スペリング(短編集)

@aoss

神の時間 (SF)

 ある所に、かなり優秀な若い実業家がいた。

 彼には、あらゆる事業を成功させてしまう手腕があった。例え利権を独占しているような金持ち達がこぞって攻撃してきたとしても、それを逆手に取れるだけの高い頭脳を持ち合わせていた。せめて精神的な嫌がらせにと結託していたマスメディアが若い実業家を貶めようとしたのだが、持って生まれた口のうまさで全てを好印象へと操ってしまったのだった。若い実業家は、歴史に名前を残してしまうほどの才能に溢れていたのだ。


 しかも、彼はそんな才能にあぐらを掻く事はなく24時間働き続けていた。今までの利権に縛られている狭い世界を破壊してやろうという気概だけで体を奮い起こし、若い実業家が持っている生命力の全ての時間を仕事に当てていたのだった。それでも尚、時間が足りないという事が分かっていた。どんなに才能がある人間が懸命に働こうとも、たった一人の人間に世界の色が変えられる筈もない事は分かっていたからであった。


 同僚は誰しもが言っていた。

 彼には時間が足りなさすぎていると。


 ※


 ある時、若い実業家の元に一人の老紳士が尋ねてきた。他人から商売のアイデアを買わないかという申し出は腐るほどあったので、予約のない面会は断ろうと考えていたのだが、気がつけば老紳士は部屋の中にまで入り込んできたのである。

「初めまして。私は神の使いです」

 直ぐにでも警備員を呼びつけようとしていたのだが、若い実業家は老紳士の挨拶を聞いて手を止めていた。普段なら追い返す所だが老紳士は次に予想もしていなかった事を言い出したのである。

「なんでも、貴方には時間が足りないとか。良かったら、私が、その時間を2倍にして差し上げますよ」

「何だって?」

「ですから、貴方の時間を2倍にして差し上げる、そう言いました」

 若い実業家も初めは老紳士の話しを聞いて鼻で笑っていた。

「何をバカな事を言っている」

「ええ、ぇぇ、分かります。分かりますとも。私の言っている事が信用できないのですね」

「当たり前だ。そんな話しを信じるバカが何処にいる」

「その疑問も当然です。しかし、私にはそれが可能なのです」


「神の使いだから時間も自由に操れる、とでも言いたいのか?」

「ええ、その通りですよ」

 老紳士はしれっと言いのけていた。


「なにぃ?」

「しかし、一つ勘違いしてもらいたくありませんが、いくら何でも神とはいえ、一人だの時間軸を変えられる筈はありません。言ってしまえば、それは川の流れの中で、一部分だけ流れの方向を変えるようなものです。そんな事は、いくらなんでも神でもできません」

「はっ。だったら、どうやって時間を2倍にできるというんだ」

「そこで、これです」

 老紳士はポケットから一錠の薬を取り出した。

「これは『ノータイム』という神が作った薬です。簡単に言えば、貴方の認識力を高める代物です。普段なら確認するのも難しい川の流れでも、60秒分の1、でなら細かく見る事ができるでしょう」

「……む」

「要するに、時間を2倍にするのではなく、時間を2倍に感じられる薬、という表現が正しいのでしょうか」

「なるほど。それが本当なら、確かに私は時間が増えたような思えるな。経営者ほど決断する事柄はおおいからな」

「ならば、ぜひ、これを飲んで力の程をご確認してください」


 若い経営者は近づこうとした老紳士を止めた。


「待った。私は、それが本当なら、と言った筈だ」

「つまり私が信用できないと?」

「当たり前だろう。そもそも私は神が存在しているとは思っていない。しかも、本人が来るならまだしも、その「使い」が怪しげな薬を飲まそうとしている、これを信用するというのが無理な話だ」

「なるほど。確かに」

「まず然るべき研究機関でその薬を実験させる。そして真偽が確認できた後で、君を逮捕させるか、殺す。私は、それを選ぶ事もできるんだぞ。人のオフィスに堂々と侵入したんだからな」


「はははは」

 老紳士は腹の底から笑っていた。

「なにがおかしい?」

「残念ながら、それは適いません。まずお伝えしましたが、私は神の使い、チャンスは一度っきり。それ以上はまかり通りません。もしこの『ノータイム』をお疑いのようでしたら私は素直に引き下がります。双方にメリットはありませんから」

「双方のメリット?」

「はい。私どもが神から命令されたのは、優秀な人間をより優秀にさせる事、です。何れ来るであろう大災害から数の多い人類を守るには、飛び抜けて優秀なトップが必用だからです。私達は、その人間を選別し、この薬を渡すのがお仕事でして」

「ふん。そんな便利な薬があるのなら、全ての人類に渡せばいいじゃないか。なんで私だけなんだ」

「この薬は百万年に一粒ほどしか作れないのです。いくら神とはいえ、万能では……おっと、これは口が過ぎましたね」

 老紳士は笑っていた。どうにもこうにも胡散臭い態度であり、とても信用する事はできない。だが、若い実業家の勤めているオフィスビルには数十人の警備員が勤め、数百にもなる監視カメラが至る所に設置されている。そこに忍び込むなど人間技でないのも確かであった。


