契約

「え……?」

 バルックの思いもよらなかった答えを耳にし、ユレンは目をパチクリして頭の上に入るバルックを捕まえるとまじまじと見据える。その眼には疑いの色が浮かんでいる。

「まぁ、そう疑るのも分かる。何せ、今じゃ古の勇者なんてのは神話の中での人物としか捉えられてねぇからな。それに、そんな昔の奴の相棒を努めたって言っても信じらんねぇ。それが普通の反応だ。今ので信じたら馬鹿か変に純粋かのどっちかだよ」

 当のバルックは特に気分を害した風でもなく、彼の反応は至極当然だと受け止めてる。

「いや、あの。嘘ですよね?」

「嘘言って俺に特でもあるか?」

「だって、古の勇者に相棒がいたなんて記されてませんし、そのポジションに近い場所にいたのは神の力に愛されし者ですよね? ……もしかして、あなたは神の力に愛されし者なんですか?」

「あんな常に眉間のひびを気にしてるババァと一緒にすんな」

 バルックは心底嫌そうに眼を細め、そう吐き捨てる。どうやら違うようだ。

 そもそも神の力に愛されし者を眉間のひびを気にしているババァ呼ばわりするとは、度胸が据わっていると言うか何と言うか。本人が訊いたら間違いなくキレて魔法を連発してきそうだな、と思うユレンだった。

 と言うか、眉間のひび? それは皺ではないだろうか? とどうでもいい疑問もユレンの中に生じてしまう。

 ユレンの意識が微妙に違う方へと向いてしまった事を感じとったバルックは軌道修正しようと話を戻す。

「オレは、あいつの外套だったんだよ。ほら、神話でも黒い外套を纏ってたって書いてあんだろ? あれがオレなんだよ」

「……へぇ、そうなんですか」

「この野郎、絶対ぇ信じてねぇな」

 バルックはジト目をユレンに向ける。

「今直ぐ姿を変えて証明してぇ所だが、生憎と今のオレじゃあ別の姿になれねぇ。契約してねぇからな」

「契約、ですか?」

「おぅ、契約だ契約。契約すれば、外套……になるかどうか分かんねぇけど、少なくともそれに近い物には変化出来るぜ」

「……はぁ、そうなんですか」

「まぁた信じてねぇなお前」

 眉間にひびもとい皺を寄せたバルックはドスの利いた声と共にユレンを睨みつける。

「……まぁ、いい。どうせ信じる事になるんだからよ」

 それも直ぐに弛緩させてバルックは軽く息を吐く。

「で、だ。お前、オレと契約しろ」

「いきなりですね」

「おぅ、いきなりだ。しかし、それには相応の理由ってのが勿論ある」

 バルックはユレンの手から飛び出すと、彼の目の前で跳びはねながらこう口にする。

「それは、お前があいつらに対抗出来る力を手っ取り早く手に入れる為だ」

「っ!」

「おっ、目の色が変わりやがったな」

 もし口があれば口角を上げていただろうバルックは肩目をやや細めながら言葉を続ける。

「そろそろ気付くころだと思うが、あいつらってのはお前が相対した銀色の人形野郎どもだ。神話じゃあ虚ろの者って呼ばれてるあれよ。あれは虚空に潜んでこの世界に侵入してくる。その扉となる歪みはこの世界の奴にゃ壊す事も塞ぐ事も出来ねぇ不壊の代物だ。虚空に戻られたら、為す術がねぇって訳だ」

 だが、と一度区切りを入れ、その尻尾でバルックはユレンを指す。

「稀に虚空に入れる奴が出て来る。古の勇者やお前みたいな奴がな。けど、あくまで入れるってだけでそれ以外はヒトと同じだ。自ら虚空へ繋がる歪みを作り出す事は出来ねぇし、虚空の中で歪みを見失えば元の世界に戻る事が出来なくなる」

 あくまで入れるだけ。だからユレンは虚空へと自由に行く事が出来ない。

 しかし、古の勇者は神話では自在に歪みの向こうへ、つまりは虚空へと行き来する事が出来たと記されている。

 その答えはバルックの口から訊かされる。

「だが、このオレと契約すれば自由に……とまでは行かねぇが条件付きで虚空に入る歪みを作る事が出来るようになるんだ。更に、あいつらに対してピンポイントな攻撃手段ってのも手に入れる事が出来んだ」

「……成程。所で、質問いいですか?」

「おぅ、どんどん質問していいぞ」

 頷くバルックにユレンは自分の中で生じた疑問をぶつけて行く。

「では、まず契約をしたら何かしらのデメリットが生じますか?」

「デメリットねぇ……。強いて言えばオレと一定以上の距離離れられなくなるってのか?」

「離れられなくなるんですか?」

「まぁ、距離にしてお前の身長分くれぇだな。離れられるの。それ以上離れようとしても身体が引き寄せ合って遠ざかる事が出来ねぇんだ」

「成程。他には?」

「他に他に……あ、契約は一度したら破棄出来ねぇぜ。お前かオレが死ぬまで契約は履行される」

「……そうですか」

「それ以外に不利益っぽくとらえられるのはねぇな」

 力を得る為の代償がよく言えばその程度ですむのは、ある意味で僥倖だろう。素人とまでは行かないまでも本職に劣る武術しか使えないユレンにとっては、虚ろの者に対する決定打をを得られるのは願っても無い事だ。

 しかし、どうして契約をするとその力が得られるのか?

