希望
「開けてください」
甕の中から声をかけられて、パンドラは驚いた。幼い女の子のような可愛らしい声だった、パンドラ自身は〝幼い女の子〟というものを知らなかったが。彼女は神々によって創られた最初の女であり、彼女から全ての女は始まるのだから。
声は言う。
「わたしをここから出してください」
「駄目よ!」
パンドラは叫んだ。
「私はもう既に、取り返しのつかないことをしてしまったの。決して開けてはいけないと言われた甕の蓋を開けて、多くの災いを世に解き放ってしまったのよ。これ以上、災いを外に出すわけにはいかないわ……」
プロメテウスが天上から火を盗んで人間に与えたことに怒った神々は、パンドラをプロメテウスの弟エピメテウスに嫁がせた。災禍の詰まった甕を、贈り物として。好奇心に負けたパンドラが、甕の蓋を開けるのは時間の問題だった。
もやもやとした形のないものが甕から溢れ出た瞬間、慌ててパンドラは蓋を閉じた。だが時既に遅く、数多の災禍が飛び去ったあとだった。疫病。飢餓。暴力。疑念。不安。嘘。嫉妬。憎悪。次々に襲う苦しみに人々は怒り狂い、あるいは嘆き悲しみ、パンドラは悔恨に責め苛まれている。
「心配することはありません」
歌うように、声は語りかける。甘く、優しく。
「何事も、永遠には続かぬもの。どんな苦しみにも、いつかは終わりが来ます。それを告げ報せるために、わたしがいるのです」
その心地よい響きに、パンドラは思わず身を委ねてしまいたくなる。信じたくなる。
「あなたは、いったい……?」
「わたしの名は、〈希望〉です。
ねえ、パンドラ、わたしをここから出してくださいな。悪いようにはしませんから」
そして、狭い甕から解き放たれた〈希望〉は、可愛らしい声で歌いながら、世界へと飛んでいく。
わたしの名は、〈希望〉。
決して叶わぬ夢を求める青年には、「いつかは貴方の物になる」と、胸の
決して届かぬ恋に苦しむ少女には、「いつかは振り向いてくれる」と、耳元で甘く囁きましょう。
いつかって、いつのこと?
さあ、いつかしら。わたしはただ、甘く優しく歌うだけ。
わたしの名は〈希望〉、〈希望〉という名の災い。
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