鳥
一
鳥になる夢を見て、目を覚ました。
「へぇ、気持ちよさそーじゃん」
朝のホームルーム前、友人たちにその夢のことを話すと、
「教室で、いきなり背中に羽が生えて、窓から外に飛んでく? あたしもソレやりたいなー。特に、地理のハセガワの授業中」
「……尚美は実際に見てないから、そんなコトが言えるんだって」
「結構グロかったんだよ? 背中とか、めきっ、ごきって羽が生えてきて、制服のブラウス突き破ってさ。あー、思い出すのもヤだ」
背中に夢の中の感触が甦り、萌はぶるぶるっと身体を震わせる。自然に茶色がかったセミロングの髪と、襟元に結んだヒモタイが微かに揺れる。
「気にしない、気にしない。萌、寝る前に、何かヘンな映画でも見たんじゃない?」
「『ザ・フライ』とか」
「それ何?」
尚美が尋ね、にこやかに咲子は答える。
「えっとね。科学者がね、ハエと融合してハエ男になっちゃう映画」
「咲子……ソレ、全っ然フォローになってない」
萌はため息をついた。
「だいたい、映画なんか見てるヒマないって。今日から新学期なんだよ? 八月三十一日の夜なんて、宿題に追われてるに決まってるじゃない」
「……それもそうね」
ワンテンポ遅れた感じで、咲子が納得する。
「あたしも夕べ思ってたもん。何で高校一年の夏休みなのに、こんなに勉強しなきゃいけないのーって」
「全くだ」
尚美もうんうんと頷く。
「冗談ヌキで、羽がほしいよ本当に。自由になりたい! って感じ」
「あー、何かそんな歌あったよねぇ。『翼をください』だっけ?」
尚美と咲子の会話に、「他人事だと思ってさぁ」と、萌は再びため息をつく。
「……んーでも、ヘンな映画は見てないけど、ヘンなことならあった、かな」
「へぇ、どんなどんな?」
面白いもの好きの尚美が、目を輝かせて飛びついてくる。
「昨日、宿題しに図書館に行ってたのよ」
考え考え、萌は話し始めた。「で、閉館時間になって、帰る途中……」
平日ならば市民図書館は夜七時まで開いているのだが、昨日はあいにく日曜日だった。
夕方五時に早くも追い出された萌は、まだ日がかんかんと照りつける中、「あっつー」と文句を言いながら家に向かって歩いていた。
図書館と自宅との中間辺りまで来た頃には、既にTシャツは汗だく。缶ジュースの自動販売機を見つけ、地獄に仏とばかりにリュックから小銭入れを取り出した。五百円玉を入れて烏龍茶を一本買い、出てきたお釣りをじゃらじゃらと財布に戻そうとする。
「あっ」
手元が狂って、百円玉を一枚落としてしまった。硬貨は鈍く輝きながらアスファルトの上を転がっていき、そのときちょうど道を歩いてきた誰かの足元で止まった。
「――世の中、思い通りにはならないものね」
そう言うと、その誰か――長いストレートの黒髪に白のワンピース姿の少女は屈んで百円玉を拾い、萌に差し出してきた。
「はい」
「……ありがとう」
お金を転がしたくらいで大袈裟だな、と思ったが、大人しく礼を述べて硬貨を受け取る。
「あなた、
少女が尋ねてきた。いきなりだったので、疑問を感じる間もなく答えてしまう。
「そーだけど」
「名前は?」
「
「ふうん。ケンジョウ、モエさん」
答えてしまったあとで、萌はまじまじと相手を見た。萌と同じような年頃の、なかなか綺麗な子だ。彼女のほうも、穏やかに微笑みながら萌を見つめている。結果的に二人でじっと見つめ合う格好になって、萌はひどく落ち着かない気持ちになった。
「ねえ、モエさん」
初対面の萌の名を親しげに呼んで、少女が話しかけてくる。
「あなた――」
「それで、その子が、次に訊いてきたことってのがさ……」
萌がそう言いかけたとき、教室の前のドアがガラッと開いて
「とっくの昔にチャイム鳴ってるぞ、お前ら!」
担任の
「ほら、久々で話し足りないのはわかるが、さっさと席につかんか」
手近にいた男子の頭を出席簿で小突きながら、教卓へと向かう。慌てて萌たちも自分の席に戻った。全員がとりあえず席についたのを確認すると、中林は口を開く。
「長ぁい長い挨拶は後回しにして、まずは転校生を紹介する」
「転校生?」
その言葉に、もともと静まっていなかった教室がさらに騒がしくなった。
「うそ、マジで?」
「センセー、男? 女?」
「静かに!」
大声をあげて、中林は生徒たちを制する。それから、廊下に向かって声をかけた。
「イヌイさん、入りなさい」
呼ばれて、外で待っていた転校生が教室に姿を現す。城東のブレザーの制服とは違う、セーラー服姿の女子。ストレートの長い黒髪。その瞬間、萌は慄然とした。
あの子だ。
――脳裏に、昨日の問いが甦る。訊かれたときには意味がわからなかったが、今ならばわかる、あの問い。
「モエさん。
あなた、鳥になる夢を見たことはある?」
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