第0話 ~セレナーデとヴィーゲンリート~



『ぼくは神様を信じないよ』


“ ……そう言った彼は、わたしと少し、似ている気がした――。”




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「ぼくは神様を信じないよ」


……でも、愛は信じてる。


 あの満月の夜、冗談を言うみたいに、でも、ひとさじ、照れ隠しをするようにちいさく笑った彼に、わたしは、はじめて、触りたいと思った。


(触りたい。関わりたい。その心に、そっと触れたい。 )


 そのとき、お姉ちゃんの言葉が、心にリフレインした。


『愛って言うのはね、永遠音とわねちゃん。終わったようにみえても、なくなったようにみえても、永遠に生き続けるんだよ。 その人の心の真ん中に、いったんお邪魔じゃましたら、どんなにお願いしても、ぜったいに、なかったことにならない』


『……こわい』


『そうだね。怖いかもしれない。重荷おもにかもしれない。 ――だけど、その愛って言うのはね、わたしたちを生かす、電池でもあるんだ。 たとえ、愛してくれたひとがいなくなったとしても、そのひとのしてくれたことは消えない。 嬉しかったことも、楽しかったことも、なくなったりはしない』


「……やだ」


 パパとママのことを思いだして、わたしはぽろぽろ泣いた。

 失うのは、こわい。だからわたしは、感情を凍らせた。


 熊さんみたいに、冬眠すれば、辛いことも、悲しいことも、外のせかい。


 なにもいらない。

 なにも生まれなかったら、なくなっちゃっても、こんな気持ちには、もう、ならない。


 底のない真っ暗な沼に落ちて、おぼれて、苦しくて、こごえそうになることなんて、なくなる。


 そう、思っていた。

 そのほうがいいって、思ってた。


 夏芽なつめお姉ちゃんに出会って、わたしは、少しだけわがままになった。


 少しだけ、泣き虫になった。


 そして、少しだけ、しゃべれるようになった。


 気がついたら、わたしの心のなかに、夏芽お姉ちゃんがお邪魔してた。


 目を閉じると、真っ暗で冷たい沼におぼれていたわたしにも、いつのまにか、聞こえるようになった。




 “わたしは、ここにいるよ”


      “――そばにいるよ。”


           “ずっと、永遠音ちゃんの隣にいるよ。”




 そんな、あったかいささやきが。


 魔法みたいに、優しいさざ波となって、わたしのかじかむ手のひらに、暗闇の世界に、寄せては返す。


 凍りついた人形だったわたしは、いつのまにか、あったかい、お日さまの世界にいた。


 そこでは、太陽がきらきら輝いて、雲がふわふわと遊んでいて、こわい幽霊も、いちもくさんに逃げてゆく。



 (おねえちゃんは、最強だ。

    永遠音の、最強の魔法つかい。

        ――だから、永遠音もがんばる。)



        ((だって……。))


 

  “どんなに怖くても、体が震えても、もうここは、氷の国じゃない”



 “もう、わたしは……永遠音は、「すき」って気持ちをなくしたりしない”


 “――灯しつづけるよ、パパとママからもらった、このしんぞうに”


       

    ―― ““愛”っていう、ひかりのまほうを。” ――




「……つきか!」


「――え?」


 いきなり声を出したわたしに、月花つきかが驚いた顔をする。


 お月さまみたいな銀色の目に、わたしがうつる。

 頬をさくらんぼみたいにして、必死に両手を握る、わたしは……。


 距離を縮め、月花の頬に、キスをした。


「――月花! つきか……わたしは……」


 うまく言えない。

 言葉がはじけては消えて、陸にあがった魚みたいに、息が苦しくなる。


「つき、か……」


 わたしの目のはしが熱くなって、じんわり、と珠が浮かぶ。


「……エト」


 月花は、笑った。



 涙が、そっとぬぐわれる。


「……ぼくもだよ。一緒だね」


 ……ずっと一緒だよ、エト。


 その声は、まるで幻のように、わたしの耳のなかで、何度も反響した。





『ねえ、この世で、最も素敵な瞬間って知ってる?』


 はじめて会った日の、月花の言葉を思い出す。


 窓の下、ちいさな男の子が、きざな役者さんみたいに、一輪の花を持って、歌う。


 エーデルワイス。

 淡い白い花のセレナーデ。


 歌い終わった少年は、語り出す。


『ねえ、この世で最も素敵な瞬間って知ってる? それはね、きっと、大好きな人に、“イエス”って言ってもらえて、頭のなかが、まっしろになった時だよ。 嬉しくて、嬉しすぎて、もう何も考えられない。……ぼくは想像するんだ。それって、すごく、ロマンチックじゃないかな? そんな願いが、もし、叶ったら、ぼくはもう、死んでもしまってもいい……って思えるんだ』


 ――ねえ、だから、<エトワール>。

 

 『お話しよう。 聞いてくれるだけでもいいよ。 毎日、来るから。待っていて――。』




 何度も、何度も、たわいもない話をした。


 わたしは、全然しゃべれなくて、ただ、うなずくだけだったけれど。

 そのたびに、わたしのこころは解けていった。


 ゆっくりと、ほどけて、つぼみをつけた。


 花咲くにはまだ早い、それは“こい”かもしれなかった。


「つきか……!」


 月花を、抱きしめる。

 その瞬間、“すき”があふれた。


  ( ……すき、すき、好き……!! )



「つきかぁ……っ!」



 言葉にできないもどかしさも、言葉が足らないあふれる気持ちも、ぜんぶ、ぜんぶ、両手に、全身に、たくした。


 あの日、夏芽お姉ちゃんが、抱きしめてくれたように。

 こんどは、わたしが、抱きしめたい、って思った。


 つきかを。わたしを。この世界の、ぜんぶを。


 それが、“あい”なのかもしれなかった。


 それが、“りゆう”なのかもしれなかった。


 わたしが存在する、“いみ”なんだって。


 おかあさんの命を奪って、 ううん、「受け取って」、生まれてきた“意味”なんだって。


 だったら、もう迷っちゃいけない。

 もう、立ちすくんで、閉ざして、いちゃいけない。


 わたしは、月花の“かのじょ”になる。


 月花の、“およめさん”に。




 そう、わたしは、思っていた。


 ほんとうだった。

 本気で、本音だった。

 でも、運命は、わたしをのみこんで、違う結末をもたらそうとしていた。


 ――ううん。

 ……ちがう。

 わたしは、誰でもないわたしは、もうひとつの可能性を、選びとったんだ。



 月夜の小夜曲<セレナーデ>に導かれた、


君島永遠音きみじま・とわね”と、“夜宮月花よるみや・げっか”は、違う道を歩くことになる――。


 ……その頃のわたしは、そんなこと、知るわけもなかった。


 けれど、このものがたりは、悲劇でも、アンハッピーエンドでもない。




     ……『じゃあ、どんなものがたり?』……



        (( ――それはね……。))



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