ヴァルキュリアの葬送

文月遼、

壱:銃を撃つのは意外と簡単な事

1 気分が沈む時、少年は映画館へ行く

 ――ぼくたちは、青春を駆け抜けねばならないと思っている。

 ――昔の詩人の言葉疾風怒濤の時代に従って。

 ――崩れつつある橋を駆け抜けるように。

 ――立ちどまれば、まっさかさまに落ちてしまう。

 ――そんな恐怖に駆られてる。


 気分が落ち込むことがあると、押井克洋おしいかつひろは映画館へ行く。

 映画館と言っても大きなシネコンではない。パチンコと一緒に、道楽でやっているような小さな場所へ。


 四月の陽気だと言うのに、克洋の足取りは重たい。表情も暗く、つまらなそうな顔をしていた。達観や諦念と言うにはあまりに幼くて、世の中を舐めていると言うには歳を食い過ぎている。昔、虫のようだと言われたこともある。そう言われた放課後も、彼は映画館へ行った。


 パチンコの賑やかさ――大きさだけは一丁前のチープな音楽と、湿気た学生や無精ひげを生やした男たちが出入りすることを、賑やかと言えるのであればだが。それと比べれば、映画館は静かなものだった。閑散と言い換えても良い。


 平日の昼間に、映画を見ようなどと思うのも、おかしな話か。克洋は自嘲的な笑みを浮かべ、ポスターを見る。


 いかにも無理をしていることが分かる、人気漫画の実写化。

 真っ白な病室で、ガウンを着たやたら血色の良い男と制服姿の女性が抱き合う、能天気極まりない恋愛映画。

 セクシーを売りにしたアイドルのチープなお色気スプラッタ。

 やたらと悩む、アメリカのヒーロー映画。

 どれにも克洋は心を動かされなかった。


 低俗に紛れて輝く一枚のポスターが、彼の眼を惹いた。

 夕日が沈む暗い空をバックに、串刺しにされた、グロテスクなまでに美しい青い魚が映るポスターだった。魚の青、そして夕日の赤の対比。暗い色調にも関わらず、それが克之にはとても眩しく思えた。


 腕時計と上映スケジュールを見る。迷う必要は無かった。


「十三時からの映画。学生一枚で」

「学生が、こんな時間にかい」

「ええ。半日だったんです」


 老人と言って差支えの無いチケット売りの男が、克洋を見下ろした。

 克洋はふと違和感を感じた。何度も通って、この老人と顔を合わせているにもかかわらず、まるで初対面のようだった。平日の昼間に会うのも二度や三度ではないのに。

 席の指定は聞かれなかった。どうせ、指定するほど人がいないからだ。古い映画の再上映だから、どうせ一人だけだ。


「何か食べるかい」

「ポップコーンのMサイズ。それとオレンジジュース」

 いつものセットを頼むと、老人が奥に消え、すぐに戻る。持って来たポップコーンの入ったバスケットはやけに大きいし、紙パックにはデフォルメされた牛が入っている。


「ちょっと、おじさん。注文が――」

「ガタガタ抜かすな。女の子みたいなナリして。でっかくなれねぇぞ」


 お代は注文のでいいから。そういって老人が笑った。黄色い歯を見せつけるような笑い方が、克洋の神経を逆なでする。

 どうにか克洋も苦笑いを返して、大きなバスケットと冷たい紙パックを受け取った。一五〇〇円と引き換えに大きなバスケットと牛乳を受け取って、小さなシアターに入った。


 克洋は高校二年生だ。四月二日に産まれ、同学年でいちばん早く十七になる。同い年の中では、最も大人が近いはずだった。しかし、今日の身体測定で言い渡されたのは、一五七という残酷な数字だった。



 十七歳の平均身長は、男が一七〇。そして女が一五七だ。


 ギリギリ、同い年の女の子よりも高い。それは少年にとってはなんの救いにもならなかった。

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