第29話 救いの歌

 ボリス王子とエルダ姫の婚姻が発表されると、国中から祝福の歓声があがった。


 リベルラーシの人々は、姫に対する女神の庇護を疑わず、そして支持したのだった。なにより、彼女のそばにある王子の幸福そうな姿を喜んだ。かつては男色ではないかと危惧されたこともあったというのに、それを忘れさせるほど、王子は姫への愛情を隠さなかった。


 ごくわずかな者たちは、姫が人間であることに戸惑いや抵抗を捨てられないでいる。しかし、視察を兼ねた散歩にやってくる王子が輝かんばかりの笑顔でいるのを目の当たりにして、否定的な考えを持ちつづけるのは難しかった。まして、姫の清らかな瞳に見つめられては。


 ボリスはエヴァリードを、それこそ風からも護ろうとするほどに大切にした。城の者たちは、若い主人がこれほどの情熱を秘めている若者だったとは知らず、長いあいだ仕えてきたのだということに気づいて、驚きながらも歓迎した。以前から、まるで隠居した老人のように、書物や自然にばかり注意を向ける王子を、心配してきたのだから。


 エヴァリードを警戒する者は、既に城内でただ一人だった。


 サーシャはエヴァリードを慕い、ボリスが苦笑するほど彼女から離れない。ボリスが、王子としての責を果たすために彼女から目を離すときも、彼女を守るものとして付き従う。以前、ボリスに対してしていたように。


 そして、エヴァリードの猫であるマーロウも、いまでは非常に敬意をはらわれていた。彼女はむしろ、女主人よりもボリスのそばにいることが多い。彼がエヴァリードをおいて城外に行くときは、必ず同行した。どうやら、それはエヴァリードが望んでいるからであるようで、マーロウと心が繋がっている彼女は、彼らが戻ってくるのを正確に察知し、誰よりも早く迎えに出た。


 エヴァリードの歌の魔力を禁じる誓約書は、今となっては、あまり重要視されていなかった。それどころか、彼女は、その歌の力を、請われて使うようになっていた……。



 リベルラーシには豊かな森がある。大地の端にまで木々が繁り、氷上に厚く広がる土の層を支えているのだ。はるか下で人間たちが暮らす地上と同じほどに肥えた地味は、天空の民に、あらゆる恵みを与えた。さまざまな果実、野菜。それらによって育まれた動物たち。そして、木材となる、多種多様な良質の木々。


 安定した気候は豊潤な大地を保ちつづけ、イワン王が護る定期的な雨の恵みで、旱魃も知らない。神人がいるかぎり、天空の大地に自然災害など起こり得なかった。


 しかし、豊沃であるが故に発生する困りごともある。


 森の奥に、神から贈られたという伝説の、巨木がある。それは、空人がリベルラーシに生まれるとき、神が天空の大地に命を根づかせようと芽吹かせたといわれている。あらゆる生き物にとって、母ともいうべき存在。


 植物たちの起源。


 リベルラーシで、果実を与えた最初の樹。


 その古木の周囲には樵たちも手を出さず、今では果実さえ、動物たちにすべてを捧げるほど敬っていた。


 その古木に、寄生植物がとりついた。


 ほかの木々ならともかく、この樹にだけは、それはあってはならないことだった。しかし、そのつるを切り捨てることが決まった日の夜。たった一晩の間に、つるは複雑に絡み合い、驚異的に成長してしまった。


 つるが絡んでしまった大木に、人々は手をこまねいた。あまりに太くて手強いつるには、斧の刃も効果がない。


 市長が登城し、王に解決策を願い出たのは、その日のうちだった。


 詳細を聞き、イワン王は植物に造詣の深いフョードルを呼んだ。彼はボリス王子とともに図書室を駆け回り、実際に森でつるを観察したが、変種のナージ豆のつるである、ということしか断言できなかった。驚いたことにボリス王子の『雷光剣』でも切断することができない。剣はつるを傷つけたが、つるの芯は切れないのだ。あまり大胆な方法をとれば古木も傷つけかねない。それを避けようとすると、つるには手加減のしすぎとなってしまう。


 ついにイワン王は、エヴァリードの歌の魔力を以ってつるを外すという決断を下した。これまで彼女の力が貢献してきた、かずかずの事例を思えば、誰もが良策であると考えた。


 エヴァリードがボリスに伴われ、古木のもとに赴いたのが翌日。すでに古木の幹は、完全につるに覆われていた。そのせいか、葉は薄茶にしなび、枯れて、次々と落ちてくる。


「エルダ」


 かさかさの葉を手にとって眉を寄せていた彼女はうなずき、つるに外れるよう、歌で命じた。外れて、地面に伏せるよう。


 つるは素直に動いた。しゅるしゅると幹から滑り落ちて、従順に大地に寝そべる。そのつるを、彼女は撫でた。


 ボリスの指示で樵たちがつるの根元を掘り起こす。黄金色の、球根のような豆が現れた。芽を出したら、しなびていくはずの豆が残っていることも驚きだったが、その色も、かつて見ない色だった。土から離せば大丈夫だろうというフョードルの言葉に従い、彼らは豆を城に運んだ。城の地下は石の床と壁でおおわれ、豆が育つのに必要な土壌はない。


 つぎはボリスの出番だった。


 『光と闇の癒し』。それは、弱った古木にも効いた。


 かくて聖なる巨木は救われた。


 人々はエヴァリードに感謝し、彼女を王族として扱った。彼女の力にも、恐れる理由はなくなったのだ。

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