 若い実業家は提案した。

「では、こうしないか? チャンスは一度しかない、しかし、私は貴方を信用できない。それだったら、その『ノータイム』という薬を半分にして片方を貴方が飲む、というのはどうだろうか」

「……」

「これなら安全性を確認する事ができる。何より、私のスマホに六十分の1秒単位で文字を表示させ、高速に流れる文字を読めれば実効性すら確認ができるという訳だ」

「なるほど」

「仮に貴方がこの提案を飲めないなら、今すぐご帰宅してもらっても結構だがね」

 ウソだったら容赦しない言わんばかりの若い実業家の態度を前にしても、現れた老紳士の笑顔が崩れる事はなかった。薬の力に核心があったのだろう。提案通り半分に割った薬を飲み込むと、本当に老紳士はスマホに表示された文字を全て読み上げていったのだった。

 これには若い実業家も驚くしかなかった。

 老紳士の全てを信用するつもりはなかったが、鉄砲の弾に書かれた文字が読めるような真似をしたのは確かだった。全て自分で用意したのでイカサマもできない。金や信頼よりも時間がほしかった若い実業家は、すぐ残っていた『ノータイム』の薬を飲み込んでいたのだった。


 すると、どうだろうか。

 老紳士が言っていたのは本当だった。

 瞬く間に、薬の力で時間が1.5倍にも感じられるようになったのだ。


「こ、これは凄い」

「ふふふふ。どうでしょうか?」

「いや、本当に凄いぞ。周りにある全ての現象が遅く感じられる、考える時間かが今までよりも長い、時計の針ですら間怠っこくてしかたないぞ!」

「ええ、ぇぇ、そうでしょう。私どもが提供する、それが『ノータイム』の効果なのです」

「これなら、もっと仕事ができる。色々な事を考える時間ができたんだ。もっと稼げるぞ」

「ふふ」

 しかし、そこまで喜んでいた若い実業家だったが、ふと大きく項垂れるようにして倒れていたのだった。

「これなら……。くそ、こんな事なら薬を半分にして飲むんじゃなかった。貴方の言っていた事が真実だとわかったのなら、全て一人で飲むんだった。どうして私は疑ってしまったのだろうか」

「……人間とはそういうものですよ」

「くそっ!」

「仕方ありませんって」

「もっと薬があれば……」


 若い実業家はハッとした。

 そして、すぐに机の引き出しにしまっていた拳銃で老紳士を撃ったのである。

 ダーンという音と共に老紳士は倒れてしまった。


「な、何を!?」

「ふふふ。『ノータイム』の薬はまだあるんだろ。その残りを全て私に寄こせ」

「これは他の人間に渡す分です」

「こんな素晴らしい薬を他の人間になどに渡してたまるか。今すぐ寄越せ、そうでなかったら殺してでも奪い取るぞ!」

「しかし」

 若い実業家は、口答えしそうな老紳士の手を撃ち抜くと、ポケットから残っていた『ノータイム』の薬、三錠を取り出したのだった。

「これさえあれば私は世界中の人間の誰よりも金を稼げる。優秀な人間にこそ、こういう物は利用されるべきなのだ。優秀な私が時間を手にできれば世界の経済ですら支配できる」

「……」

「ははははは」

 高笑いする若い実業家に向かって老紳士は言った。

「これは忠告です。それを飲むのは止めた方が良いですよ」

「うるさい」

 なんの躊躇いもなく若い実業家は老紳士の頭を拳銃で撃ち抜く。そして奪い取った薬を全て飲み干してしまったのだ。この後、死んだ老紳士の体を引き裂いて、もう体内に溶け出している薬の成分を吸い上げてやろうとすら考えていた。薬の半分ですら渡してなるものか。誰にもやらん。独り占めだ。


 そう若い実業家は考えていた。

 ずっと。

 0.0000000000000000000000000001秒の間に。



「愚かしいですね」 

 撃たれたはずの老紳士はスッと立ち上がっていた。体に大きく開いていた筈の穴は消えてしまい、着込んでいるスーツは新品のようにシワ一つ無かった。パッパッと服に付いたホコリを払っていた。

「人間の体という物は単純に見えて、実は一度に何万という複雑な命令を脳みそから電気で発しています。それを体の各部位は連動させて動かしている訳ですから、プログラムに置き換えると膨大なコード量になる事でしょう」


 棒立ちになっている若い実業家の肩を叩いた。


「簡単に言えば今の貴方は、古いPCで最新ゲームを3つ、4つも起動させようとしている状態、とでも言うんでしょうかね。どんなに時間が増えても体は永遠に付いてこないですよ。残念ですが」


「人間が、『ノータイム』の薬を一つで止めておけば、こうはならなかったのですが」

 老紳士は言うと、その場から一瞬で消えてしまったのだった。

 金儲けが目的だった若い実業家は何十倍にも膨れあがった時間の中で考え続けた。神はこれが目的だったのかと。若い実業家は歴史に名前を残すほど優秀であり、この滅び欠けた惑星から飛び出して別の星を目指す事業をずっと立ち上げていた。


 このエンケラドスという滅びそうな惑星から地球に向けて移住しようという計画を。

 だが、その答えを若い実業家は調べられない。

 もう彼は『ノータイム』なのだから。

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