イクセシヴ・デモリション

健忘症

第1話 おなか……へった……

 幼馴染。

 幼いころからの顔馴染み。

 小学校から,はたまた幼稚園保育園から————

 どこから幼馴染とするかは人それぞれだが,柚篠魁人と夜上よあがり夢乃はそういう関係であった。

 3歳から一緒だった俺たちの,これ以上ないほど明確な関係性を表現してくれる単語である。

 俺も今年で16歳になる。13年も一緒にいるともう家族みたいなもので,そこにいないと不自然に感じるのかもしれない。

「生きていたら,な」

 そう,生きていたら。

 今は,もうこの世にはいない。

「…………」

 9歳で死に別れた幼馴染の写真を棚に戻して,小さくため息をつく。

 生きていたらあいつも高校生だ。華の女子高生と言われるように,これから華やかな高校生活が待っていたことだろう。

 それを俺が潰してしまったとくれば,こんなことを考える権利すらもない。

 夢乃は6年前スキーツアーのバス事故で死んだ。下り坂の急カーブで速度を落としきれずに谷に一直線だったと報道は言っていた。

 そのスキーツアーに行くように提案したのが俺だ。夢乃は「こーちゃんと一緒にいたい!」と言ってくれた(こーちゃんというのは夢乃が考えた俺のあだ名である)が,四六時中一緒にいた俺たちなので誕生日くらいは家族で過ごしたらと言ったんだ。そして事故が起こった。

 今更また後悔したって意味のないことはわかっている。6年前に散々後悔したし,その責任と一生生きていく覚悟もできている。

 ただどうしたって「あのとき余計なことを言わなければ」という思いは出てくる。そんな毎日ばかりだ。

「……いけないな。晩飯の準備をしないと」

 鬱屈とした脳内を切り替えるように自分に言い聞かせキッチンへ移動する。一週間前から始めた一人暮らしの子供の料理なんてたかが知れているが,少しずつ慣れていかないとこの先大変だ。

 この家は俺が3歳まで過ごしていたものだ。両親が他界して父方の祖父母に引き取られてからはたまに掃除に来るくらいしか訪れていなかったが,もともと俺のためにこの家を残していてくれたらしい。ありがたい話である。

 ちなみに祖父母に引き取られた先で出会ったのが夢乃である。

「げ。なんもない」

 開いた冷蔵庫の中はほぼ空っぽだった。食材らしい食材がない。

 そういえば昨日,明日買いに行けばいいやと全部使ったっけ。

 めんどくさいが,買い出しに行かないといけない。晩飯を抜くという選択肢は存在しないのだ。


 4月の夜はまだ少し冷える。これは九州の熊本でも同じだ。

 ちゃっちゃと買い物を済ませてスーパーから出ると,入るときとは違って空が暗くなっていた。天気予報で雨が降ると言っていた通り,小雨が降っている。そのせいでまた何度か温度も下がっているようだ。

 小雨程度でも20分も歩けば体はかなり濡れる。やっぱり傘を持ってきて正解だったな。

「さっさと帰ろう」

 腹が減って限界が近い。今日の晩飯はカップ麺になりそうだ。

 歩道を滑らないようにゆっくり歩いていると,周りに歩行者があまりいないことに気がつく。雨だし,当然と言えば当然だけど。

 歩みを進めるうちに,とうとう俺だけになった。車道に車すらない。しんと静まり返った道を雨音と共に歩くのも別に嫌じゃないが,なんだか寂しい。親飼橋の下を流れる黒川も心なしか流れがおとなしい気がする。

 別段不思議に思わず橋を渡り切り,すぐ左折。家はすぐそこだ。

 と,そこで————ドゴオオオオオオオオオオオ!!!!!!

 目の前で轟音が響いた。

「!!?!?!!???」

 突然のことで頭が働かなくなる。ただ自分が驚いていることと棒立ちしていることはなんとなく自覚した。

 いや,え? なにがあったの?

