第26話「リリ、長生きしてよ」とわたしはいう。

1月28日 Thu.

「リリ、長生きしてよ」とわたしはいう。

●初めて生活を共にした彼女(ミュ)は病気ひとつしなかった。

息子が猫が好きで、森山会館の前で拾いあげて来たメスの虎猫だった。

病気ひとつしなかった。

いちどは母猫としての気分をあじあわせてやりたいと、三匹の子猫を産んでから、不妊手術をした。医者にかかったのは、そのときだけだった。お医者さんの世話にはなったが、病気ではない。

●階段をポコッポコッと辛そうに上がって来た。二階の書斎で小説を書いているわたしに会うためだ。その翌日この世を去った。

19年の生涯だった。

「ミュよ。下で呼んでくれれば、パパが下りていくからな。ムリするな」

と声をかけてやった翌日のことだった。

あまり呼吸が苦しそうなので、絨毯のうえにアグラヲかき、膝の上にミュをのせてやった。だまって、わたしの顔を見上げて数時間。静かに息をひきとった。

●ミュは寒がりだったので毛布にくるんで庭の東の隅に埋葬した。

●いまホリゴタツでわたしがキーボードを叩く音を、神妙にきいているブラッキ―も同棲してからはや18年になるが昨年の暮れ、疥癬で動物病院にかかるまでは健康そのものだった。

●だからなのかもしれない。病弱なリリのことが心配なのだ。それにリリはハジメからカミさんがかわいがっている。

「リリはミイマ(妻の愛称)が産んだ子じゃないの」

と冷やかしたくなるほど、妻はリリを、人間の赤ちゃん同様の育て方をしてきている。

ミイマがカウチソファーに横になってテレビを見ていると、リリは妻のお腹の上にのって神妙にしている。カミさんと同じような姿勢でテレビを見ているので、相似形だ、というと、体質まで似ているの、という返事が戻って来た。

「だって、鉄分が少なくて貧血ぎみだったりして……」

その他、諸々似ているところがあるのだが、列挙するのは控える。

●「わたしに似ているのだったら、心配ないわ。この歳まで生きているのだから」

●娘たちと、姉妹と間違えられるほど若く見えるのが自慢のカミさんが、シラツトいったものだ。

1月28日 Thu.

「リリが吐いたわ」

●「リリが、ゲしちゃった。今朝食べたモノ全部吐いた――の」

ホリゴタツでパソコンに向かっているわたしに、ミイマが離れから呼びかけている。出来るだけ、食べさせて、体重が落ちないように。と先生にいわれている。

だから、食事の量と体重の変化には気を配っている。困った。寒かったからだろうか――。

●ミイマがリリを抱えてきた。

「コタツに入れたら」

「そのつもりで連れてきたの」

すでに、ブラッキ―が居るコタツにリリを入れる。

ウゥ―。とブラッキ―はうなったが、すぐ静かになった。

最近、ブラッキ―はリリとあまりモメナクナッタ。

●リリは元気がない。リリのことをブログにupした後だけに、また心配になった。

あまり心配したので、小説の筆がぴたりと止まってしまった。

いや、それはいい訳だ。

わたしの能力の問題で、リリの心配が原因などということはない。

ごめん、リリ。ほんの一瞬でもリリのせいにして、ゴメン。

でも、リリの未来を想うと悲観的になった。心配で、心配で瞼が熱くなった。

涙がこぼれそうなのを、こらえた。

●ノドを腫らした。イブを飲む。明日はよくなっているといいな。

●生きていく、ということは、なにかと悩みがあるものだ。

●リリもあしたからまた頑張ってよ。

1月29日 Fri.

ぼんやりと一日を過ごした。

●夕暮れると雨になった。

明日の朝にかけて雪になるだろうという。

●喉を腫らしている。

体が重い。

一歩も外に出なかった。

終日読書。寝床で過ごした。

●なにもしないでいる時間があるのは、楽しいものだ。

じぶんの運命についてかんがえてみたりした。

●過去を振り返ってみる。ほろ苦い気持ちになる。

●リリとブラッキ―とタワムレテいると退屈しない。

リリはあいかわらず元気がない。

年寄りのブラッキ―のほうが元気だ。

1月31日 Sun.

今夜はぐっすり猫ちゃんとおねんねできるぞ。

●「リリがいない。リリ、どこなの。パパ、襖開けっ放しだったでしょう」

ミイマが寝室で叫んでいる。

●U―23アジア選手権決勝。

日本3―2で、宿敵韓国に勝利。

午前二時やっと興奮冷めやらぬまま寝床にもぐりこんだら、隣りの部屋でミイマの声が夜の静寂を破った。

●「リリ。リリ、どこなの。寒いからおいで」

ミイマがリリを捜す声だけが深夜の冷え込んでいる家の中にひびいている。

「ミイマの方が心配だよ。風邪ひくぞ」

声だけのミイマに警告。2年ほど前、風邪をこじらせて副鼻炎をわずらった。

その後遺症でまだ耳鼻科にかよっているミイマに、声だけを飛ばす。

●うとうとしていたら、中道に面した引き戸が音もなくひらく。

冷たい風がふきこんできたのでそれと知れた。

リリがブラッキ―のあとから入って来た。

ブラッキ―がさそつて、どこかに隠れていたリリをつれてきたらしい。

●寝床から起きて、リリをミイマの寝床まで、届ける。

●リリを抱きしめて「リリ。おいで。おいで」

と声をかけるミイマの横にリリはもぐりこむ。

やっぱり寒かったのだ。

●わたしの寝床にはブラッキ―がまっていた。

サッカ―の試合も勝ったことだし、今夜はぐっすり眠れるだろうと希望的観測をしてふたたび、寝床にもぐりこむ。

2月2日 Tue.

