レミング・シンドローム
海が、広がっていた。
寄せては返す
ひっそりとした砂浜に、誰かが立っていた。
少女たちだった。
少女たちは、互いに手をつないで、ゆっくりと海に向かって歩いていった。
どこまでもどこまでも歩いていった。
誰ひとり、戻ってはこなかった……。
〝ねえ……みんなで海に
「またレミング? 嫌ねえ」
そう言うと母親は、新聞の朝刊をかなり荒い扱いでテーブルに置いた。思わずそちらに目が行った
「こんなもの見るんじゃありません!」
ヒステリックに母親に叱られて、慌てて顔を伏せた。
見なくてもわかっている。このところ、新聞上にその文字が踊らない日はないのだから。
〝レミング・シンドローム〟。
「美砂の学校でも最近あったんでしょう? 全く、ヘンな世の中になったものだわ。あんたはこんな馬鹿なことしないでしょうね……
美砂! 何ぼさっとしてるの、早く食べなさい! 学校遅れるわよ!」
「……はい」
言われて朝食に戻った美砂だったが、頭の中では新聞記事のことばかりを考えていた。
〝レミング・シンドローム〟。
全国各地で相次ぐ、少女たちの集団自殺。互いに一面識もない十代の少女たちが、手を取り合って海へと入っていくのだ。どの少女の親も学校関係者も、その子が死ななければならない理由に全く思い当たらないのだと言う。
レミングとは、北欧に住むある種のネズミのことだ。彼らは時として、海に向かって集団で突進して溺れ死ぬのだ。繁殖しすぎた個体数を調節するためだとも言われているが、本当のところは誰にもわからない。死ぬレミング自身だって、わかっているだろうか?
大人から見れば意味不明でしかない少女たちの行動に、人々はネズミの名をつけた。
〝レミング・シンドローム〟、と。
「……みなさんも、今朝の新聞で読んだかもしれませんが、昨日、またみなさんと同世代の女生徒が集団で自殺すると言う、痛ましい事件がありました……。
みなさんには、今一度、命の大切さを問い直してもらいたいと……」
台本を棒読みするような教師の声が、教壇からうつろに聞こえてくる。
でもそれも、窓際の席に置かれた花瓶の白い花の前では、何の意味も持たない。
「……みなさんには、動揺することなく勉学に励んで……」
〝……
頬杖をついて、窓の外をぼんやりと眺めながら、美砂は思った。
きっと、大人たちには聞こえないんだ。だから、わからないんだ。
あの、声が。
いつだって、私たちを呼んでいるのに。
真由美だって、聞いたって言っていた。きっと、死んだ
――次は、私の番かもしれない。
「アトランティス大陸って知ってる?」
突然、真由美がそんなことを訊いてきたことがあった。
「大西洋にあったって言う超古代文明でしょ?」
「そう。一夜にして深海の底に沈んでしまったって言う、幻の大陸」
真由美はいろんなことに詳しい子だった。頭がよくて、物知りで、学校の先生たちからも期待されていた真由美。
「ね、レミングってね、別に自殺するつもりで海に飛び込んでるんじゃないって話があるの。かつては大西洋にアトランティス大陸があって、彼らは海を泳いでそこまで渡っていたんだって。アトランティスが沈んでしまった今も、本能にはその頃の習性が残っていて海へ泳ぎだしてしまうんだって。レミングは、還ろうとしているだけなんじゃないかな?
――〝レミング・シンドローム〟の女の子たちも、きっと同じだよ――」
真由美が死んだのは、その翌日だった……。
わかるよ、真由美。私だって、よく思うもの。
私が本当にいるべき場所は、ここじゃないって。
きっと、どこか違うところに、私を待っていてくれる場所があるって。
空気が重くのしかかってくるような、家や学校。こんなバスにぎゅうぎゅう詰めにされて、往復するだけの毎日。このバスに乗らないで……たとえば、違うバスに乗って……でなければ、途中で降りて……全然違うところに行けたら……
抜け出したい。抜け出したいの――!
〝ねえ……みんなで海に還ろう……?〟
不意にあの声が聞こえて、美砂ははっと顔をあげた。
バスの窓硝子の向こうに、ひとりの女の子が立っている。綺麗な子だ。天使か妖精のような、少し浮世離れした感じの。
そして、とても穏やかな笑みを浮かべている。まるで……海のような。
彼女が、ふわっと身を翻して、軽やかに走り出した。
「あ、待って……降ります! 降ろしてください!」
慌ててバスを降りる。いつも通り過ぎていただけの、見知らぬ停留所。
でも、ここは……海の匂いがする。
〝ねえ……みんなで海に還ろう……?〟
彼女が、美砂を誘うように、静かに微笑んでいた。
待っていて、くれた――
海。
学校からはほんの目と鼻の先なのに、こんなところに海があるなんて、知らなかった。
砂浜の向こうには、碧い碧い海。
その深い深い海の底に、何を抱きしめているの……?
砂浜には、美砂の他にも、何人もの少女がいた。
制服の子もいれば、そうでない子もいる。全員、知らない子だった。
でも、そんなことはどうでもよかった。少女たちの気持ちは、ひとつだったから。
〝ねえ……みんなで海に還ろう……?〟
彼女が、凪いだ海のように穏やかな瞳で、美砂たちをやさしく見つめていた。
誰も何も言わず、そうすることがごく当たり前のように、みんなで手をつないだ。
あの深い碧が、きっと、私を受け入れてくれる――
日の光を浴びて、鏡のようにきらめく海を見ながら、
美砂の心は、これまでにないくらい、晴れやかだった。
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