六日目 猫はかなしそうに、にゃーと鳴いた。

『ナノマシン散布による外側の人間アウターの抹殺か。なかなか思い切ったことをするよね』


 ミケはそう言ってその場でノビをしていた。

 今ミケが、『ビースト』がいるのは大西洋の大陸間の中間ほどの場所にあるゾロア海底基地であった。

 裏切り者である『デウス』の排除に成功した『ビースト』は続けて接近してきたユーロの無敵艦隊アルマダを殲滅すると軍勢のいなくなったユーロのコロニーを次々と落とし、そして今は最後の補給のためにこの基地に来ていたのである。

 だが基地に着いた彼らを待っていたものは勝利の歓声ではなかった。誰もが沈んだ顔で、かといって何を言うべきなのかが分からないという顔をしていた。

 また同乗していたフランにしても、疲れた顔をしながらそのまま基地内に入ったきり出てこない。

 さて、どうしたものか……とミケは考える。すでにここに来てから十時間。情報は遮断され、ミケは現在手持ち無沙汰であった。

 そんな『ビースト』の前に一人の男が近付いてきたのがミケには確認できた。この基地内にいる人員はいずれも救世メサイア機関所属であるため、即時射殺対象ではない。そして近付く男の顔にミケは覚えがあった。


『やあ、ミケランジェロ。私が分かるかな?』


 疲れた表情をしながらも、笑顔を作ってその男は『ビースト』に向かって声をかけてきた。


『やあ、ライネル教官。君から戦闘訓練を受けたことはさすがに忘れてはいないさ』


 それはミケが作戦開始前の戦闘の指導をしていた男であった。もっとも指導とは言っても基本的に『ビースト』には戦術AIモジュールが搭載されているために、習ったのは基本的な動かし方程度ではあったのだが。

 しかしミケは訝しげな視線でライネルを見ていた。

 救世メサイア機関所属であろうと、ミケの教官であろうと、今のミケと接触する許可があるのは基本的にフランだけのはずであった。そのミケにライネルが声をかけることがすでに問題のはずなのだ。故にミケは尋ねた。


『ライネル。フランはどこだい? 接近こそ許されてはいるが君のプライオリティは低い。君がこのまま僕と接触を続けようとするならば、場合によっては撃ってしまうかもしれないよ?』


 その言葉にライネルは苦笑しながら、肩をすくめた。


『まあ、そう言うなよ。こちらとしても色々と事態が立て込んでいてね』

『それは分かるよ。状況はどうなっているんだろうね。僕はここで何も分からない状態でいるから情報には飢えているんだ』


 ミケはそう言いながらも内部のモニタからライネルのデータをチェックしていた。脳波やその表情……さらにはライネルの身体にこびり付いたフランの臭いからミケは事態を推測し、隠密用の小さな機械の獣をガレージから放った。


『ああ、そうだな。まずはどこから話したものだろうな』


 そしてミケの行動に気付いていないライネルが話し始めたのは現在の世界の状況だ。

 宇宙にある二重のオービタルリングシステムより射出されたナノマシンは恐らくは機械種のシミュレーション通りに大気の気流に乗って広がり続け、今は世界各地で黒い雨となって地上に降り注いでいるという話であった。

 それを浴びた人間は生きたまま腐り果ててその場で死に絶える。『デウス』が得た情報もすでに解析されているそうで、そのナノマシンはごみを自然に優しく大地の栄養へと変えるように造られたものであるとのことだった。また、ライネルは冷静を装っているようではあったがその言葉の節々にはミケを責めるような言い回しが込められてもいた。

 もっとも、そのことに対してミケがどう思ったかと言えば、特には何も……というのが現実である。ミケの価値観からすれば、そのことに罪悪感はない。彼にとっての一番はカリカリで二番は飼い主のフランで、それより下は基本的にどうでも良いことなのだ。

 そしてそのナノマシンは人間専用に調整されたものであるらしく、であればミケと同種は無事らしいというのは分かったが、それも特に何か感慨があるわけでもなかった。敢えて言うならばどうでも良い話だ。そしてどうでも良くない方の問題はライネルからではなく、ミケ自身が発見した。


『見つけたよフラン』


 そこはミケのいるガレージからは真逆の倉庫の一画だった。そこにフランはいた。

 ミケが放った偵察猫型ロボと同じ構造であるサイバネアーミー二体もいつものようにその場に立っていた。だが主を護る様子はなかった。

 どうやらフランと一緒にいるふたりの裸の男たちは同じ救世メサイア機関の人間であるために攻撃対象に入っていないようだった。そして倉庫に入ってきたメタルシルバーの猫を見て男が叫んだ。


