Attack of the Killer 観覧車
熊子
序
世界に冠たる超ハイテク、超クリーン都市、東京。
そのまた最先端を結集させ、全ての新たなエンターテイメントを作り出す街、有明お台場から物語は始まる。
お盆を過ぎ、家族連れが減っても尚、お台場には人が溢れかえっていた。無論、学生達は夏休み真っ只中であるし、お盆こそ掻き入れ時という職につく者などは、今になって休みとなるから、家族や友人、恋人同士などで観光やデートに来ていたりもする。また海外のサマーバケーションもこの時期であり、元々多い外国人旅行者の姿も普段より多く見られた。
その夏、東京はとてつもない猛暑に見舞われ、連日の様に三十度台後半を記録していた。やもすれば観光客が密集する彼の地お台場ならば、人々の熱気も相まって、蜃気楼くらい出ても不思議ではなかった。
夕方の頃にもなればテレビ各局は競った様に、その日の暑さを伝え、今日は何人の、今週になって、この夏の患者の数はと、何かスポーツの記録でも報じるかの様に熱中症・日射病の数を列挙していた。しかしやもすれば、そう言った報道番組を見ている時など、エアコンの効いた快適な屋内でビールでも片手にしている人がほとんどで、自らには降りかからなかった不幸を知って、可哀想にねぇなどと言ってみるのは、一つの幸福であるとも言えるだろう。
そんな50年に1回クラスの猛暑直撃なこの夏は、歩道に大挙して遺骸を晒すミミズの数も尋常ではなかった。
ミミズという生物が、何故、今まで住処としていた家の庭や植込み等から、それこそ石鍋の様になった歩道を超えてまで、向かいのグリーンベルトに向かおうとするのか、学のない身としては一向に理解できないが、やもすれば、彼ら(雌雄同体であるミミズを彼とか彼女と呼ぶのが正しいかは分からない)からすれば、向かうべき彼の地には、食料になる落ち葉がたくさんあるとか、元居た場所に天敵足りうるモグラなどの生物が住み着いたとかいう、やむにやまれぬ事情があるのかもしれない。
「俺は絶対にあの緑豊かな地を目指すぞ!」
などと言い出す、どこかの少年漫画雑誌の主人公みたいなミミズが居たかと思えば、
「やめとけ、お前さんは確かにぶっとい、ミミズの中のミミズだ。だがな、分かるだろう、あの場所に向かうには、かつて如何なる勇ミミズ(勇者)であろうとも越えられなかった灼熱歩道を越えなきゃならんのだぞ」
とか言う解説兼、主人公ミミズのライバルで腐れ縁、斜に構えながらも実は優しくて女性読者にモテる、三白眼のミミズが居たり、二ミミズ(二人)の幼なじみで、三白眼ミミズが密かに想いを寄せてるんだけど、本人は昔から主人公ミミズの事が好きなヒロインミミズが腐葉土の隙間から見ていたりするのだ。
そんな三ミミズ(三人)が暮らす、ミミズ村に全滅の危機が迫り、身体極まった村ミミズ(村民)達を主人公ミミズが感動的なスピーチで鼓舞し、三白眼ミミズが「これも腐れ縁か。しゃぁねぇ、てめぇだけじゃ心配だからな!」とか言って賛同し、ヒロインミミズに二ミミズ(二人)が手があるとしてを差し出し、「行こうぜ!」みたいな、「うん! 二ミミズ(二人)と一緒なら絶対に大丈夫って私分かってる!」みたいな展開を見て、他の村ミミズ(村民)達も、「子供達がここまで勇気出してんのに、ワシらがビビっててどうする!?」的テンションで、生き残りをかけて、全ミミズ(全員)で灼熱の歩道へと旅立ち、結局は歩道の熱さと容赦ない夏の陽射しに負けて道半ばで干からびて果てるのかも知れない。
とにかく、ミミズにだって、ドラマはあるはずなのだ。本編の物語には全く関係ないけどさ。
有明地区には、観光施設や商業施設の密集する場所や、テレビ局の本社などのオフィスビルが立ち並ぶ場所の様に、一般にも広く知られる地区だけではない。当然の話だが、かつての港湾施設だった頃からの倉庫やコンテナが並ぶ地区もある。
そんな港湾地区の一角に、この春、新たなランドマークとして誕生したのがマリーンシティホイールと名付けられた大観覧車だった。
