エピローグ お茶とコーヒーと

 とある商会の施設で起きた、『謎』の爆発事故から数日。

 あそこまで大きな火事であったのに、人的被害は想像をはるかに超えて少なかった。

 その理由は、特別捜査官クリエンテにボコボコにされた連中が、我先にと建物から逃げていた為だ。

「つまり君は、自分たちの行為は結果的に多くの人命を救った、と考えるのかね」

 執務室の机の椅子に腰かけながら、リュトエは机の前に立つヴェルナに目を向ける。

「ええ、そうです」

「結果論だな」

「結果が全てだと思いますが」

 リュトエとヴェルナの視線が絡み合う。

 沈黙。リュトエは小さく息をついた。

「まあ、いいだろう。今回の件は君が言う事も一理ある。不問にしておこう」

「ありがとうございます」

 一礼してから去ろうとしたが、

「そう言えば、ヴェルナ」

 呼び止められたヴェルナは、リュトエの方へ向き直る。いつの間にかテーブルの上には飲み屋の請求書があり、リュトエはそれを指で叩く。

「昨日も飲みに行ったようだな?」

「ええ、寂しかったもので」

 視線を逸らしたヴェルナ。

 そんな彼女に、リュトエはうすら寒い、穏やかな笑みを浮かべた。

「大事な体だ、飲み過ぎには気を付けたまえ」

「……ありがとうございます」

 



 廊下に出たヴェルナは、ちょうどリュトエの部屋へ向かおうとするヤツィと出会った。

「やあ、ヤツィ」

 ヴェルナが声をかけると、ヤツィも歩を止める。

「どうも、ヴェルナさん。リュトエ様のご用は済んだのですか」

「ああ、いつもみたいに説教されて終わりだよ」

 微笑んだヤツィの首に、ヴェルナは腕を絡みつけた。

「所で、聞きたいんだけどさ。あの時、あんたがボスの為にした仕事って何だい?」

「あの時とは?」

「とぼけんなさんな。シュトローマン商会の奴だよ」

 ヴェルナ達が命令されたのは、シュトローマン商会の眼をそらさせる事だ。なんの為の陽動かは、知らされていなかった。建物の中で出会ったマルシオから、ヤツィが内部に侵入していたことは聞いていた。

 そして先ほどのリュトエだ。気持ち悪いほどに機嫌が良かった。

「あたしらはあんたの為にあんだけ大暴れしたんだよ。教えてくれたって良いじゃないか」

 不敵な笑みを浮かべ、からみつく力を強めたが、あくまでヤツィは涼しい顔。

「さあ、何のことでしょうか」

「つれないねえ。あたしとあんたの仲だろ」

「あら、そこまで親しい仲でしたでしょうか?」

 のらりくらりと交わしてくるヤツィ。ヴェルナは一気に突き刺す。

「ブルートヴンダ関連の協力者名簿だろ?」

 ブルートヴンダ戦団は崩壊したが、その復興を企む組織はなくなったわけではない。

 ブルートヴンダ戦団が隠れ蓑としていたシュトローマン商会の急成長。仮に元手金があったとしても、明らかに異常だ。協力者がいるのは間違いない。

 名簿とまではいかないとしても、それらの繋がりを示すものが手に入れれば、首根っこを掴んだも同然。

 そしてその情報をどこよりも欲しがるのは、ヘルゲッツェだ。未だ不安定なその国にとって、この情報は極めて大きな借りとなるだろう。

 どれほど使えるか分からない黒血を仲間にするより、何倍も有益なものだった。

 繋がりを示すものが一切見つからない可能性もあったが、リュトエの様子からして、成果は上々だったようだ。

 すべてヴェルナの勘だ。だが、あながち間違いではないと踏んでいた。

「どうだと思いますか?」

 しかし、あくまで話す気はないようだ。これ以上追及しても意味がないと判断したヴェルナは、ヤツィを解放した。

「まあいいさ」

 ヴェルナは去ろうとしたが、ふと、考えついて振り返る。

「今度、親交も兼ねて飲みにでも行こうや」

特別捜査官クリエンテの皆様とですか?」

「あたしとサシじゃ不満かい?」

 片方は酒が飲めず、片方とは死んでも飲みたくない。ここいらで同僚にも飲み仲間を作るのは悪くないと、ヴェルナは考えたのだった。

 ヤツィは、相変わらず笑みを浮かべていた。 

「いえ、まさか。喜んでお受けいたします」




 ヤツィと別れたヴェルナが訪れたのは、新しい社交部屋だった。吹き飛んだ部屋と比べれば質素だし、部屋も狭くなっていたが、リュトエの執務室からは近くなり、帰りにパイプを吸いに来るには便利になっていた。

