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第113話:待ち合わせをして……

 土曜日の早朝。

 オレは重くなった気を紛らわすように、喫茶店でモーニングを食べていた。

 チーズの載ったトーストと、ゆで卵、それにコーヒーという昔ながらのベーシックな組み合わせである。

 店の雰囲気も、どこかレトロさを感じさせる。

 ゆったりとした音楽と、少し薄暗い雰囲気。

 ダークブラウンのテーブルと椅子。

 今どきのコーヒーショップとは違い、ゆっくりと時間を味わわせる昭和の雰囲気とでもいうべきだろうか。


(まあ、昭和生まれじゃないオレにはよくわからんのだけど……シンプルなのでよい)


 なぜオレが休みの早朝から喫茶店にいるのかと言えば、待ち合わせのためだ。

 相手は、【加古川かこがわ 希未のぞみ】。

 オレが大学生時代につきあっていた女性である。

 コンパで知り合って、「つきあってみる?」なんて気楽にオレが声をかけてから始まった交際だったが、2年目を迎える手前で終了した。

 逆に今考えれば、よくもあれだけ続いたものだと思う。 


 あの夜。

 女史とのキスシーンを見られた後、希未は唐突に現れて話しかけてきたのだ。


「相変わらずだね、現人……」


「…………」


「まあ、アタシの事なんて覚えてないよね……」


「希未……まさか希未か?」


「あら、驚いた。覚えていてくれたなんてね……」


「驚いたのはオレだ。どうしてこんな所に……}


 希未は、建物横の薄暗くなっていた道から現れた。

 道と行っても、女史が入っていったマンションの敷地内のはずだ。

 歩みよってきた彼女は、長袖のシャツに白いジャケットを羽織り、下はジーンズの長ズボンに運動靴を履いていた。

 あまりオシャレに気を使った服装には見えない。


「どうしてもなにも、このマンションに住んでいるの。ちょっと近くのコンビニに行こうかと思って」


「このマンションに……」


「そうしたら、元彼がイチャついている、見たくもないシーンを見せられちゃったわけ」


「べ、別にイチャついていたわけでは……まあ、結果的にはあれだが……」


「ってか、先日は駅近くのマンションの前でも、別の女とよろしくやっていたよね。相変わらず、軽い男ね」


「えっ?」


 すぐに脳裏に浮かんだのは、ミヤとのキスシーンである。

 ミヤのマンションは、女史のマンションとかなり近い。

 なにしろ駅から徒歩で女史のマンションに行く途中に、ミヤの住んでいるマンションがあるのだ。

 そう考えれば、このマンションに住んでいる希未に見られる可能性は十分に考えられる。


(それにしたって……)


 確かに十分に考えられるが、たった一度だけした2人とのキスシーンをたまたま両方とも元カノに目撃されるという可能性は、いったいどれだけあるのだろうか。

 逆に希未にしてみれば、「それぞれたった一度だけのキスシーンをたまたま見てしまった」などとは思っていないだろう。

 いつも別の女ととっかえひっかえ頻繁に遊んでいるから、2度も見かけたと思う方が自然である。

 これはかなりイメージが悪い。


(これじゃあ、謝っても……)


 もう一度、希未と遇って話すことがあったら、オレはつきあっていた頃のことで謝りたいことがいくつもあった。

 しかし、この状態でそんなことを言いだしたら、まるでりを戻したいしつこい男みたいではないか。

 昔、見限った軽薄な男となど話したくもないはずだ。


(……あれ?)


 そこまで考えて腑に落ちなくなる。

 ならばなぜ、彼女はオレに声をかけてきたのだろうか。

 不思議だが、それを聞くのも変な話だ。


「ねえ、現人。土曜日、暇?」


 悩んで言葉に詰まっていたオレへ、投げかけられた希未の質問。

 オレは、その意味が瞬間的に理解できなかった。

 だから思わず、マヌケな声で「え?」とだけ尋ねかえす。


「土曜日、暇かって聞いてるの」


「暇かって……まあ、暇っつーか、ドライブに行こうかと……」


 もともと週末は、異世界で車中泊旅行の予定だった。

 ミヤや女史と一緒に行くかどうかは決めていなかったが、少なくともオレは行く気満々だったのだ。


「じゃあ、あたしをドライブに連れてってよ」


「はい? ドライブって……つーかオレ、一泊だけ車中泊するつもりで……」


「車中泊って車で泊まるヤツ? ふ~ん。いいよ、別に」


「いや、でも……」


「連れて行ってくれないなら、キスしていたこと両方の女に言っちゃうけど?」


「いや、それは別に……」


 そう。たぶん別に言われても、大した被害はない。

 ぶっちゃけ、2人はある意味でそういう行為を了承しているはずだ。

 ヤキモチを焼かれることはあっても、それで修羅場に突入することはないだろう。

 それよりも問題は、それが社内で広まったりする方が怖い。

 そんな無駄な燃料が投下されたら、またあの怪しい宗教団体のような【OASYS】が動きだす可能性もある。


(それはともかくとして、これはチャンスか……)


 オレはやはり、希未と1回、ゆっくりと話したいと思っていた。

 いろいろと逃げ回っていたオレだが、オレにはもったいないような女の子たちから好意を向けられている今、過去の関係とも一度、ちゃんと向きあっておきたい。

 希未がどういうつもりかは知らないが、いい機会なのかもしれない。

 それに車中泊はいろいろとまずいとしても、ドライブぐらいなら問題ないだろう。


「わかった。連れて行くよ。ただし、行き先とかに文句はなしでな」


 だから、オレはそう応えて、約束の今日、この喫茶店で待っているわけだ。


――ピコッ!


