ランフォーリャーゼ!―異世界都市生活者のエトセトラ―

吉野 

第一章ティフ・アノングロスの災難

プロローグ 死体が一つ。勘違い一つ。

 誰がどう見ても事故であった。

 夜明け前。薄い霧が立ち込め、朝露に濡れる花壇の中に、男はうつ伏せにめり込んでいた。

 頭は花壇を縁取る石に直撃し、花壇は見るに堪えない様子に変わっていた。

 その光景を前に、彼女、ヴェルナ・ヘイスボーンは大きく欠伸を掻く。

 手入れをすれば美しくなるだろう赤毛は、うなじあたりで乱雑に結ばれ、瞳の奥にある燃えるような紅色も、寝不足ですっかり消沈していた。

 この状況を見て嘆くのは、花をこよなく愛する人物か、死んだ男と親しい者だけだ。

 一つ目に関しては花を慈しむ素敵な感性はヴェルナになく、相手の顔も見覚えがある程度。

 ここは、アルクオーレ王国の首都ランフォーリャ。その王宮の敷地内。

 死んでいる男は、国の財務官の一人であった。

 一方のヴェルナは国王の親衛隊、セグ・ア・フォルテの特別捜査官クリエンテ

 その身分を示す、白地の服に縁が緑のラインで装飾された服装は、彼女の豊満な肢体を綺麗に模っていた。大きく開けた詰襟から、ふくよかな胸元が露出している。

 凄惨たる現場だが、先の戦争が終結したのは七年前であり、このような惨状はヴェルナも見慣れている。

 もう一度欠伸を掻いたヴェルナの足元で、一匹の猫が何かを探るように徘徊していた。

 いや、猫の形をしているが、猫ではない。その肉体は赤く輝き、その表面は炎のように揺らめき立っていた。

 それは、ヴェルナの精霊『シン・ティラット』であった。

 ヴェルナの腰から下げた剣の鍔には赤く輝くシン・ティラットの『精霊石』が埋め込まれており、彼女が精霊師である事を示していた。シン・ティラットの体は、燃え盛る炎のようだが、歩いた後に足跡はあっても、草には焦げ一つ付くことは無かった。

 シン・ティラットは花壇脇の芝生で動きを止め、ヴェルナを見上げる。そこにあったのは、古びた木の棒であった。窓枠の一部だ。

 ヴェルナは目の前の建物を見上げる。三階部分の廊下の窓が、開け放たれていた。

 大方、窓から景色を見ようと手をついた時に窓枠が壊れ、その拍子に落ちたのだろう。

 どう考えてもただの事故だ。

 壊れた窓枠の存在はヴェルナも知っていた。シン・ティラットがそこで止まったという事は、他に怪しい物がない証拠だ。

「御苦労さん」

 ヴェルナがそう言うと、シン・ティラットは小さく唸った後、弾けて光の粒となる。光の粒は、ヴェルナの剣の鍔の精霊石へ、吸いこまれるように消えた。

 精霊を『体現』させて調べていたが、実を言えば、ここを調べることはヴェルナの仕事ではない。

 慌ただしい気配で目が覚め、興味本位でやって来たに過ぎなかった。

 どこをどう見ても、ただの事故だ。この事故を受けて駆け付けた兵隊達も、早く現場を片づけたい思いが、顔にありありと浮かんでいた。

 しかし、そうもいかないのは、現場を真剣な面持ちで見ている一人の男のせいだ。

 ヴェルナと同じ意匠の服を着ている彼は、特別捜査官クリエンテであるテボル・チーファニアン。

 海のような深い青の色をした髪の毛を後ろに撫でつけ、眼鏡をかけた顔は整って男前と言えたが、深く寄せた眉間の皺のせいで、それも台無しだった。

 彼は芝生に落ちていた窓枠を手に取り、死体を見ては窓を見上げ、再び死体を見てはまた窓枠をと、現場を神経質に見比べていた。

 ヴェルナは再び欠伸を掻く。体が冷えてきたし、さっさと自室に戻ろうと考えた。周りの兵士達と違い、こんな奴に付き合っている理由はない。

 そして踵を返そうとした時。

 テボルが飛んでもない事を言い出した。


「これは、陰謀だ……っ!」


 ヴェルナは、開いた口がふさがらなかった。

 彼女だけではない。周りにいた兵達も一様に、同じ感想を思い浮かべていた。



(((((何言ってんだ、こいつ?))))



 この現場を、一体どう見たらそんな言葉が出てくるのか。

 実際に、それは陰謀でも何でもないただの事故だ。

 粉うことなき事故だった。

 だが、テボルは確信した。それが陰謀だと。

「彼は謀殺されたのだ」と。

 とにもかくにも、その勘違いから数日の間、この都市にはちょっとした混乱が巻き起こり、

 一人の青年に災難が降り注ぐのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る