前述の観光・商業施設地区にも観覧車はある。しかしそれは、第一次再開発の時に作られた、いわば旧式の物だ。有明の開発を担当する企業としては、観光地として大成し、新都心の名に恥じないレベルまで来たドル箱を今まで以上に拡張したい所であったし、当該の港湾施設を有する企業としても海路輸送の需要が減少してきた昨今、観光・商業施設を建て、その家賃収入を得るという方向性を考慮していた所で、双方のメリットが合致した事で実現した、第二次再開発の先行施設として観覧車だけが、ランドマークという名のもとに、港湾地区にポツリとおっ立ったのである。
しかし、当然の話と言えばそれまでだが、観光地のバックがすぐに港湾施設というのは、さすがに景観にそぐわないという理由で、そもそもの観光・商業施設のある地区と、マリーンシティホイールには結構な距離があった。そして、第二次再開発地区には、マリーンシティホイール以外の施設は無い。つまり、現行メインで開かれている観光地とのアクセスが悪く、オープン当初こそ新し物好きの人々で混雑したものの、夏休み真っ只中の現在は既に閑古鳥が鳴いている状態だった。そんな状況だったから、乗客と言えば、地方から来たお上りさんか、余程の物好きか、さもなければ人目を忍ぶ必要のある人間、と言った程度しか居らず、被害の軽減という意味で言えば、それはとても幸運な事であったと言えるだろう。
まだ営業開始からほんの数ヶ月だったマリーンシティホイールは、その日その時まではまるで何の変哲もなく、プログラムに従って回転速度も変えず、悠然と回り続けていた。
回転を続ける中央の軸は音も無くスムーズだった。そう、その瞬間が来るまでは。
ギシリ
事件が収束した後、近くの港湾施設で働く労働者の一人が、そんな音を耳にしたと語った。
最新技術が集められて建造された、第二次再開発地区のランドマークからは程遠い、むしろ普段働く港湾施設の巨大クレーン等からは日常的に耳にする、大質量の金属同士が擦れ、軋みをあげる音。
最初、当の労働者やその同僚達も、音は港湾施設から鳴ったのだと思った。
しかし。しかしだ。ギシリという第一声に続き、ギギギという、力任せに金属が引き裂かれる様な音が鳴り響き、マリーンシティホイールの軸を受ける支柱を形成する鉄筋が一本落下して、地面と衝突する頃には、その爆音が、決して港湾施設から聞こえるものだとは誰も思わなかった。
有明第二次再開発地区のランドマークたるマリーンシティホイールは、今、支柱の庇護を離れ、それまでの爆音を遥かに凌ぐ轟音と地震と紛う振動を周囲に撒き散らしながら、大東京の地に解き放たれたのである。
その少し前。
快適で非日常的でもある空の旅を楽しんでいた数少ない乗客達は、ギシリという音から始まった一連の崩壊の様を、自らの目と耳で誰より早く、間近で目撃して戦慄していた。
運良く崩壊前に地上に降り立った千野吾郎とその息子である千野巧の二人は、巧の非行に始まり、勘当同然で家を出たまま、関係を修復出来ぬまま、父、吾郎の定年まで来てしまった親子だった。
巧は吾郎とその妻であった和子の間に大学在学中に出来た子で、彼が社会に出る頃には、既に傍らに巧が居た。とは言え大学出たての初任給では家計を賄いきれる物ではないと判断し、吾郎の実家の傍にアパートを借り、両親の助けを頼りながらも何とか巧を育てていた。
巧が小学校に上がる頃には、夫妻も両親の助けを必要とはしなくなり、同時にしっかり者な子供に育った巧のおかげもあって、共働きが出来る様になった。
しかし、お利口に、両親にいらぬ手間をかけぬ様にと育った巧は、両親との時間を奪われるという理不尽を被る事になった。
もちろん学校に友達は居た。しかし放課後、そういう友達と遊んでいるにせよ、夕方にもなれば、彼らは自らの家に帰ってしまい、巧はやはり一人になるのである。吾郎は元より、母もまたパートではなく、事務職の社員として勤めに出ていた為、巧は寝るまでに両親のどちらとも合わない日も珍しくはなかった。
そんな家庭環境だった為、中学に上がる頃、誰もが通る反抗期に於いても巧は反抗する相手もなく、内へ内へと若い無方向な怒りめいた感情を貯めていき、遂には高校二年の頃、万引きでの度重なる補導をきっかけに、それを諌めた吾郎と仲違いし、家を出る事になった。