『なんだ。てめえは』

『馬鹿やろう。こっちは取り込んでるんだ』


 裸の男たちが凶暴な顔をして猫型ロボットに怒鳴っているがミケはそれを無視して、その後ろにいるフランの様子を見ていた。その姿は無惨という言葉では言い表せられないほどの、考えられる限り最悪のものであった。


『拷問かい。酷い臭いをしている』


 それがフランであるとミケが分かったのは埋め込まれたID認証用のチップが反応していたためだ。もはや外見上は十時間前に見たフランとは似ても似つかないほどの、そもそも人であるのかさえも危ぶまれるような姿に成り果てていた。


『まさか、見ているのかミケランジェロ?』


 その様子をミケが観察していると、ガレージの中でライネルが慌てた声を出してミケに問いかけてきた。

 どうやら裸の男のどちらかが教えたらしいとその反応で理解できたミケは、己の毛が逆立つほどの衝動を抑えながらライネルに『ビースト』の視線を向けさせた。


『どういうことか説明はあるかい?』


 声の質から怒気が含まれるのを悟ったのだろう。ライネルはひきつった顔で言い訳を口にする。


『わ、我々、救世メサイア機関は上級市民ノーブルに従うことを決定したんだよ。なにしろあんなことがあった後なんだ。争っている場合じゃあない。生きている外側の人間アウターを助けるためにも私たちは彼らを必要としている、それは分かるだろう? だが、その女は君の情報を隠匿した。だから我々は』


 その訴えにミケは鼻で笑うような合成音声で言葉を返した。


『拷問で吐かせようとしたんだね。十時間か。なるほど……フランはその間、ずっと君たちに酷いことをされていたわけか。まったく以て笑えないよライネル。ねえ、フラン。君はどう思う?』


 ミケの合成音声が猫型のロボットからも発せられた。それには血塗れの裸の男たちがギョッとしたが、もはや人の形をしていないフランからその言葉への返事が発せられたことにはさらに驚愕していた。


『ミケ。少しばかり遅かったわね。まあ、落ち度は私の方にあるのだけれど』


 流暢とは言えないが、しかしはっきりとした言葉がそれから返ってくる。同時に近くに置かれていた端末が急速に動き出していたことに男たちは気付いていなかった。


『ごめんね。気が付けなくて』

『ふふふ、あなたが気に病む必要はないわ』


 悲しそうに笑うフランを男たちは目を丸くして見ている。まるで悪い冗談のような光景だった。そして、それは小型端末から倉庫の映像を見ているライネルにも伝わっていた。それからライネルは驚きの顔のままミケに尋ねる。


『どういうことだ?』

『彼女の有り様は僕に近いからね』


 そうミケが口にするがライネルには意味が分からない。ライネルは知らされていない。現在のフランの言葉は、フランの所持していた端末内に保存されていたバックアップ人格が発生させているものであるということを。また、そうした技術があることも彼らは知らない。知らされていない。


『バイタルのチェックは完了。なるほど、私は相当な目にあったらしいわよ。『ビースト』についての情報なんて私の頭の中にはないのに、よくもまあ丹念にほじくりだそうとしたものだわ』

『なんだと? お前たち、一体何を話しているんだ?』


 男が叫ぶがフランはそれに返事はしない。

 話しても分かるとは思えなかったし、話したくもなかった。

 実のところ、ミケが外部記憶装置や仮想人格AIモジュールを介して人格を得て言葉をしゃべれるように、フランも端末と接続し『ビースト』に関する情報の一切を脳ではなく、外部記憶装置に振り分けて記録する形をとっていた。

 故に端末と接続していないスタンドアローン状態のフラン個人を拷問にかけようと、例え機械的に脳内へ接続して情報を解析しようとしたところで『ビースト』に関する情報の一切を得ることは出来はしない。

 そのことを知らないライネルや拷問をした男たちを無視してミケが尋ねる。


『それでどうなんだい?』

『そうね。薬物投与で臓器に致命的な障害が多数。肉体的には見ての通り……かな。メンタルの方も心が壊れて、もう死んでいるのとも変わらないわね。今はもう同期を諦めてバックアップだけで会話を行っている状態なの』


 その言葉に『ビースト』の中にいるミケが顔を落とした。そして、もう自分の飼い主がどこにもいなくなってしまったことを悟りミケはにゃーと鳴いた。それから猫の瞳からひとしずくの涙が流れ、それがコクピットに落ちた。