 まだ室内の家具は揃っておらず、中途半端な印象を受ける。

 そんな部屋の中には同僚が一人。

 いつものように椅子に深く坐りクッキーを貪っていた。 

 ヴェルナとテボルは、互いに嫌な顔を作る。

「なんだ、お前かヴェルナ」

「誰ならよかったんだい?」

「お前以外なら誰でもだ」

 あたしも同じ意見さ。口には出さず、ヴェルナは棚の引き出しから、自分のパイプセットを取り出し火をつけた。

 それからテボルの様子を伺う。彼の眼は何処を見るでもなく、眉間に皺を寄せながらクッキーをボリボリ食い続けていた。

 普段から機嫌のいい男ではないが、あの事件の以降、不機嫌度が増していた。

「あんた、まだ拗ねてるのかい?」

「拗ねてるだと。俺が拗ねるなんてガキみたいな事すると思ってるのか」

 ガキみたいにナッツを食っているくせに何を言うか。ヴェルナはパイプを吹かす。

「諦めな。クレステンツと黒血のガキはいなくなったんだ、手柄も無しだよ」

 だから、二人を見つけたテボルの手柄は葬られた。それが気に食わないのだ。

「分かってるさ」

 と言いながらもぼりぼりナッツを食い続けるテボルに呆れながら、ヴェルナはまたもパイプをふかし。

 あの日倒れたティフと、一緒にいたカミラの事を考えたのだった。




 ティフがあの日、倒れた原因。

 貧血だった。

 そりゃあ、あれだけ血をドバドバ出せば貧血にもなる。

 その貧血となったティフはと言うと、今はナタリーの店の空き部屋で横になっていた。

 今回の一件の締めは、こうだ。

 クレステンツと思われた人物は、他人の空似に過ぎなかった。同時期にブルートヴンダの要人が捕まったという話題があり、それが混同した結果、クレステンツが捕らえられたと誤った情報が流れてしまった。国王はクレステンツの死亡を宣言、改めてその死を追悼。そして、捕まったブルートヴンダの要人も、結局は人違いであったという事で決着となった。

 ブルートヴンダの要人と勘違いされて捕まった人物がいるのは間違いでない。真実の中にうまく嘘を盛り込んだものだと、勘違いされて捕まった本人は感心した。

 誰もが納得した訳ではないが、クレステンツの姿を見たものは少なく、またシュトローマン商会の大火事という別のビックニュースもあって、噂は緩やかに沈静に向かっている。

 一部には、シュトローマン商会とクレステンツの件を疑う声もあるが、それこそ根もはもない噂と一蹴されるのがオチであった。

 そして、ティフが間違えて捕まった理由も判明した。

 全ての原因は二年前にあった住民調査だった。人口増加率を確かめる為に行った調査だが、その際に、登録されたティフの名前を、係の人間が間違えてティム・アノンクロウと記入してしたのだ。それを元にテボルがティフを捕まえたという訳だ。

 全く関係のないことだが、ティフが(名前を間違えられて)登録されていたページは破られて紛失してしまった。

 全くの偶然であるが、何はともあれ。ティフ・アノングロスがティム・アノンクロウと間違えられる可能性は、二度となくなったわけだ。

 ティフは貧血の為に宮殿でまる一日を過ごした後、その事をヤツィから聞かされた。

 それから改めて勧誘された所を、ティフは丁重にお断りしたのだった。

 あっさり引いたのにティフは拍子ぬけしたが、ともかく。日常に戻る事ができた。

 戻る事が出来たが、家がなく仕事がない事は変わらないので、ひと先ずナタリーの店に置いて貰っているのだった。

 暫くは安静にしているように言われたティフは、店の二階にある部屋の一つで、ベッドに横になっていた。そこに、誰かが部屋に入ってきた気配を感じ、ティフはゆっくりと目を開ける。