リリはバーチャルの世界で狩りをしています。

●リリが消える。

「リリ、どこなの。どこにいるの」

わが家は築百年にはなる。こんど、大きな地震が来たら倒れてしまうのではないかと子どもたちが心配している。

古民家だ。ボロ家だが広い。リリが消えてしまって、その姿を探すのは一苦労だ。

●「リリ、見つけた」

ミイマの陽気な声がブラッキ―の餌場とトイレになっている、わたしの書斎の下の部屋でする。雑然とした空間だ。スチールの机が二つある。その上にはこれまた雑然と塾の古い教材が重ねてある。園芸用品、デンドウノコ、等などが所狭しと置いてある。

物置がわりに使っている部屋だ。

●リリはこのところ、ここが気に入っている。

あまりにキレイで何もない部屋よりも品物が、アチコチにあった方が、落ち着くのだろう。それに物影からなにかトビダシテきそうな期待があるようだ。狩りをしている気分なのだろう。なにもないのに、お尻をククット左右に振っているのを見ていると、古びて空気の抜けぬ軟式テニスのボールにジャレついた。上の娘が中学でテニスをやっていた。その思い出のラケットやボールが捨てずにとってある。

●この部屋は、思い出のジャングルだ。

娘にテニスを教えてくれた義弟は昨年亡くなった。

何人も入れ替わった塾の先生がたの使い古した教材も大切に保存してある。

教え子の名簿。塾でだしていた「麻」という小冊子。

●タイムスリップを起こして、過去の感傷にふけらないように、わたしはあまり近寄らない部屋で、リリは仮想の獲物を捜しているのだろう。

2月5日 Fri.

水ぬるむ?

●昼ごろポカポカ陽気にさそわれて散歩にでた。マフラーをしなくても寒くはなかった。コーデロイのシャッも脱いだ。いい陽気になったものだ。

●黒川では堰きの上の流れのゆるやかな水面を鴨が4羽泳いでいた。ゆったりと並んで泳いでいるのが、いかにも春らしかった。青鷺も大きな羽をひろげて飛んでいた。

●水は茶色に濁っていた。上流で工事でもしているのだろうか。そう思わせるような色をしていた。工事といえば、昨年の台風の跡はそのままだ。

●荒れ果てた河川敷を眺めながら「ふれあい堤」を歩く。

上空をカラスが鳴きながら追いかけてきた。散歩するひとが珍しいのだろうか。

●文化交流センターの脇の枯れ芝の広場。そのうち、青くなってくるだろう。

芽吹いていない裸の木々。早く、本格的な春になるといいな。

●家に戻ると、ブラッキ―とリリが追いかけっこをしていた。

春の気配を感じているのだろうか。

2月13日 Sat.

リリ、ネズミなんか寝室にくわえこまないで。

●ふいに家のなかいっぱいに、いや、向こう三軒両隣までとどいたのではないかと、心配な――ミイマの悲鳴。布を裂くような甲高い叫び。

悲鳴――。オモワズ心肺停止に追い込まれそうな悲鳴に、階下にかけおりる。

●ミイマの部屋の障子を夢中で開けると――リリが子ネズミでサッカ―をしていた。

ミイマは二十畳ほどある洋間の片隅で、ただでさえ小柄な体をさらに細めてガクガクふるえている。

●ミイマは鼠やゴキブリが大嫌いだ。

キライどころの騒ぎではない。

みただけでパニック症候群におちいる。

このまま心臓が止まるかと思った。

と震えている。もちろん顔面蒼白。

●ひさしぶりの、悲鳴によるご指名の救助信号で駆けつけたわたしは「あの、悲鳴、ご近所にDVとまちがえられるな」と、言ったもんだ。

「なに呑気なこといってるの、早く捕まえて」

●恐いもの知らずのわたしだからいいようなものの、リリがジャレテいる子ネズミを素手で捕まえる。リリはせっかく捕まえた獲物をよこどりされて、不満顔。

ネズミのいたあたりに鼻づらをおしつけて臭いを嗅いでいる。

●「もうリリ、いやだよ」それでもカミさんはリリを抱きあげてほほずりをしている。前では、そんなことは出来なかった。リリへの深い愛情がある。

いままでだったら、猫の、リリのそばに行くこともしなかっただろう。

ほんの一瞬前まで、ネズミをくわえていたのだ。

愛は強し。

ミイマの不安神経症もこれでいくぶん緩和されていくことだろう。

3月11日 Fri.

●あいかわらず、リリは元気がない。鉄分が足りない。血が造れない。

造血剤を動物病院でもらってきて飲ませている。食欲がなく、一日ぼんやりとしている。

●なんとか、ならないものなのだろうか。

いままで何匹もの猫ちゃんと生活を共にしてきたが、みんな元気だった。

リリはやはり先天的に病弱なのだろう。

美人薄命。そんな言葉が思い浮かぶ。

三毛猫なので、ふっくらとして、わたしには平安美人に見える。

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