『そうかい。残念だよフラン』

『私も残念だわミケ』


 その中で完全に話から外されていたライネルが叫んだ。


『何を言っているんだ。お前らは? それにミケ。お前だって猫だろうと救世メサイア機関の一員だ。人格AIと繋がってるんだ。それは分かるだろう? 私たちにおとなしく従い……』


 その言葉にミケが笑いながら言葉を返した。


『ははは。君たちは機関の手足でしかないのに、僕に指示をしようというのかい? 何の権限があってそう口にしているのか言ってみるが良いよ』


 その言葉にライネルが気圧されるが、だがその表情にはまだ幾分かの余裕がある。だからミケはその幻想を砕くべく、続けて言葉を発した。


『それにだ。君たちは思い違いをしているようだけど』

『何をだ?』


 首を傾げるライネルにミケが続けて告げたことはただの事実であった。


『君たちはもしかするとフランの指示がなければ僕が動けない……などと思っているのではないかな。まあ、だからこそあそこまでのことをフランにできたのだろうけど』


 その言葉にライネルがギョッとする。

 ライネルたちはミケが猫であることを知っている。だからこそ、フランという人間のオペレータがいるのだと聞いていた。

 指示をしているのは人間だから作戦遂行に問題はないと聞かされていた。逆に言えばフランをどうにかすればミケは無力化できると考えていたのだ。だがそれは完全な誤りである。


『僕はスタンドアローンなんだよ。すべての決定は僕が下し、すべての行いは僕の意志によって行われる』

『そんな馬鹿な……』

『だから、君たちが彼女からビーストの情報や僕への命令権を奪おうとすること自体がナンセンスだ。無意味な行為なんだ』


 トドメの言葉にライネルが取り乱して叫んだ。


『嘘だ。何故そんな危険なことをッ!』

『今の状況を見れば分かりそうなものだけどね。人間は裏切るし、心変わりもする。だが僕は違う』


 その言葉にライネルが目を見開き『ビースト』に問いかける。


『違う? じゃあ、お前は一体何のために戦っている? 飼い主からの指示を受けているからじゃないのか?』

『いいや。僕の望みはフランとは『関係がない』。僕はただ僕の望みを叶えるために動いているに過ぎない』


 そこまで言われてもライネルは己の思い違いが信じられなかった。すべてが足元からボロボロと崩れていく感覚に陥りながら、なおもライネルはミケに尋ねざるを得なかった。


『なん……なんだ、それは?』

『それは君たちがいつだって欲し、自ら望んで取りこぼすものだよ人間』


 その返しに訳が分からず絶句するライネルをミケは無視して、モニタ越しにフランを見ながら尋ねた。


『フラン。どうやら、僕がここにいる意味はもうないようだ。このまま僕は行くけど、さて君はどうしたい?』

『律儀ね。もう使い物にならないオペレータなんて放っておけばいいのに』

『僕だって飼い主への敬意は持っているさ』


 その言葉にフランの口から笑みが漏れた。それは数日前のミケの好きなフランの笑い声そのものだった。


『今更、記憶や魂を上書きしてもそれが私であるとは思えないし、こんな身体は嫌なの。だから綺麗にしていってくれるかな? ここは臭くて汚くて暗い。あなたを抱きしめる腕も、もうないから。だから……』

『お前ら、まさか』


 ライネルも、拷問をしていた男たちにもその言葉の意味は理解できた。


『そうか。残念だよフラン』


 そう言ってミケが『ビースト』を戦闘機動に移行させていく。


『さようならフラン。僕は猫だが、猫なりに君を愛していたよ』

『さようならミケ。私もあなたが好きよ。誰よりも……多分ね』

『止めさせろっ』


 ライネルの叫びに倉庫の男が銃を取り出して引き金を引こうとする。その銃口の先はフランであったものか、あるいは機械の猫か。だが引き金が引かれることはなかった。そうなる前に『ビースト』の集束レーザーが基地内を貫き、フランのいる倉庫を光に包んで蒸発させた。

 それと同時に施設内にあった可燃物質が誘爆し、海中の基地の崩壊も始まる。また、今の攻撃の余波によって全身が焼け爛れたライネルが『ビースト』の前で転げて暴れていたが、ミケにとってそれはもはやどうでも良い存在だった。


『さあ、行くかな』


 それからミケはガレージを光学兵器で吹き飛ばして穴を開けると、そのまま流れ込んでくる海水の中に飛び込んだ。そして、もうミケが後ろを振り向くことはなかった。

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