽたぽたと地面につき、そして、そこから不定形の『なにか』が湧いてくる。


「この、イレギュラーめ……!」

「クッハー! 足かせ付きでいつまで耐えられる? マリア・H・A・ナキリ!」

「お前たちを、駆逐するまで……!」


 少女――マリアは巨大な十字架を横に大きく振るった。


「に、逃げよう、逃げよう……! りりぃちゃん! ここから早く!」

「あ、あぅ……」


 かのんが手を引っ張るも、がくん、と止まる。

 りりぃは、腰が砕けていた。ぺたりと地面にへたりこみ、カタカタと震えている。かのんはすぐにりりぃを横抱きにした。

 毎日の野球で鍛えられた身体なら、華奢なりりぃを抱えることは容易い。

 かのんがいざ、走り出そうとしたときだった。


「動かないで!」

「は、はいっ!」


 あまりにも強い口調に、かのんは反射的に動きを止めた。野球で培われた上下関係の賜物である。


「一歩でも動いてみてごらんなさい……あなたたちは死ぬわよ! 生きたいのならば、その場でじっとしていなさい!」

「はぃぃ……」


 目に涙を溜めながら、りりぃは首肯する。


「クッハー! 甘いねえ。そんなお荷物さっさと捨てりゃいいのに」

「エゴの塊のあなたたちと一緒にしないで頂戴……!」

「それで自分がおっちぬんだから世話ねえな」

「私は死なないわ」


 十字架の先端をマリアはクロードに向ける。対するクロードは凶悪な笑顔を崩さない。

 笑顔の元は威嚇。それを的確に表している。


「そーかい。んじゃあ、試してみるか」


 クロードはさらに指に挟んだ八個の球を地面に落とす。

 球がどろりと溶け。ネガ反転した、半液状のモノに変わった。それらは次々と増え続け、一つの群れとなっていく。

 うぞりと動くそれらを見て、マリアは顔を引き締めたのが、背後のかのんたちからでも分かった。


「イレギュラーは……断ち切る!」


 十字架がうねりを上げて斜めに一閃される。そこから現れた純白の球が、マリアの言うイレギュラーに殺到した。


「な、なんなんだろう、これ……」


 かのんの目の前のそれは現実なのか。常軌を逸したこの光景。ともすれば投げ捨てたくなるような現実がそこにはある。

 白の爆発と、イレギュラーたちがぶつかり合った。

 その様相は殺し合いだった。殺意と殺意が混ざり、融けて、弾けて。イレギュラーたちが消えてゆく。

 しかし、マリアが優勢である、というわけではなかった。

 クロードから次々と放たれるイレギュラーたちを白の光弾で処理してゆくマリア。問題なのは、供給源であるクロードに指先一つ届いていないということ。


「か、かのんちゃん……」

「だいじょうぶだよ、りりぃちゃん……」

「う、うん……」


 かのんが精一杯の強がりを言った瞬間であった。

 マリアが十字架の先端をかのんたちに向けた。


「え……?」

「Shot!」

「ひっ」


 かのんとりりぃが抱き合った――上を、白球が飛んでいった。

 小規模の爆発とともに、背後から接近していたイレギュラーが爆ぜる。


「ぁ……」

「お姉さん前!」

「っ……!」


 ぞぶり。マリアの腹を、変形したイレギュラーの触手が貫いた。


「クッハー! ざまーねーの! おまけのもう一つだ! とっときなぁ!」


 何度目かわからない爆発。マリアがかのんたちのすぐ前まで転がってきた。

 致命傷なのは、見れば分かる。

 むしろ、息があるのが不思議なくらいで。


「かはっ……」

「お姉さん!」

「あーあー、ドテッ腹に穴開けて、爆発が直撃。助かんねーな、こりゃ」

「ぁ、ぐ……障壁を……」


 マリアを中心に、白いドームが展開される。

 十字架にすがりながら、マリアは膝を付いていた。

 息は荒く、ボタボタと血が流れ落ちる。


「お姉さん!」

「ひ……血、血ぃ……」

「ど、どうしよう……」

「どうもしなくていいわ。私は死ぬ。ただ、それだけのことよ」

「そ、そんな、あっさり……」

「いつかはそうなることが今来ただけ。それだけ。たったそれだけなの」


 そこにあるのは、かのんたちが見たこともない覚悟だ。

 一生をそれに捧げる覚悟がそこにはある。


「私個人の死はなんでもいいこと。けれど……私という存在がここで消失すれば、莫大な損害が出る……!」

「え……?」

「彼女たちの侵攻を止めなければ……! ごっ」


 マリアから吐き出された血が、白色の空間を染めた。


「わけが……わからないだろうけど……聞いて頂戴。あなたたちに、守って欲しいの。あなたたちの、大切なものを……!」


 傷ついた十字架が、ボロボロと崩れ始める。


「大切な、ものを……?」

「彼女たちは脅威……! 倒せなければ、世界が……! あぐっ」


 地震のような衝撃が、ドームを襲う。

 それを誰が為しているのか。考える間でもない。クロードだ。


「……わかり、ました」

「かのん、ちゃん……?」

「やります」

「ま、待って……あ、あんなのと戦うなんて……」

「でも、放っておけないよ。マリアさんのこと、見てて、ほうっておける?」

「で、でも」


 りりぃは思う。

 そんなことをして欲しくないと。

 どれだけ危ないことなのか。どれだけ傷つくものなのか。

 けれど、かのんの目には決意の焔が宿っていた。

 そうなったときのかのんは、意地でも動かない。

 幼馴染みのりりぃはそれを良く知っている。

 ツーストライク、ツーアウト。追い込まれた今、かのんは自分に出来ることを全力ですることだろう。


「……クロードと戦うにせよ、逃げるにせよ……チカラを受け入れなくてはならないわ……ごめんなさい。あなたたちに選択肢は、ないの……魔法、少女に……ならなくては……」

「り、りりぃが……」

「りりぃちゃん、あの人と戦える?」

「かのんちゃんだって……かのんちゃんだってぇ……」


 りりぃは涙をこぼした。

 戦うということは、あんまりなことで。


「まかせて、りりぃちゃん。必ず、ハッピーエンドにするから!」

「うぅ……」


 マリアの十字架が砕けてゆく。その後から出てきたのは、古風な金色の鍵だった。


「鍵を、受け取って」

「はい」

「目をつむって……あとは、鍵が教えてくれる……」

「はい」

「これから向かうのは、死地よ……あなたたちに……似合わない、血みどろの、世界……」

「あ……」


 マリアが、崩れてゆく。

 手が欠け、足が欠け、身体が欠け、そうして、なくなってゆく。


「いきなさい。私が、不甲斐ないばか、り、に……」


 マリアは消えた。残っているのは、血だまりだけだった。

 かのんは託された鍵を胸元で持ち、教えられた通りにする。


「きゃっ!」


 再びの衝撃に、りりぃがよろめく。だが、かのんは動じない。

 奥深くへ。自分でも知らない奥底へと向かっているのだ。

 そうして。


「見つけた」


 湧いてくるものがある。

 今まで知りもしなかったものが、そこにはあった。

 それはチカラだった。


「――天よ開け」


「――我が祈りに応えよ」


「――星よ瞬け」


「――星よ輝け」


「――星よ煌めけ」


「――我が心の永劫の星よ、今ここに!」


「『極星火輪』! チェンジアップ!」

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