 スマートフォンに通知が届く。

 通知画面を見ると、やはりあの日に連絡先を交換をした希未からの通知だ。


――こっちはもう着くけど、何時ぐらいに到着しそう?


 そんなメッセージが来ていたので、オレは「すでに到着して、もう朝食を食べ終わる」と返事を返した。


――は?


 すると、そんな一言が添えられた、デフォルメされた兎のスタンプだけが返ってくる。

 なんだと思っていたら、喫茶店の自動ドアが開いた。

 立っていたのは希未だったので、オレはかるく手を振った。


「本当にいた……」


 席に近寄ってきた希未の第一声は、心底驚いたような声だった。

 それこそ、丸メガネの下で、鳩が豆鉄砲を食ったような目をしている。


「いるに決まっているだろうが」


「だって、あんたが時間通りに待ち合わせに来たのって、最初の1回だけだったじゃない。下手すれば1時間ぐらい遅れてきたりして。なのに時間より早めについているなんて……」


「……そうだっけか?」


「そうよ」


 改めて思いだしてみると、確かに「遅刻してもいいや」と思っていた記憶があるし、自分が希未を待っていた記憶はない。

 それどころか、待っている希未の姿を当たり前だと思っていたことも思いだす。

 今考えると、どうしてそんな風に思っていたんだろうか。


「そうか。そうだったな。あのころは悪かった。ごめん」


「……え?」


 席に着きながら、希未は何か恐ろしいものでも見たような顔をする。

 続けて何か言おうとしていたが、そこに店員が来たので、彼女は何事もなかったかのように紅茶を注文した。

 そして店員が去った後、またショートカットの下で顔を少し顰めて見せる。


「あんた……本当に現人? 中身は宇宙人とかじゃなくて?」


「なんだよ、さっきからいったい」


「だって、あたし、あんたがきちんと謝ったシーンを見た記憶なんて、欠片もないんですけど?」


「……そこまで謝らなかったか、オレ?」


「適当に『はいはい、ごめんごめん』みたいなのは何度か聞いたけど。それさえも、こっちから問いつめてやっとだったし」


 これまた言われてみれば、そんなような感じだったかもしれない。

 そもそもきちんと謝るということを実践したのは、確かについ最近の話だ。

 謝る大切さを知ったのは、物事を見る目が変わったからだ。

 それまでは自分中心に狭い視野で物事を見ていたおかげで、自分が悪いという思考にならなかった気がする。


「まあ、いいわ。それで、今日はどこへドライブに連れて行ってくれるの?」


「ああ。千葉の房総半島の方だ」


「房総半島? 冬場に泳ぐなんて言わないわよね」


「当たり前だ。つーか、目的は道の駅巡りだよ。あの辺り、海岸沿いに道の駅がけっこうあるんだぜ」


「道の駅って、なんかの施設だっけ? 聞いたことはあるんだけど……」


「ああ。ざっくりと説明すると、無料で利用できるドライブの休憩場所だ。ただ、地元の特産物を売っている市場や、食事処、場所によっては遊び場なんかが併設されている。規模の大小はあるけどな。房総の方はまだあまり行っていないから、ちょうど行くつもりだったんだ」


「……それ、今の現人の趣味なの?」


「まあね。いろいろな道の駅やSA……サービスエリアに行って、うまいものを食べてきたり、観光してきたりして、疲れたらそのまま車中泊したりして……そんな気ままなドライブをよくしている」


 最近は、さらに異世界にまで行っているが、それは言っても仕方がない。


「へぇ。なんか今日は驚きっぱなしよ」


「今度は、何に驚いたんだ?」


「あんた、わりと出不精だったし、デートなんてテンプレで適当に済ませようって感じだったじゃない。億劫そうな時は、すぐにホテルとか言いだしたり、最低なヤツだったし」


「最低って……言い返せないことを……」


「事実だからでしょ。今日だってせいぜい、適当に有名なテーマパークとか、下手すればショッピングモールとかで済まされるのかと思っていたのに」


「……あれ? もしかして、そういうのがよかったのか?」


「違う、違う。そういわけじゃないけど。とにかく驚いたの」


「そんなに驚くようなことかよ。それに言っただろう。もともと今週末は、車中泊旅行の予定だったんだ。アウトランナーを買ったから始めた趣味のな」


「アウトランナー? ああ、あの車のこと?」


「そうそう。アウトランナーPHEV。巨大なバッテリーを載っけて、発電もできる電気自動車。今のオレの相棒だな」


「ふーん……」


 そんな話をしている間に、紅茶が運ばれてくる。

 紅茶にミルクを注ぐ希未の手元をオレは何気なく見ていた。


(ん? あれは……)


 そして、ある事に気がつく。

 だが、それをどう捉えていいのか判断に悩む。

 触れていいのか、いけないのか。

 は、どこかセンシティブな話のような気がする。

 だから、触れない方がいいのかもしれない。


「ちなみにわかっているとは思うが、今日は車中泊なしで日帰りだからな」


「別に泊まりでもいいわよ。あたし、明日の夜までは用事がないしね」


「ダメだ」


「……あんた、本当に現人なの? 昔は隙あらば体目当てみたいなノリだったのに。それとも、もうあたしには魅力を感じなくなったとか?」


「捨てた男に何言ってんだ。つーか、そういう問題じゃねーよ。オレの面倒くさがりなところは、そのまんまってだけだ」


「なによ、それ」


「そんなことより、その紅茶を飲んだら、すぐに出発な。どこまで行けるかわからないけど、行きたい場所はたくさんあるんだ」

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