第59話
あはははは、と、会長さんは教室に笑い声を響かせる。
「聞かせてくれてありがとう」
話を終えた自分に向けて礼を言い、口角を上げた。
「それはまだ、今でも見えるの?」
会長さんに、自分の話を疑っている様子は微塵も無かった。
頷いた自分に、お母さまが毎日送ってくれるのも仕方ないね、と納得する。
「君に見えているものはきっと、実際に存在はしていない。この世界の多くの人の目には見えていないものだ。もちろん、残念ながら今のところわたしも、他の人のそういうものが見えたことはない」
でも、と、会長さんは立ち上がった。
橙色の景色を通す窓に近づき、そこに立てかけていた姿見鏡を運んでくる。
鏡を持ち、こちらに向けて、会長さんは、
「さて、どうかな?」
と、尋ねた。
本当は先ほどから。いや、もっと前から。
ほぼ名前だけのオカルト研究会の存在を聞いて、ここへ初めて来た日の放課後から、自分はずっと気になっていた。あの鏡に映っているのは誰なのだろう、と。
今、自分と対面しているのは、会長さんと同じ顔の、セーラー服を着た少女だ。
片手で口元を抑え、少しすまして笑っている彼女に、どうも、と頭を下げた。
「まずは見えてるね。じゃあ、何が見える?」
会長さんの問いかけに、見えているそのものを答える。
そこまでの精度とは恥ずかしいね、と、会長さんは笑った。
「これは所謂、イマジナリーフレンド。人工精霊やタルパとも言うのかな。――ところで君は『赤毛のアン』を読んだ経験はあるかね?」
再びの芝居がかった言葉に、頷く。
小学生の時に読んだことがあると伝えると、よろしい、と会長さんは言った。
「子供の頃のわたしはね、自分について今ほど割り切れていなかった。そして毎日のように鏡の前に座り込んでは、アン・シャーリーよろしく理想を詰め込んだ自分の姿を思い描いていた。いつの間にか出来あがっていたのが、彼女、わたしのコーデリアだ」
アンが理想とした自分の名前で、会長さんは鏡の中の少女を示す。
少女は長く細い枠の内側で、こちらに向けて優雅に手を振っていた。
「おしゃべりは出来ないが、わたしの一番の理解者だよ」
会長さんに同意するように、少女はピースをしながら大きく頷く。
これでなんとなく予想は付いた、と、会長さんが鏡を抱えた。そのまま鏡の位置を元に返し、席に戻って腰を下ろすと、こちらを真っ直ぐに見据えた。
「君にはね、他人の『妄想』が見えるんだ」
会長さんは、なんの衒いもなくそう言い切った。
「まぁ、これはわたしの勝手な推測だから、君も話半分に聞くといい。わたしは君の知りたいことの正解を教えてあげることは出来ないが、これはどうかあれは違うかと共に意見を話し合い、考える相手にはなれる」
まずは確認させて欲しい、と、会長さんは指を立てる。
「病院の部屋が個室に戻ってからは、夜のゾンビは出なくなった?」
その確認に、正直に頷いた。
それに個室に戻ってからは、おかしなものが見えることは少なくなった。
そこで、毎日毎日、それはまだ見えるか、頭のどこかに痛いところはないかと本気で心配し続けている母を安心させたかったのもあって、このままいつかは治るのだろうと、もう全然見えないよと言ったのだ。
しばらく経って個室からそのまま退院出来た日の帰り道には、久しぶりにいろいろなものがたくさん見えた。大事に到らなくて良かったねと口ぐちにかけられる声とセットに特に何度も見えたのは、血だらけだったり白装束だったりの、自分の死んだ姿だった。
病院に戻るのは嫌だったので、見えるものについてはもう誰にも話していない。
それでも時折、見えて聞こえるそれらの影響によって、傍から見ればおかしく思える行動や発言をしてしまう。そんな自分を一番近くで、そして一番多く目撃している母を、自分は結局、今でも心配させ続けてしまっている。
その話を付け加えると、会長さんは何度か頷いた。
その場に自分一人の時にはおかしなものは見えないね、という確認のような断言に、その通りだと肯定を返す。それを聞いて、会長さんは満足そうに笑って続けた。
「それじゃあやっぱり、君になにかが見えるのは、近くに人が居る時に限るわけだ。そして加えて、それがどんな人でも見えるわけでもない、と。それに気付いているのなら、見えやすい人の特徴の方も掴んでいるのかな」
会長さんの予想通り、なんとなくだが、分かってきていた。
何も無いところをただ眺めている人や、単調な作業を繰り返している人。映画やドラマを見ている人や、白紙に向かって絵を描いている人。特に濃くて鮮やかなものを見せるのは、本気になってごっこ遊びをしている子供たちだ。
「うん。今日君から聞いた内容からすると、その人たちが頭の中に『イメージ』として考えている……そういったものが、君にも見えているようだ。思い出しているものじゃなく、ふっと想像したレベルのものじゃない、ある程度の形が出来た、『妄想』だね」
なんとも奇妙なことだけど、と、会長さんはとても嬉しそうだ。
見えるものが、それだとして。
それはじゃあ、どうして。
そんな疑問に対しても、会長さんは自らの仮説を話して聞かせてくれた。
「恐らくだけど、君は、人にまつわるささいな情報を一つ一つ拾い上げているんだと思う。表情だとか声の調子、体や目の動き、息づかい、普段の様子、事前の出来事や会話内容、予めその人に関する知識として知っていたこと……そういう小さなものから、その人の考えているものを推察し、自分の中でも絵として組み立てているんじゃないかな」
そんな器用なことは、しているつもりも、出来る自信も無かった。
自分は他人の感情をあまりよく理解出来ない人間だと自負していたし、周りからもそのように言われることが多々あった。会長さんが言うほどの洞察力と推察力があるならば、今のようにクラスに一人で居ることも少なく、自分の周りの人間と、もっと円滑な人付き合いが行えてこれただろう。
そう自分の意見を述べると、まぁトンデモ理論なのは承知さ、と会長さんは笑う。
「けどね。人間の脳というのはケチなのか寡黙なのか、自分の働きの成果をほとんど教えてくれないやつでね。持ち主が意識してなくても、知らないところで、いろいろと勝手に思考も行為もやってくれているのさ。普段の呼吸やまばたきだってそうとも言えるし、見てるとヘビがぐるぐる回る絵の錯視なんかも、そうだと言えるとわたしは思う。しかもこいつの凄いところは、それでもパワーを常に温存しているところだ」
こつこつと、会長さんは頭を軽くノックした。
「だから、誰がいつ何処でどのように、どんなおかしな能力に目覚めるか。その可能性の余地はまだまだ無限なんだよ」
そういう浪漫のあることを考えるのがわたしは何より大好きなんだ。
「なんてったって、オカルト研究会の会長だからね」
と、会長さんは誇らしげに言った。
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