吉備国魔界変

第3話

 沖合に浮かぶ小さな島――その上空にはいつも暗雲が垂れ込めていた。人が『鬼ヶ島』と呼ぶこの島に、このとき一人の若者と無数の化物『鬼』が棲みついていた。

 若者の名を、天魔王と言った。

 そして今、その島には巨大な魔法陣が描かれ、どうどうと暗黒の滝が流れ落ちている。その滝の中――怒濤の如く流れ落ちる暗黒の想念の中、以前はなかった白いものが蠢いていた。

 女であった。

 美しい女が、白い裸身をさらけ出し、長い髪を振り乱しながら、凄まじい悪想念を全身に受け、狂ったような絶叫を繰り返しながら、のたうち回っているのだった。

 女は、生贄いけにえなのだろうか。

 あられもない姿の女を見るとき、天魔王の双眸に狂気の光が宿る。

 その背後に、異形いぎょうの影が近づき片膝をついた。

「――青銅鬼か」

「はい」

 その名の如く、その妖魔の巨大な身体は、全身が青銅で出来ていた。

『幻獣辞典』によれば、タロスという名の青銅魔人が記されているが、彼はその眷族なのかも知れない。

 神の使徒を倒すため、負の想念流の中から天魔王や青銅鬼たちは生まれた。

 あれから二年――神の戦士は、未だに発見できずにいた。それは、奴の覚醒がまだ行われていないことを意味している。

 普通の人間として生活しているのか、それともすでに死んでいるのか。

 神の戦士を捜し出し、殺すために村を何度も襲った。

 もう、どれだけの村が壊滅し、何人の人間が死んだかわからない。

 そして、その行動が新たな厄介事を引き入れる結果となった。時の朝廷が、鬼ヶ島の魔物討伐に、水軍を派遣してきたのである。

 だが、人間が彼ら妖魔に勝てる筈もなかった。

 鬼たちは、神の戦士が見つからぬ焦燥と不満を吐き出すかのように、凄まじい嵐を水軍の上に巻き起こしたのである。

 朝廷からの水軍派遣は、回数を重ね、そしてその規模もどんどん大きなものとなっていった。

 しかし、それも長くは続かず、五回目を過ぎると朝廷から派遣される水軍の数は減り出し、一〇回を待たずして水軍は派遣されることがなくなってしまった。

 決して勝てぬ戦への民衆の不満と、諦めがその原因であると考えられる。

 そして――

「――奴が見つかった」

 その言葉に、青銅鬼の顔が強ばる。

「ここ数日、ずっとある波動を感じ、それを追っていたのだ。どうやら、奴が目覚めつつあるらしい。今は、そのきっかけを待っているのかも知れん。だから、その前に奴を殺せ。――いいな」

「必ず」

「奴はこの村にいる」

 天魔王の手が青銅鬼の額に伸びる。と、彼の意思が瞬時にして妖魔に伝達される。

「承知しました」

 ではと言い残し、青銅鬼と、彼に伴われた数百の妖魔の気配が消えた。目的の村へと飛んだのである。

「――奴等は、何処に?」

 別の声が生じた。声のした方に眼をやると、そこには青銅鬼とは別の巨人がいた。

 全身を鋼鉄の鎧に包まれた、身長三メートル近い巨人であった。

「気になるのか、鉄鋼鬼」

 天魔王のその言葉に、鉄鋼鬼は、さてと鋼鉄の相貌を嗤いに歪ませた。

「とぼけるな、奴の向かった村の見当がついているからこそ、ここにやって来たのであろう?」

「では、やはり、あのものの村へ!?」

「そうだ。青銅鬼には、大攻勢の先鋒をつとめてもらった」

「しかし、奴はまだ未熟です。そのような大任を果たせるとは思えません」

「だが、神の使徒に未だ覚醒の気配はない。それに、奴は我々と違って、まだ子供だ。青銅鬼でも充分に事足りる」

「しかし、もし、今度の襲撃こそがきっかけとなり、奴が目覚めでもしたら…?」

「恐ろしいか?」

 天魔王が、ニヤリと笑う。

「もしそうなら、青銅鬼は倒されよう。それが辛いか」

「確かに、私と青銅鬼とは、の中でも兄弟のようなもの。しかし、青銅鬼ヤツを倒せぬような神の使徒など、興味はありませんな」

「クク、言ってくれる」

 天魔王が楽しそうに笑った。

 所詮、魔物どもに兄弟の絆、愛情などは存在しないのだ。

「ただ、そうなれば、神の使徒とやらと最初に戦えなかったのが残念ですがね」

 そう言って、鉄鋼鬼も笑った。

 あるのは、そう飽くなき戦いへの欲求と殺戮の喜びだけなのだ。

「そろそろ着く頃だな」

 今、吉備の国に陽が昇る。

 そして、悲劇と殺戮の幕も…。

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