これに一番こたえたのは、誰あろう母、和子だった。若くして一緒になり、肩寄せあって生きてきた夫と、その間に生まれた一人息子の仲違い、ひいては家族が壊れてしまう恐怖から心身を病み、職を辞して床に伏せてしまう。夫である吾郎は妻を看病しながら生活を続け、最愛の妻をこの様にしてしまった事を、あろう事か巧のせいと考え、親子関係の修復など頭の片隅にも無い偏屈者になってしまっていた。
そんな生活が二十五年を数えた頃、和子が息を引き取った。遺言はただ一言。
「家族は一緒でなきゃ駄目です」
葬儀には親戚から話を聞いて巧も出席していた。幼い頃の巧の面影を持った子供と、貞淑そうな妻を連れていた。
吾郎は、不義理を詫びる巧の妻と、あどけなくはしゃぐ自らの孫と、バツの悪そうに視線を泳がす巧を見比べ、深々と頭を垂れた。
式の後、吾郎は巧を呼び止め、和子の遺言と積年の想い、それから巧が築いた家族を見て感じた事などを伝えた。巧もまた後悔の念を口にして、不器用な男二人は、ようやくにして和解したのだ。
その後、淋しい想いをさせた償いをと吾郎が言い出し、吾郎、和子、巧の親子三人で行った数少ない想い出の遊園地に行こうという事になったが、時の流れは無情にも、当の遊園地を廃園にしていた。
そのかわりに、近付いた吾郎の定年祝いを兼ねて、巧の方から誘ったのがマリーンシティホイールでの遊覧と、その後、近くの店で待っている巧の妻と子供とのささやかながらの会食だった。
マリーンシティホイールの中で、男二人は言葉少なく、けれども互いを、そして亡き和子の事を思い合い、瞳を潤ませた。その後に待つ楽しい会食に水を指しちゃならんと吾郎は無理に笑顔を作ったその時、崩壊の第一声が二人の耳をついたのである。
「今のは何の音だ?」
「音?」
「聞こえなかったか? 金属が擦れる様な音がしたじゃないか」
「何言ってんだ親父、金属の擦れる音なんて、して当然じゃないか。ここは観覧車の中だぞ」
「そうは言っても、この観覧車はまだ営業を始めて間もないんだぞ? それにさっきまで、そんな音は一度も」
してなかったじゃないか、と続けるはずだった。
言いながら巧の訝しむ様な顔から、ゴンドラの外へ視線を移した五郎の目に、今まさにメインシャフトを受ける支柱が、飴細工の様に変形しながら、より大きな音を立てる、衝撃の光景が飛び込んできた。
「巧、あれだ!」
音の出処を指差して叫ぶ吾郎の様子が尋常じゃないと気付いた巧は、弾かれたように父親の指の先に目を這わせ、瞬時に状況を把握して、近付いてくる地上と、ひしゃげていく支柱とを何度も見比べながら叫び返す。
「親父、もう少し地上に近くなったら、係員なんか待っちゃいられない。俺が扉を蹴破るから、飛び降りて走ってくれ!」
「お前は・・・」
「大丈夫、俺もすぐに飛び降りる。あんたより二十も若いんだぞ、少しは息子を信じてくれよ。」
そう言って歯を見せて笑う巧を見た吾郎は、信じるも何も自慢の息子さ、と声に出さずに呟いた。
彼らが異変に気付いたのは、ちょうど三時の位置にゴンドラがあった頃だった。飛び降りる時に、少しでも衝撃を吸収出来ればと、巧のリュックに二人の上着を詰め込み、それを吾郎が抱えて飛ぶ事にした頃には、ゴンドラは四時の位置を過ぎた頃だったが、それでもまだ地上まで十メートルはあり、飛ぶには高すぎたが、巧は先に扉だけでも蹴破っておこうと決め、両手で昇降時に使う手すりを掴み、引き付けると同時に渾身の力で扉に足を打ち付けた。
しかし最新にして国内最大の観覧車のゴンドラは、乗客の安全の為に、半端な力では扉は開かない造りで、四十を過ぎた男が繰り出す貧弱な蹴りなどものともしない。
巧が何度か繰り返したが、一向に開かない扉と、ますます破壊が続く支柱を見比べて、吾郎も体を扉に打ち付け始める。
老体に鞭打つ吾郎を蹴ってしまわない様、巧もまた父にならい、肩での体当たりに転向する。
肩で当たりに行くと、蹴りつけるのとは違いすぐに痛みが来はじめる。よく熱中していると体の痛みに鈍感になると言うが、そうでもない。痛いものは痛い。しかし今は泣き言を言ってる場合ではない。吾郎も巧も体当たりを続行する。