「あいたたたた……」

 そうこうしているうちに下からうめき声があがる。

「ちょっと,大丈夫ですか!?」

 あわてて駆け寄る。さっきの衝撃はこの人がぶっとんでコンクリに激突したせいっぽい。

「……え,あんた………どうしたの………?」

「こっちのセリフだよ!!」

 いかん,意識が朦朧としてる。衝撃のわりにその程度で済んでるから僥倖だがこのままコロッと逝く可能性もある。とにかく意識を保たせないと。

「しっかりしろ! 救急車呼ぶから諦めるな!」

「その必要はありません」

「っ……」

 よく通る声。必死な俺を制止するように聞こえるが,この状況でそれに従うわけにはいかない。すぐに携帯で電話を————

「……私の声も聞こえているようですね」

「………」

 声の主に視線を向ける。そこには真っ黒な女がいた。声音から判断するにあれは女だろう。

 夜なうえ,おそらく服装も黒だ。全体像は見えない。

 しかし特徴的な,銀色の瞳が見えた。

 見ようによっては瞳のない白目に見えるから恐怖だが,あれは間違いなく銀色に輝いている。

 黒の中に浮かぶ一対の銀は,不気味でありながらどこか幻想的だった。

「……こんな状況で,誰も呼ばないわけにはいかないでしょう」

「いいえ。その子は私が保護します」

 うむを言わせぬ雰囲気に,一瞬それなら大丈夫かと考えてしまうが———

「あなたがこうしたんでしょう?」

 不思議と冷静でいるので現状を整理することができる。

「そうです。ですのでその責任として保護します」

 この事態は彼女が起こしたものだ。

 そして吹っ飛んできたこの少女は,いまにも気を失いそうである。

「ですので警察も救急車も不要です」

 携帯を取り出すようにポケットに手を突っ込んで固まっている俺は……

「その理屈は通りませんよ」

 ……じつは携帯を持っていない。

 救急車を呼ぼうとしたところでそのことを思い出したのである。

 まったく冷静なんかではなかった。

 でもこのまま持ってる体で続けるしかない。助けを呼べないなんてバレたら————

 人一人をコンクリにヒビを入れるほど強く吹っ飛ばすようなやつだ。バレた後を想像しただけで死ねる。

「……ん,どうしたんですか? ……帰ろうって,任務はどうするんですか?」

「………?」

 任務?

 やっぱり殺す気だったんじゃんあぶねえ。

「……そうだったんですか,この方が。わかりました」

 通信だろうか,どこかに向かってそう言うと,圧的な雰囲気がふっと消える。銀色の輝きもなくなっていた。

 不思議なのは,彼女が長年の想い人を見るような表情をしていることだ。そしてそのまま————

「また会おうね,こーちゃん」

「………は?」

 名残惜しそうにしながらも,しっかりとした足取りで消えていった。

 そんなことよりもあの人,さっきこーちゃんと言ったか?

 こーちゃんというのは,幼馴染の夢乃がつけた俺のあだ名。俺をああ呼ぶのは夢乃だけだった。

 もしかして夢乃は生きている————?

 いや,それはない。報道ではバスの乗組員は全員死亡したと言っていた。そもそも今は雨が降っているので,聞き間違いの可能性だってある。

 しかし,あいつの遺体を見たわけではない。葬式のときだって,見つからなかったとかなんとか言って————

 もし,報道が嘘だったとしたら?

 なにかの力で隠蔽されていたとしたら?

「……うーん」

「! 大丈夫か!?」

 わけがわからないが,考えたってわからないものはわからない。まずは目先の問題だ。

「すまんが携帯がなくて助けが呼べない。そこのコンビニで電話借りるからそれまで待っててくれ」

 走り出そうとする俺の手は,なぜかぐっと引き留められた。すごく冷たい感触がある。

「大丈夫だから……ちょっと眠いだけよ」

「それがやばいんだって!」

「ああ……おなか……へった……」

 そういって彼女はついに脱力し,手首を掴んでいた手は力なく落ちた。

「おい,うそだろ……?」

 しゃべりかけても返事はない。

 間に合わなかった……。

「……ぐう」

「え?」

 ぐう?