 ユレンは更に生じた疑問を解消すべくバルックに尋ねる。

「もう一つ質問です。どうしてあなたと契約すると虚空を生み出したり、虚ろの者に対しての特攻の力を得られるんですか?」

「それに関しちゃ、オレとあいつらが似てるからって答えになるな」

「似てる?」

「おぅ。似てんのよ。種族的にな」

 バルックは軽く息を吐くと、揚々と語り始める。

「だが、別に侵略しようとは思ってねぇのよ。ここには面白い娯楽はあるし、食べもんは旨い。それに、空気が澄んでて気持ちがいい。実に心地のいい場所だ。そんな場所を変えようだなんて思っちゃいねぇ。地に足付けてのんびりと暮らしてぇって思ってんの。だからな、オレにとってもこんな素晴らしい世界の力を奪って壊そうとするあいつらが許せねぇんだよ」

 そんな訳で、とバルックは一区切りつき、言葉を続ける。

「で、古の勇者と利害が一致してな。契約してあいつらを片っ端からぶっ飛ばしてたって訳だ」

「……成程」

「で、他に質問はねぇか?」

「そうですね……今の所は、もう無いですね」

「そうかそうか」

 バルックは改めてユレンの眼を見据える。

「で、どうすんだ? オレと契約するか? オレとしては契約してぇんだけど」

 バルックの言葉に、ユレンは逡巡する素振りも見せず、はっきりと答える。

「契約、します」

 ユレンはバルックと契約する事を選んだ。

 虚ろの者に対抗する力が得られるのであれば、契約に応じない訳にはいかない。

 少しでも早く、レイディアを連れ戻したいから。

 少しでも早く、一座の皆の安否を確認したいから。

 少しでも早く、虚ろの者達の侵攻を防ぎたいから。

 だから、ユレンはバルックと契約する事を選んだのだ。

「……そうか。じゃあ、さっさと始めっか」

 バルックはそう言うと、またもやユレンの頭の上に乗っかっていく。そして、彼の眼前に自慢の尻尾を垂らす。

「契約は至って簡単だ。お前はオレの尻尾を噛む。その間に俺が契約の文言を口にする。それで終わりだ」

「えっ?」

 予想だにしなかったバルックの発言に、ユレンは驚愕を顕わにする。

「尻尾って、これですか?」

「当たり前だろ? あ、あんま強く噛むなよ? 結構敏感なんだからよ」

 目の前でふりふりと可愛らしく振られる尻尾を凝視するユレン。

 これを、噛むのか。……おえっとならないかな? 何て不安が彼の頭に抜き足で通り過ぎて行く。

「ほれ、噛め」

「は、はい」

 言われるがまま、ユレンはバルックの尻尾を噛む。

 味はしなかったし、おえっともしなかった。

 ユレンが己の尻尾を噛んでいるのを確認したバルックは、ユレンには理解出来ない言語で契約の言葉を紡いでいく。

 契約の言葉を言い終えると、ユレンとバルックを繋ぐように淡く光が包み込み、そしてユレンの身体に何やら温かく、それでいて激しいものが流れ込んでいくのが感じられた。

「これで、契約終了だ。オレとユレンは一蓮托生だ。これから一生よろしくな」

「は、はい」

 バルックの言葉にユレンは噛んでいた尻尾を離す。

 と、ここでユレンは一つ気が付いた。

 バルックが自分をお前ではなく名前で呼ぶようになった事に。それは単に契約が完了したからか、それとも何か別の意味があるのかユレンには分からない。だが、悪い気はしなかった。

「んじゃ、早速変化してみっか。変化後の姿はどうなっか分かんねぇけどな」

 そう言うと同時に、バルックの身体が光に包まれた。

 光はそのまま頭の上に残り、段々とユレンの状態を覆うように広がっていく。

 光が晴れると、ユレンはフード付きの黒い上着を羽織っていた。長袖で、裾は少し太腿に触れるくらいの長さだ。

『なんか、フード付きの上着になったな。長袖で、前開きの』

「そうですね。あ、結構温かい」

『そりゃ、オレの温もりが直にユレンに伝わってるからな。冬でもこれ一枚で凌げる筈だぜ』

 バルックの変化の確認も終わり、黒い上着から元の姿へと戻る。

「では、改めてこれからよろしくお願いしますね」

「おぅ」

 ユレンはしゃがんでバルックと目線を合わせ、右手を差し出す。バルックは右手を尻尾で絡め取り、そのまま握手の要領で軽く上下する。

「あの」

 と、今まで無言を貫いていたネレグが二人に……と言うよりもユレンに声を掛ける。彼女の手には男性の衣服が一式きちんと折り畳まれた状態で乗っている。

「そろそろ衣服を着ないと風邪を引きますよ?」

「えっ?」

 そう言われてユレンは自分の姿をまじまじと見た。

 パンツ一丁だった。

 異性のいるこの場でパンツ姿だった事にユレンは羞恥して顔を赤くし、ネレグの持っていた服一式を頭を下げて口早にありがとうございますと告げ、急いで着るのであった。

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