「おー。元気かティフ」

「……暑苦しいから寄るなよ、マルシオ」

 その元気いっぱいの声は、療養中のティフの身に堪える。

「はっはっは。酷い事いうなよな。具合はどうか心配して来てやったんだから」

「お前と一緒にいると体力を消耗するよ」

「褒めんなよ」

「褒めてねえ」

 いつも通り変わらぬ様子で元気なマルシオにうんざりしつつ、彼が無事だったのには安堵していた。

「ちょっと、ルッシ?」

 階段を上がる足音と共に、ナタリーの声が。すぐに彼女は姿を現した。

「早く買い物に行くわよ」

「わかったよ、ちょっと顔出しただけだろ」

 階段を降りていくマルシオを見送ってから、ナタリーはティフに向き直った。

「どう、具合は?」

「ぼちぼち」

「そう、それなら良かった」

 ナタリーは笑みを浮かべる。

「ルッシと買い物行ってくるから、何かあったらお店のを好きに使っていいわよ」

「了解」

「でも、コーヒーを飲むならお金を払ってね?」

「……了解」


 その後もしばらく横になっていたが、喉の渇きを覚え、ティフは階段を下りていく(水を飲むことぐらいは許されるだろう)。

 階段を降りた部屋のテーブルに座る彼女と、ティフは目が合った。

「なんだティフ、起きておったのか」

「お前こそ居たんだな、カミラ」

 あれだけの騒動があったというのに、カミラは相変わらずの調子で本を読んでいた。

 死んだ人物を、宮殿に置いておく訳にはいかない。

 と言う事で、カミラにはリュトエから複数の移住先を提案された。その中には王族の別荘など大変豪勢なものもあったが、彼女が選んだのは元の生活に戻る事だった。

「ロリコンの傍になどいられるか」

 と言うのがカミラの理由だった。

 ティフはすぐ隣の調理場へ行く。コップを借りて、カメに溜めてあった水を飲んでいる、と。

「そうだ」

 思いついたようにカミラが声を上げた。

「起きているうちに、貴様の腹の包帯を変えておこうではないか」

「……お前が?」

 確かに定期的に包帯を変える様に言われており、まだここについてから一度も変えていない。しかし、カミラがそんな提案を自分から言い出すことに、ティフは驚いた。

 ついでに、包帯が巻けるかすら疑問だった。

 そんなティフの心配をよそに、カミラは救急袋から嬉々として包帯を取り出していた。

「ほれ、早く上着を脱がんか」

 まあ、自分で巻き直すのも億劫であり、ここはお言葉に甘えることにした。ティフが上着を脱ぐと、脇に巻かれた包帯が現れる、血で痛々しく染められたそれを、嫌そうに顔を顰めつつ、カミラはほどき始めた。