 失礼ながら脈と呼吸を確認させてもらうと———ちゃんとある。

 えっと,じゃあホントに寝てるだけ?

「あー……」

 とりあえず人が死ななくてよかった。すげー安心した。

 あとはこの人をどうするかなんだけど……。

 ……どうしようか。


 結局,我が家に連れて帰ってきた。

 違うんだ。誘拐とかそういうんじゃなく,純粋にそうするのが一番いいと思ったんだ。

 寝てるこの人を雨の中放置してどこかに電話するより,ウチでちょっと休息させてあとは自分でどうにかしてもらったほうが大事にならないし。なにより聞きたいこともあるし。というかそれが本当の理由だけど。

「…………」

 彼女は静かに眠っている。こうして明るいところで見ると,本当に綺麗な顔立ちをしている。まるで作り物みたいだ。

 それにその髪の毛。これがその評価を不動たるものとしている要因なのだが————

 ピンク。

 桃色。

 とにかくそういう色だ。とても珍しい。地毛ということはないだろう。また珍しい色に染めたものだ。

 もしかしてそういう系統の————オラオラ,キャピキャピ,我こそは最上位カーストに君臨せし,みたいな少女なのだろうか。

 ぶっちゃけそういう人種は苦手なのでそうでないことを祈るのみだ。

「んー……はっ! 寝てた!」

 あ,起きた。

 シュバッと勢いよく起き上がると,周りを確認するように見回して———俺と目が合う。

「あんた誰?」

「落ち着け。まず俺は敵じゃない」

「そういうこと言うのって大抵怪しいわよね」

「それはわかるけど,本当だよ。俺は柚篠魁人。ここは俺の家で,眠くて力尽きたあんたを一時的に連れてきたんだ」

 若干早口で説明する俺にそうなのねと理解の言葉をつぶやきつつも,警戒の念は解いていない様子だ。当然である。逆にそれが彼女が冷静である証明になっている。

 その証拠に,ほら。

「ごめんなさい,あんたが助けてくれたのね?」

「そんな大袈裟なことはしてないよ。ただちょっと訊きたいことがある」

「なにかしら?」

 さあ,訊くぞ。夢乃についてだ。

 身体の奥から緊張でガクガク震えて,唇もブルブル震えてきた。こんなんでちゃんとしゃべれるのか俺。

「ゆ,夢乃は,生きてるのか?」

「夢乃? え,なにあんた,あの子と知り合いなの?」

 と何の気なしに,いまだにガクブルしている俺に前置きして,

「夢乃でしょ? 私とバトってたアレよ」

 と,これまた当然のことのように言った。

 全身から力が抜けて,俺はその場にバタンと座り込む。

 今度は俺が力尽きそうだった。

「な,なに,どうしたのよ……って,ああ!! あんたがあの柚篠カイト!!」

 どの俺かは知らんけど,俺がその柚篠魁人です。

 ……ダメだ。こりゃしばらく動けそうにないわ。


 もともと今日は料理をするつもりがなかったので買っていたカップラーメン4つのうち2つを消費することになった。

 1つは俺の席,もう1つを向かいの席に置いて着席した。

「私かっぷらーめんって初めて食べるの! 楽しみ!」

「そっか。大事に食べてな」

 あれからしばらくして2人とも空腹だったことに気がつき,今の状況に至る。この人は空腹で倒れた(寝た)といっても過言じゃないので,待たせたのはちょっと悪かったかな。

「おかわり!!」

「早っ!」

 うん,待たせて本当にごめんなさい。

「そういえば,まだあんたの名前を聞いてないな。教えてくれないか」

 言いながら消費3つめのカップラーメン麺を名も知らない少女に差し出す。よく食うなこの人。

「な,なんでよ……あっ」

 渋るときたので,受け取りに来た手をかわして自分に引き戻す。

「俺たちのいい関係のためにも,な?」

 食欲には勝てないのか,彼女はううっとうなって,

「……イクセシヴ・デモリション」

「はい?」

「私の名前」

 と,恥ずかしそうに名乗った。

 つい最近まで受験生だった俺なので,それが英語であることはわかった。直訳すると————

 過度の,破壊?

