第67話


 ***


 ――……そうかなぁ?

 手元の手紙に目を落したまま、あいつの声を思い返してみる。

 集中してみても、以前はあんなにはっきり聞こえていた声はもう頭の中のいろんな声と混じってしまっていて、これぞと言えるものを思い浮かべることは出来なかった。

「……そうかなぁ?」

 微かに思い浮かぶそれっぽい声に対し、同じ言葉を呟く。

 呟きながら、俺は、ちゃんと笑えていた。

 あいつの姿も声も、俺は前のように思い描くことは、出来ない。それに気付いたのは、今になってからのことじゃなかった。

 あいつが列車で消えてしまってから、もう一度あいつを思い描き、もう一度自分の前に現そうという試みは、既に何度もやっていた。そしてそれは一度も叶わなかったのだ。

 どれだけ俺が懸命に願っても、あいつの姿も声もどうしてもぼんやりとしてしまって、ほんのすぐさっき前まで、昨日まで、二日前まで、ちゃんと俺の隣に居たじゃないかと、悔しくて悔しくて堪らなかった。

 だけど、あの日から明日で一週間が経つ今では、もう違う。

 俺が夢見た友達であるあいつは、俺が目覚めたことで、消えてしまった。

 その過程と結末を、俺は取りみだすことも無く明良に話せた。きっと心の中では、あの時にはもう気持ちに整理が付けられていたのだ。そして明良に聞いてもらったことで、その整理した気持ちの重さも、かなり軽くなった。

 だから今の俺は、自分に起こったすべてを穏やかに受け止められていた。

 表情が見えない分のカバーのためか、大げさにリアクションを取る姿。

 笑ったり怒ったり拗ねたり呆れたり、色々な感情を伝えてきた声。

 記憶の中のそれらを、もう形にすることは出来なくなっているけど、あいつと一緒に過ごした日々で感じた俺の気持ちは、まったく少しも欠けてはいない。そして、その日々のことを思い出す時には、俺は悔しさや悲しさではなく、心地良い懐かしさに包まれる。

 きっと、六原君が弟の亮太君のことを考える時も、同じ気持ちだろう。

「お前の名前、ケサパサだってさ」

 便箋に書かれたその字面に、俺は思わず笑ってしまう。

 途中からいい加減、書くのが面倒になったんだろうな、六原君。

 ケサパサなんて変な名前だ。変な名前だけど、変な存在のあいつにはピッタリだ。それに俺のことを「でんちゅー」なんて惚けたような呼び方してるんだから、お前だってそんくらいのでいいよ。今の小学生の名前以上に俺の同級生には居そうにないけど、そんくらいのが、いいよ。お似合いだよ。お前、だってどう考えても変だもん。

 それにしても、と、俺は縦書きの便箋を並べる。

 正直、いや、これは、

「書くの苦手ってレベルでしょうか、六原君」

 ボールペンで綴られたその手紙。

 ところどころ手を止めたらしい箇所にはインク染みがあり、変更のため途中でぐしゃぐしゃ塗りつぶしたのだろう文字も多い。思いついたことや書きたいことから次々書き進めていったのがよく分かる文章構成に、はじめの方の「ごめんなさい」の羅列は、その細かな気遣いへ感心する……というよりは悪いけどいっそ怖さを感じる。

 苦手だって本人も言っているし、文中で謝ってもあるけど、酷い出来だ。

 でも、と、俺は思う。

 そんな酷さこそが、書くのが疲れる長い手紙を使ってでも俺に自分の気持ちを伝えようとしてくれた、六原君の意識の表れだ。普段顔を合わせて話をする時には、奇妙な言い回しをしつつも淡々と言葉を続けることの出来る六原君が、俺のために苦手な手紙を書くことに挑んでくれた、その証拠。

 正直に言うと、六原君の手紙に書いてあったように、俺は少し、あいつが消える原因となった発言をした六原君のことを恨んでいたところもあった。でも、こうして六原君の気持ちを受け取った今では、そんなやつあたりも解けている。

 六原君は、俺の三人目の理解者である。

 そして俺が、六原君の理解者でもある。

 六原君は、俺と友達になりたいと言ってくれている。

 そして俺は、そんな六原君ともう友達になっているつもりだった。伝わっていなかったようなので、彼に会ったらまずそれを伝えなくてはいけない。

 俺も六原君に話したいし、六原君から聞きたいよ。

 あいつのこともだし、亮太君のこともだし、六原君が見えてるもののこともだし。

 俺がよくやる他の妄想のことも、その妄想に影響を与えてるだろう俺の好きなもののことも、借りたままでまだ読んでない『Delete』のネタバレについて思ったことも、この後で読んでからの感想のことも。逆に、六原君のそれらも。

 他にも、明良や別の友達のことや、あぁ、それから『ジュエドラ』見てたんだとか。

 いろいろ話して、いろいろ聞いて、六原君のことが分かりたいよ。

 それで今まで以上に仲良くなって、楽しい日々を過ごそうじゃないか。

 ほら、よくある感じの青春ドラマや漫画とかみたいに――って考えると、それは流石に恥ずかしいな。明良には溜息を吐いて呆れられるような発想だ。

 いや、やっぱり、呆れじゃなくて苦笑かも。明良は同意まではしないでも、きっと否定はしないだろう。

「……休み明け、か」

 明日からが、夏休みの最終週だ。

 つまり、始業式まではあと一週間ある。

 休み明け……、でも、いいんだけど。出来るなら。

 

 俺は、何度も読み返し打ち直した、一通のメールを彼へ送った。


『手紙ありがとう すごく嬉しかった

 ところで、出来たら明日遊びたいんだけど、都合どうかな?

 明良にも誘いをかけるから、六原君の事情はその時に六原君から話して欲しい

 俺ももっと詳しく聞きたいし、明良なら多分、信じてくれるよ

 ケサパサ(これイイね)のこと信じてくれたし、意外と空想家みたいだから

 あと友達の件ですが、こちらこそどうぞよろしくお願いします』


 六原君からの返信は、やはり数時間後だった。


『じゃあ面倒でなければうちに来る?

 十時くらいまでは母さん居るけど、その後は出かけるらしい

 大丈夫そうなら到着時間教えてくれれば、駅で二人をお待ちします』


 そして最後に何気なく付け加えられていた一行に、俺は携帯電話を手に笑い転げたのである。


『ランランと迷ったんだよね、名前』

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