 ヒリヒリする痛みを我慢しながら、ティフはカミラの仕事ぶりに目を向ける。その手つきは、ティフが思っているよりも手慣れていた。

 面喰らっているティフに対し、カミラは自慢げに笑みを浮かべる。

「爺やの包帯をよく変えておったからな、私は包帯を巻くのは得意なのだぞ」

 手慣れてはいたが、巻くのが上手いという訳でもない。だが、満足げでどこか楽しそうなカミラの姿に、ティフはその感想を胸の内に閉まっておく事にした。

 作業を続けるカミラの手元に、ふとティフは眼を向ける。

 その手は、かつては絹のように滑らかであったはずだ。

 しかし、この店にいる三年間の結果か、近くで見ると少し荒れていた。

 それは、働いている人間の手だ。

「お前も働いてるんだなあ」

「は? 何を当たり前の事を言っておるのだ」

 不満げに見上げたカミラに、ティフは笑って誤魔化した。

 包帯を巻き終わると、カミラは満足そうに唸る。

「ふん、どうだ」

「ああ、ありがとうよ」

 苦笑しつつ、ティフは素直に感謝を述べる。

 より満足したようで、ガキみたいなにっこり笑みを浮かべた。

 そこで、店の扉が開かれ、元気な声が聞こえてくる。

「おっはー。元気してる?」

 聞き覚えのある声。調理場を通り抜け、店の方へいく。そこにいたのはエリナとエリだった。

「どうも」

 今日は二人とも私服であり、仲の良い姉妹にも見えた。

「なんだ、貴様らか」

 面倒そうな顔をしながら結構なお出迎えをしたカミラだったが(好き嫌いではなく、単に相手をするのが面倒なようだ)、そんなこと、エリは気にしていない様子。それどころか、なぜか緊張した面持ちだ。

「お、お元気ですか、クレステンツ様」

「普通だ」

「そ、そうですか」

 カミラと話しただけで、エリは蕩けるよ様に頬を緩ませた。そんな友人をエリナが笑う。

「エリー。カミラでしょ。クレステンツ様じゃなくて」

「そ、そうでした。カ、カミラ様」

「様は付けなくていいんじゃないか?」

 緊張しっぱなしのエリに、ティフも呆れながら言う。すると、とても驚いた様子でティフを見た後、顔を赤くしながらカミラに目を向ける。

「よ、よ、よろしいのですか?」

「好きにすればいいではないか」

「で、では。カ、カ、カ……」

 と三回詰まらせる間に、どんどん顔が茹であがっていき、やがてうなだれる。

「わ、私にはまだ早いです」

 何が早いのかティフには理解不能だったが、そんなことより、

「今、店開けてないんだけど」

 ここの店長と支配人は、共に買い出し中だ。すぐにエリの顔は申し訳ない感情で一杯になり、となりであっけらかんとしている友達の肩に手を添えた。

「ほらエリナ、言ったじゃない。だから後にしようって」

「えー。いいじゃない。私達は友人としてやってきたんだから」

「って言われてもね……ナタリーは今いないしな」

「あれー、ナタリーいないの?」

 残念そうな声をエリナが上げる。今回の事件が解決し、エリが呼びに行くまで、エリナはずっとナタリーの店におり、その間にすっかり打ち解けていたようだ。

「ちょっとうるさいけど、元気でいい子よね」

 とはナタリーの談。

「なんか聞いちゃいけない事まで聞いた気がするけど……」

 まあ、本人いわく分別はあるはずなので、本当に重要な事は、ナタリーに話していないはずである。多分。

「変に触ると、何か言われそうだしな」 

 現状、ティフは居候であり、勝手に店のものを触る訳にもいかなかった。一応、決定権のあると言えなくもないカミラに目を向けたが、とても嫌そう顔をしていた(面倒なだけである)。

「なんだー。せっかくナタリーに話したお菓子、持ってきたのに」

 エリナは手に持っていた手提げを持ち上げる。鼻が喜ぶ甘い匂いが香ってきた。

 それに目ざとくも、カミラが反応する。

「菓子だと?」

「うん、ヴェッチオで買ってきた奴だよー。出来たて買えたから、温かいうちに食べるのが一番なんだけどなー」

「ならば、温かいうちに食べようではないか。ほら、ティフ。コーヒーでも出してやれ。私はお茶だ」

「……お前は病人を労る気はないのか」

「さっき労ったではないか」

 分かりやすい位に態度を変えたカミラに呆れつつ、ティフは厨房にコーヒーを入れに戻る。

 しかし、ポットに火をかけ始めた時、ナタリーの言葉を思い出した。

 代金を貰う事になるが大丈夫か。

 聞きに行こうかと思ったが、止めておいた。

 友達に出すのだから、それぐらいタダで許されるだろう。

 自分は、そのおこぼれを頂くだけである。

 もし怒られたら……まあ、何とかなるはずだ。

 あれだけの災難に巻き込まれても、こうして呑気にしていられるのだから。

 案外、なんとかなるはずだ。

 暖かくなり始めた陽気の中、ティフはそんな屁理屈を考えながら、準備に取り掛かった。

 我儘な『元』お姫様の為に。



第一章 ティフ・アノングロスの災難 《終》

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