そうこうしていると一際大きな破壊音がして、ゴンドラが、いや、観覧車の本体全体が傾いたその時、タイミングを合わせて肩を扉に打ち付け続けていた男二人が、件の扉もろともにゴンドラから外界の宙に放り出された。
「あっ」
と思ったが、巧も吾郎も声にはならず、果たして現在どれぐらいの高度があるかも分からないまま、目を固く閉じて着地の衝撃を待った。
我が身が地面を転がりながら、いたる場所をしたたかに打ち付けられる衝撃が来るまで、およそ二秒。高さにして三メートル強であった事は二人にとって最大の幸運だった。
「親父走れ!」
吾朗に先んじて体を持ち上げた巧が、その視界に未だ捉える事の出来ない父に向けて声を上げ、言うが早いか自らも上下が判然としないながらも、観覧車に背を向けていると信じて足を踏み出した。
肌の上から感じる擦過の熱の様な痛み、肌より奥から感じる打ち身の鈍痛、そして背後から聞こえる観覧車が崩壊しながら立てる、悪魔の吠え声にも似た大音量。そんな中、吾朗の所在を巧が知覚できないのは仕方のない事だった。しかし、ようやくにして和解した父の手を引いてやる事もできない、己の無力に泣けてきた。それでも、今はただ前へ前へと痛む体の悲鳴を無視して、足を出す事しかできなかった。
巧の声が聞こえた。何か叫んでいる。
吾朗は着地の衝撃で、ほんの一瞬だけ意識を失っていた。
頭を打ったのか、それとも全身の痛みに対して、己が体の防衛本能の様な物で意識を遮断したのか。どちらにせよ、それは一瞬だった。半ば無意識に泳ぐように腕をバタつかせながらも無心で腿をあげ歩を進める。視界の端に息子が居た。彼もまた力を振り絞ってただ前へ前へと願う様にして走っていた。
ゴンドラから身を投げた時から、どれぐらいの時間が経過したのか。数分だろうか、それとも数秒だろうか。背後から聞こえる崩壊の音は遠ざかりもしない。むしろ大きくなってさえいる気さえする。少しだけハッキリしだした己の意識が、体の至る所が発する痛みの輪郭を知覚させる。息が上がっている。喉の奥から出口を求めた呼気が自らの口でヒューヒューという風の様な音を立てている。齢を重ねた父と息子は、どちらが先というでもなく走る足を緩め、その場に立って背後を仰ぎ見た。
最新鋭の、国内最大と言われた大観覧車は、すでにその大輪が支柱の楔から解き放たれ、今まさに有明の地に向けて落下していた。
未だその中にあった乗客達は、超高層ビルの高速エレベーターにも似た浮遊感に晒されていた。
ある者は共に乗る者と、またある者はゴンドラ内に設置された手すりに、抱きつきしがみつき、終わりの瞬間を待つしか無かった。
ガシャァンという、コンクリートが粉砕される音と共に乗客達は皆一様に天井まで体を投げられ、ついで床に座席に落とされた。
どれだけの時が流れただろう。恐る恐る、まるで自分が生きているかを確かめる様に一人、また一人と乗客が薄く目を開ける頃には、不思議な事が起きていた。
ゴドン、ゴドンと、数分おきに巨人が歩いている様な振動と音が周辺を支配している。
何が起きているのか、乗客も、また周囲に居た者たちにも分からない。目の前で起きている事を頭が理解を拒んでいる。
支柱から離れ、地上へと落下したマリーンシティホイールの本体は、その瞬間に一番下、つまり六時の位置にあったゴンドラの接合部のシャフトだけで、その暴力とさえ言える膨大な質量を受け止められ、そのまま回転の慣性を受けて、まるで巨大な車輪の様に、大地を転がって移動し続けていた。
巨人の足音は、その回転により直下位置に来たゴンドラが着地し、また上空へと持ちあげられていく時に地面と擦れて鳴る音だった。
地面を割り、近隣に立てられた露天の屋台やベンチを観覧車が破砕していく様は、まるで昭和の時代に作られた怪獣映画のワンシーンの様な、あまりに馬鹿げた、けれど何物にも止められない、絶望を彷彿とさせていた。
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