 いやいや。

 ホントにそれ名前なの?

「……なによ。ヘンな名前だってのは私だってわかってるわよ」

「いや……」

 どうやら嘘はついていないらしい。

「なんでもない。はいこれ」

「ありがとう」

 置くと,すぐさま食べ始める。ペットにごはんをあげるときはこんな感じなのだろうかと無意識に思った。

「それで,デモリン」

 ブフッと彼女はむせた。

「で,デモリン!? なにそれ!?」

「名前が長いから略したんだけど……」

「正気なの? 気安くない? 初対面よ,私たち」

「その初対面の男の家で,君はメシを食べているんだぞ?」

「そ,それもそうね……」

 うわあ,この人簡単だあ。

「それなら,もうヘンな遠慮はナシね。おかわり!」

「そこは最初から遠慮して!?」

 最後の1つがあっけなく開封された。

「それで夢乃のことについて,いろいろ聞かせてくれ」

「うん。私は夢乃からカイトのこと散々聞かされてるからある程度は知ってるわよ」

 例えば,と考えて,

「あんたがあげたカチューシャ,まだ大事に使ってるわよ」

「……マジか」

 どうやらあれは本当に夢乃だったらしい。それにこの様子だと,あいついろいろしゃべってるぞ。

「ていうかカイトって」

「ヘンな遠慮はナシって言ったでしょ」

 そういうことらしい。

 それからかくかくしかじかと話を聞いてまとめると,

 バス事故で助かったのは夢乃ひとりだけ。

 デモリンの家の人が夢乃を救出した。

 デモリンは家出をして,連れ戻すために夢乃が派遣された。

 デモリンと夢乃は同じ家に住んでいた。

 夢乃にはパラスという仲のいい女の子がいる。

 ということらしい。

 うん,よくわからん。

 コンクリに激突しながらもこうしてケロッとしてるのもなぜなのか。

「とりあえず夢乃が生きてて元気だってことがわかっただけでも奇跡だな」

 それだけで人生に希望が見えてくるというものだ。

「そういえばなんでおまえは家出なんてしたんだよ」

 話すうちに段々砕けてきて,もうこの口調でも平気になっている。お互いが夢乃の友達というのがでかい。

「だってあそこ退屈なんだもん。ロクに外出すらもできないのよ?」

「どんだけ箱入り娘なんだよ」

「軽自動車より重いものは持てないわ」

 怪力だった。

 

「そういえば私たちって同い年よね。高校生活はどう?」

「今日入学式だったよ」

「あら,高校生活初日から大変よね,あんたも」

「お互いさまだろそれは」

 あ,そういえば。

「おまえ,これからどうするんだ? 友達の家でも渡り歩くのか?」

「外出できない私にそとの友達なんていると思う?」

「俺が悪かった」

 堂々たるぼっち宣言だった。

「でもほら,学校とかさ。そういうところに仲のいいやつとかいないのか?」

「私学校に行ったことがないのよね」

「え?」

「ホントよ。小学校も中学校も,高校だって」

「それは不登校という意味で?」

「違う。そもそも入学すらしてないの」

 ……それはさすがにヘンだ。小中学校は日本では義務教育である。日本国民なら入学・卒業する義務がある。

 だが嘘をついている気配はない。

「あ,大事なこと言い忘れてた」

 理解が追い付かない俺に,綺麗に作られたお人形さんのように微笑みながら告げた。

「私,人造人間なの」

 …………………………はい?

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イクセシヴ・デモリション 健忘症 @amamamnesia

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