第084話:開いたのだった。
「――凍れ!」
その命令は、単純明快だった。
いつもなら、ゾクゾクと背筋を撫でるような快感を伴う声。
しかし、その時はなぜか妙に痛みを伴った。
それはたぶん、声に含まれた攻撃性。
「――うわああぁぁぁ!」
カスラが悲鳴をあげた。
そりゃあ、あげたくなるはずだ。
彼のナイフを持つ手首から先は凍りついてしまっている。
もっと正確に言えば、
巨大な氷塊が、ナイフごと彼の手を包んでいたのである。
その重さに、カスラはもうひとつの手を添えようとする。
そこに声の主が現れる。
ベッドの下から滑るように小柄な体を跳びださせたかと思うと、ミヤをカスラから引き離す。
そして、そのグレーの瞳が銀色に光り、青い長髪が力に震える。
「吹き飛べ!」
驚いたカスラが何かを口にするより早く、小さな口は大きな力を放った。
見えない手に弾かれたように、カスラの体は軽々と宙を吹き飛んだ。
そして、背中からオレたちの横の壁にぶち当たり、そのまま跳ねるように前方に倒れこむ。
まともな呻き声さえ、あげられていなかった。
そのままカスラは、気を失ってしまう。
オレはベッドの下から飛びだして来た勇者を呆然と見つめた。
まだ幼い、オレの許嫁。
オレの部屋で匿われているはずのアズがそこに居たのだ。
「なっ……なん……で……?」
オレが愕然としてると、アズが気まずそうに微笑する。
ミヤも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
どうして、彼女がベッドの下に潜んでいたのかはわからない。
だが、一つだけ確かなことがある。
横では、気を失っていたカスラが親衛隊に捕らえられている。
そして、ミヤもアズも怪我一つしていない。
つまり、予言が外れたのだ……。
◆
預言書を見て、ミヤが覚悟を決めた時、アズも覚悟を決めていたらしい。
ミヤがアズを助けてくれるなら、アズはミヤを助けると。
アズは気がついたのだ。
預言書に書かれていた内容で、「囮になったミヤをアズが助ける」というパターンがないことを。
それはそうだろう。
アズを助けるために囮を用意したのに、その囮を助けるためにアズがでてくるなど本末転倒である。
しかし、アズにしてみれば、その予想外の行動こそが突破口に見えたのだという。
もちろん、アズの決心をオレたちに言えば、絶対に反対されることはわかりきっている。
だから彼女は、自分一人でそれを実行することに決めたのだ。
幸いなことに、アズにはあるアドバンテージがあった。
花嫁がこもる禊ぎの家に、抜け道があることを知っていたのだ。
これは、村の女性にしか伝えられていない事らしい。
昔からこの村では、よりよい血統を残すことを主として結婚を決める父親と、娘の女性としての立場を守る母親の姿勢に、温度差があったという。
だから、村の女性たちは一計を案じた。
結婚が意に沿わぬものだった場合、花嫁が禊ぎの家から逃げだす地下通路を床下に用意したのだ。
もし、そこから花嫁が逃げた場合は、「神隠しにあった」とされて、神が結婚を認めなかったということにしたらしい。
もちろん、実際は神隠しになった女性は、数日間だけ身を隠した後にどこからともなく戻ってくればいい。
戻ってきた時には、神に反対された結婚はご破算にされているというわけだ。
今回、数人の男性に「ベッドの下に抜け道がある」ということがバレてしまったが、それは絶対に口外禁止ということになった。
まあ、アズパパが知ってしまった時点でどうかと思うが、あのアズママに念を押されればきっと問題ないだろう。
(つーか、無茶しすぎだろう……)
オレはアズから説明を聞きながら、万が一を想像して青ざめた。
アズは、オレと別れた後、すぐに抜け道に入ってベッドの下に潜んだらしい。
もちろん、ミヤにもバレないように、ミヤかトイレに入るまで暗闇の抜け道の中で、魔力で気配を探りながら、ずっと大人しくしていたのだという。
そして彼女は、魔力をふるった。
そのこと自体も、彼女にとっては一大決心だったようだ。
なにしろ、彼女の魔力は強すぎるのに、まだ調整が利きにくい。
下手すれば、相手を殺してしまうかもしれないのだ。
だが、最悪のパターンを考えても、彼女は戦うことを選んだ。
そして、見事にやり遂げたのだ。
(ああ、こんちくしょう! なさけねー!)
悩んだだけで行動できなかったオレは、死ぬほど恥ずかしくなる。
オレは禊ぎの家のベッドに腰かけたまま、ガックリと肩を落とした。
こんな小さなアズが命がけで挑んでいったのに、オレは結果を恐れてなにもできなかった。
やっと逃げないで向かいあえたと思ったのに、向かいあっただけで足を進めていなかったオレは、逃げたのと変わらないのではないか。
「違いますよ。アウトさんはずっと戦ってきたんです」
いつの間にか心の声を吐露していたらしいオレに、隣に座っていたミヤが優しく声をかけてきた。
反対側には、アズがちょこんと腰かけている。
今ごろ、カスラの事情聴取が行われていることだろう。
オレはその間、2人とここで待っていろと言われていたのだ。
そしてなぜか、一番危険から遠かったオレが慰められている。
「多くのアウトさんが苦しみながら何度も挑戦したから、今のハッピーエンドがあるんだと思うのですよ」
ミヤの言葉にアズもうなずく。
「でもさ、それってオレであってオレでないというか……」
「ううん。全部、アウトさんですよ。アウトさんこそ、すごいチート能力者だったんです!」
「え~~~……。全然、そんな感じじゃないじゃんか。オレ、車運転して、車中泊して、飯を食ってただけだぞ……」
「それだけで歴史を変えちゃったんだから、すごいじゃないですか!」
「…………」
正直、まったく実感がない。
なにしろ、オレの記憶は1つしかない。
そんなにいろいろ頑張ってきたわけではないのだ。
タイムパラドックスってよくわからないけど、いろいろやってきたのは別のオレだ。
そして今回、歴史を変えたのは――
「つーか、きっとミヤとアズだよ」
「……?」
2人が同時に首をかしげた。
だからオレは、2人を順番に一瞥する。
それから立ち上がって、2人に向かって腕を広げた。
「オレががんばったからじゃない。ミヤとアズが予言を覆したんだ。2人とも、本当にすげーな!」
やっぱり、どうかんがえてもオレじゃない。
勇者は、この二人だ。
オレは2人を心から褒め称える。
「つーか、2人の勇気は……ほんとー――に凄い!」
ここまで心から、相手を尊敬して胸の奥から賞賛の言葉を吐きだしたのは初めてだ。
今まで、優れた人を見ると嫉妬を感じていることの方が多かった。
なんであいつだけ、どうしてオレじゃないんだという声が聞こえた。
だけど、今は違う。
オレは無力で役立たずだったことは辛い。
それはそれとして、2人の勇気は本当にすばらしいと思えた。
「ちょ……っと、や、やめてくださいよぉ~……」
「…………」
ミヤとアズが、照れて顔をそむける。
「…………」
つーか、なんてかわいいんだ。
そんな2人がオレの許嫁なんて超嬉しいぞ!
……いや、まあ、本当に許嫁ってわけでもないけど。
オレが、調子にのってそんなことを考えた瞬間だった。
――カン! カン! カーン!
村中に警鐘が鳴り響いた。
それは、預言書にない出来事だった。
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