第26話 切ない邂逅
「フィオ……なぜ……?」
久しぶりに逢う妻は、痛ましいほどにやつれていた。それでいて、やはり美しかった。
細い腕がのびてきて、イワンの肩に触れる。イワンはその手をつかんだ。次の瞬間、彼は彼女をきつく抱きすくめていた。かぼそく、はかなげな痩せ衰えた身体は、離れていた、永いあいだの彼女の苦悩の深さを語っている。それを思うと、イワンは胸が引き裂かれそうになった。
豊かだった蜂蜜色の髪は減り、輝きもくすんでいる。空色の瞳に浮かんでいた眩しいばかりの活気、あの悪戯っぽい光は、絶望的な孤独の雲で灰色に翳ってしまった。なにより、彼女の全身から発されていた、あの不思議な光が消え、今は見るかげもない。
ただ、その姿に、滅びかけてもなお過去の繁栄を伝えようとする王都や城郭といった、寂しく切ないほどの美が、透けるほどに薄いヴェールのようにまつわっている。
「フィオ……フィオ……」
ただ、その名を囁いた。繰りかえし、繰りかえし。
「……お会いしたかった。わたくしの、王。そして、わたくしの夫。
あなたと、わたくしたちの息子が元気であること。それだけを願って、耐えていました」
香り高く、優雅そのものの声。昔と変わらぬ語調。しかし、かつてそこにあった瑞々しさは、むしられて風にさらされた花弁のように乾き、不用意に触れれば、粉々に砕けてしまいそうだった。
イワンは腕の力をゆるめた。
「そなたが去ろうとするのを、一年も押しとどめた。そなたはボリスを産むまではとどまろうとしてくれた。私はそれでもなお、そなたをとどめようとした。女神がそなたを連れ去るまで、私はそなたをそばに縛った。これはその罰なのか。私が、そなたをこのような目に遭わせたのか、フィオ」
かすかに首が横に振られ、彼女はきゅっとイワンの胸元をつかんだ。
「わたくしの姿に胸を痛めておいでだけれど、その必要はないのです、陛下。わたくしは、今、魂だけの姿でいるのですから。あなたは感覚だけを運ばれ、ここにおられます。
わたくしの身体は、たとえこの苦難にも、一筋も乱れないようにできています。これは疲弊した魂を、あなたが感じとってしまっているだけ。そして、あなたにこうして逢えたので、すぐにも心は癒されましょう」
愛情深く、敏感であり、そして真実の言葉だった。イワンが撫でるごとに彼女の髪の光沢は戻り、その全身には力が満ちていくようだった。
離れていた時間は永すぎたが、二人の心は最後にともに過ごしたときのまま、変わらぬ愛慕で寄り添っている。
若い日の未熟な考えから、イワンは彼女が子を生めば、去ろうとはしなくなるだろうという思いを持っていた。そして、それまでは結婚を待つ気でいた。だが、現実は、それほど簡単な解決を許さなかった。
フィオは出産を控えて姿を消した。
気が狂いそうになったイワンを城にとどめたのは、彼女が残した言葉だ。
──イワンの子を無事に生む。
約束の言葉を信じ、彼は帰りを待った。
ところが、浅い眠りから目覚めさせた光を見たとき、彼は悟った。フィオが戻ることはない。
その光の中から、イワンと同じ髪と瞳の、愛らしい赤んぼうが生まれたのだ。
そして声が響いた。
“あなたの息子か、わたくしか。どちらかが、ここを去らねばならないの”
そして彼女は、息子を残して消えた。
ここの生き物ではない。そう告げた彼女の言葉を刻みこんだ光が、善なるものか悪なるものか。彼は疑い、恐れた。それはボリスの枕元に見慣れない花弁を見つけるまで、消えなかった苦しい疑念だった。
「フィオ……」
彼は過去を引きずりながらも尋ねた。
「こうして逢えたことに、どのような意味が?」
彼女は顔を上げ、イワンと目を合わせた。
その空色の瞳には、かつての生気が戻りつつある。
「……大神様が、わたくしを遣わされたのです。あなたに神託を告げるようにと。
陛下。リベルラーシに人間の姫が送られたのは、神々と魔王のなしたこと。それぞれに別の考えから、そうなったのです。
彼女は、天を滅ぼすかもしれない。しかし、魔王を滅ぼす力も秘めているのです。これは神族にとっては、かつてなかったほどの危うい賭けのような選択でした。
地上にあるかぎり、彼女は、天にとっても地上にとっても危険な存在でしかない。そのような存在に魔王がしてしまったからです。それを大神様ですら、防げなかった。そんな事態にならなければ、然るべきときがきたら、彼女はボリスの妃として、天空城に導かれるはずでした。そうなるよう、護っていたはずだったのです。
けれど、それも魔王に妨害され、いまでは彼女の持っていた、魔王を滅ぼす力は失われかけています。彼女の肉体に宿っていた力は、一度、完全に彼女から離れてしまった。そして呪いと魔力の両方に穢された肉体は、その力と拮抗しつつ反発しています」
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