第25話 やさしき神託
「エヴァリード。あなたとボリス王子の御子には、世界を安定させる使命があるのです。神託とは、それです。それを知る者は、地上では僅かですが。
ですから、あなたはリベルラーシの王妃とならなければならない」
「それをリベルラーシの人々に示すために、このような事態となったのですか」
「急を要したのです。あなたは、死を選ぶところでしたから」
慈愛に満ちた瞳に、厳しさが浮かぶ。
晴れやかな春の朝を思わせる淡い青の瞳。その空に、瞬間、白い鳥がよぎるかのような。
「あなたの死を神々は望まない。だからこそ、あなたの父、エヴァロンのおぞましい行いを、すぐにも止めさせることはできませんでした。じつのところ、彼らは魔王の放った矢に、まごついていたのです」
「魔王──?」
その言葉にエヴァリードは戦慄をおぼえた。あの恐ろしい体験に魔王が関わっていたとすれば、彼女が逃れてきた、地獄という言葉では、あまりに生易しいと思えるほどの残酷な場所には、父のものとは別の思惑が根を張っている。
全世界を制覇し、天と地と、あらゆる種族の覇王となろうとしている父を、魔王が動かしているとしたら。
それを阻むには、よほどの力が要る。世界中の生き物が協力するほどの。
「魔王の放った矢とは? なんなのですか」
「エヴァリード。あなたからリベルラーシの王子妃になる素養を奪うことです。あなたは、これから、それを取り戻さなければならない。その素養は、とても残念なことに、あなたが地上にいたころに失われてしまった」
「あの病のせい……ですか」
女性は頷いた。
「あなたが倒れた病は、治療を妨害されていました。魔王が常に、あなたに強力な毒の風を吹きかけていたのです。神々が気づいたときには手遅れでした。あなたの病を癒すべく、彼らは非常に手を尽くしたのですが、間に合いませんでした。
あなたを護る使命を帯びていた神族が魔に堕ちてさえいなければ、あるいは毒の風など、あなたに届かぬようにできたかもしれません。魔王の計画が入念で、長い時間をかけて練られたものであったことも、神々を欺いた一因でしょう。
彼らには難しい選択を迫られました。即ち、あなたを生かすべきか、あるいは死なせるべきか。むごいことと思うかもしれませんが、死とは、決して総ての終結ではありません。あなたをひとたび死なせて、新たな命として生まれさせることに殆どの神が賛成していました。ただ、一部の神が、あなたの今の肉体にこそ、最高の力があると信じていました。そのために決断は遅れた。そして決めかねている間に、局面は取り返しのつかない事態に発展してしまいました」
「……父が魔法を用いて、私を生かしたからですね」
しばらくの間、女性は目を伏せて、黙った。それについて、否定も肯定もせずに。
エヴァリードは、彼女が再び口を開くのを待った。それほど待つことはなかった。
「もはや、あなたを死なせることはできません。それについては私にも詳しいことが伏せられているのですが、とにかく、あなたには失った素養を取り戻すことが最大の責務であり、また、必要不可欠なのです」
「私は──どうすればよいのですか」
瞳に幾度も映った厳しさを和らげ、彼女はエヴァリードの手をとった。
「まずはボリス王子とともに、その身に負わされた呪いを解きなさい。すべてはそれからです」
「呪いを解けば、私が失った素養を取り戻すことができるのですか?」
期待をこめて発した問いだったが、答えは甘くはなかった。彼女は沈痛な面持ちで首を横に振る。
「いいえ。それは、また別のものです。
けれど、恐れることはありません、エヴァリード。あなたが王子の妃となるのに、それほど多くの時間は要さないでしょう。そして、それは呪いが解けるのを待つ必要はありません。
あなたが取り戻さなくてはならない素養は、呪いがかかったままでは戻りません。けれど神々が、それを護っています。いつの日か、あなたに再び戻るよう」
そして、彼女は腕を伸ばした。
身体も魂もここにはないというのに、自分を抱きしめる彼女の腕も胸も、エヴァリードには、母のそれと同じくらいにあたたかく、懐かしく感じた。
耳元で、咲きたての薔薇が囁くように思われた。
「さあ、戻りなさい、エヴァリード。あなたのいるべき世界に」
彼女の言葉が終わらぬうちに足元から蒼い薔薇の花弁が舞い上がり、渦を巻きながら、エヴァリードを包んだ。やわらかな花びらが、頬を撫でる。
目を閉じて、エヴァリードはボリスの声が聞こえるのを待った。
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