近頃、私、愛したい
純鶏
プロローグ
9月13日金曜日。雨が降り始めてきた夕暮れの時間。
文化祭まであと1週間を切った今日、霞ヶ丘中学校の生徒達は文化祭に向けて部活動に勤しんでいた。
そんな中、書道部に所属する生徒も文化祭に向けて部室に残っていた。しかし、部室の中で生徒の一人が涙を流している。1年生であることを証明する白色のネームプレートを制服につけている生徒は、辛そうに目を細めていた。
そして、1年生の生徒にとって人生の先輩でもある人も、その中にいた。先輩の両足に、1年生の生徒は両手で触れている。先輩は、そんな自分の足に触れている人間の手を、冷ややかな視線を向けている。
「月菜先輩、お願いします! 私、どうしたら……もう自分が怖くて」
「私が、あなたを救ってあげることはできないのよ」
「そ、そんな! 月菜先輩、嘘ですよね?」
絶望した表情を浮かべる1年生の生徒。懇願する1年生の生徒の願いを、月菜という名前の先輩は受け入れない。冷たい視線を向けたまま、傷を負った首を手で触る。傷からにじみ出た血液が、指を赤色に染めていた。それを見て、1年生の生徒は困惑する。
1年生の生徒は頭を垂れ、苦しそうに目を閉じる。
もしかしたら、月菜先輩は私を受け入れてくれるかもしれない。そんな期待を抱いていた。月菜先輩ならきっとそうしてくれると。部室にいる1年生の生徒はそう願っていた。それだけに、先輩に拒絶されたという現実を受け入れたくないでいる。
「でも、そうね。自分自身で救うという方法がないわけではないわね」
「え、自分自身で? それはいったい?」
「それはね、“じぶん”を愛せばいいの」
「自分、を?」
1年生の生徒は先輩が言っている言葉に呆然とする。どういう意図でそう言っているのか分からない。そう言いたげに、顔を上げて自分の姿が写る洗面台の鏡を見つめる。
指や手の平についた血液を、先輩は舐めている。洗面台の鏡に映る先輩のその仕草を見て、1年生の生徒はまた床を見るように頭を下げた。
すると、1年生の生徒の頬に血液のついた先輩の手が触れる。
「あなたなら愛せるはずよ。自身に自信を持ったあなたなら、自分の本気の“じぶん”を愛することが出来るはず」
「自分の本気の“自分”?」
「そう。それが本気であるなら、本気で愛せるはず」
首の傷から出てくる血液を手で触っては、手についた血を舐めている先輩。1年生の生徒に対してそう呟いた後、うっすらと微笑みを浮かべる。
しかし、1人の生徒は危惧していることがあった。むしろ、先輩の言っていることは、結局は何も解決しないうえでの最悪の答えになってしまう。それは、涙を流している1年生の生徒にとっては、救いの言葉でも、自分を救うための提案でもない。
つまり、先輩の言葉は、1年生の生徒にとっては自分で自分を殺せと言っているようなものであった。
「でも、本気で愛してしまえば私は……いつか自分を」
「大丈夫よ」
先輩は、血に染まっていない方の手。もう片手に持っていたものを床に落とす。それが、1年生の生徒の足のそばまで転がっていく。
それに視線を向けた瞬間、1年生の生徒は先輩が何を言おうとしているのか。自分を救ってくれるものが何なのか。それが今の自分に必要な物であることを気づいた。気づいてしまった。
黒く滴る液体。部室の床の一部が少しずつ黒色に染まっていく。
「だってそれは、白から黒に染まった“じぶん”なんだから」
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