【3分読み】エッセイ『お昼寝じいさん天に昇る』

 幼少の頃、私は密かに胸に秘めた夢があった。私は祖父の様になりたかったのだ。私にとって祖父は畏敬の念を抱くほどの巨大な存在であった。幼い頃の私の目から見ると、祖父は筆舌し難い、なんだか得体の知れない異様な存在だったのだ。

 外見もそうだ。外国人に間違われるような彫が深い顔に私の父よりも高い身長。私を知っている人ならお分かりであろうが、私の遺伝子は祖父からのそれを色濃く受け継いでいる。禿げた頭にはトレードマークのベレー帽。そう、私にとってベレー帽は小太りの漫画家が被る物ではなく、いつも先生と呼ばれていた陶芸家である祖父が被るものであった。

 既に第一線を離れた祖父の陶芸家であった日々を私は知らない。祖父の作品である湯飲みや絡みつく龍がモチーフの壺、御椀などだけが、私に祖父の築き上げた歴史の一端を覗かせるのだった。

 また、祖父が銀座に陶芸教室を開いていた頃の隆盛を極めた日々も私は知らない。私の知っている祖父といえば、日がな一日安楽椅子に座って再放送の時代劇やら、みのもんたの浅黒い顔やらをを映し出すブラウン管を眺めていたり、ゆったりとした動きでジョウロを片手に持ち庭木に水を遣っていたり、忙しなく動き回る母や祖母の言葉にのんびりとした調子で答える姿でだった。

 隠居生活を送る祖父の周りだけは時間の流れが緩やかだった。

 それは私に物心がつくより前に祖父が脳卒中にかかった影響であり、故に祖父本人が望んで隠居状態にあった訳では無いのだろうが、幼い私にはどちらにせよ理解できるわけも無く、ただただ祖父の泰然自若とも行雲流水とも言える悠然とした態度が仙人の様に感じられ、憧憬の念を抱かずにはいられなかったのだ。

 私にとって祖父は時の流れも世俗の喧騒も超越した存在だった。

 遥か太古の昔から未来永劫、変わらずに存在し続けるのではないかと錯覚するような屋久島の縄文杉の様に私にとって祖父が神秘的な存在であったと言っても差し支えないであろう。

 ……そんな祖父が、亡くなった。

 空は青く、風は冷たく、雲は白かった。

 人の死というのは、まるで大きな図書館が所蔵している全ての書物ごと失われてしまうようなものだと私は思うのだが、コレ誰かの言葉だっただろうか。失念してしまい何とも言えない。私のオリジナルの言葉だとすれば、皆様どうぞ名言なので広めてください。

 まあそれは置いといて、その図書館にはどこにでもある本も納められているが、そこにしかない貴重な本もあったのだと思うと、いつも何とも形容の出来ない虚無感に襲われる。

 顧みて、もっともっと何か出来たのではないかという気持ちになる。

 だが、人生に「たられば」はない。良し悪し関わらず明日はやってくる。

 質量保存の法則で言えば、素粒子は一定であるから、いつだって世界は何も変わらないのだ。生も死も人間の決めた定義であり、液体が気体に変わるように人の生死もただ単に形が変わるだけなのだ。だから悲しくはあっても寂しくはないのだ。宇宙は私ではないが、私は宇宙の一部である。それは世界中の人間全てに言えることだ。例えば戦争などは右手と左手で喧嘩をするような馬鹿らしいものなのだ。

 なんか自己啓発とか宗教みたいなものになってきたので、そろそろ筆を置こうかと思う所存であるのだ。まー、こーゆーのを書くの好きなので仕方なかろう。

 月並みな言葉ではあるが、祖父は私の心の中に生きているのだ。



終わり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る