Ep.01 親友との再会
「ジャックって。おーい」
「なんだよ」
声をかけてきた相手は息を切らせながら走ってきた。この辺を根城にしている知った顔。僕と違い、親がいるので、この辺に家があるはずだ。
「さっきの金、ワリカンだろ? ズルイって」
「あー、ごめん。ごめん」
「全部ふんだくるつもりだったのか?」
「いや。忘れてただけだって」
本当か、と覗き込む顔には少し疑惑の念があった。本当だって、とワリカン分の金を渡した。
さっき街を歩くものの財布から、すったお金だった。
「ジャック、手つき上手いよなぁ。イカサマとか、訓練したら出来るんじゃね」
「あー……店ではちょこっとだけやってる」
小声で呟いたので、彼には聞こえなかったようだ。僕の手つきの器用さは、こういうところで発揮された。素早いのだ。大人は手グセが悪いと怒るだろうが、そんなこと、僕は知らない。金になるならそれでいい。
お金がなければ死ぬからだ。
服はボロボロでも、煌びやかな大通りを歩けなくとも、生きていればなんとかなる。大人にさえなれば変えられる。
僕は必ず、こんな生活から脱してやる。
「ジャックゥー、今日はどこで寝るの。俺の家来る? 今日は親が出かけて、いないからバレねぇよ」
「いや。今日は泊まるところ、あるんだ」
「教会か?」
「当たり。さすがに帰らないと」
「残念だなぁ。ま、仕方ないかぁ」
「またな。その時は頼むよ」
今日は満月。――その日だけは、教会に帰って来る約束。
僕が住む教会へ足を進めた。教会の正門をくぐると一人の女性が迎えてきた。もう、しわくちゃの顔になったおばあさんといった方がいい。
「マダム、アナ=マリア……」
「ジャック! やっと帰ってきたの!」
「お久しぶりだね、アナ。元気してた? といっても一週間ぶりだけどさ」
「おお、神の子よ。無事戻ってきたアーメン。アーメン……」
「なんなのそれ。僕はそんなんじゃないよ。相変わらずみたいだね、アナ」
彼女の様子は相変わらずだった。僕をなぜか神の子と呼んで、可愛がる。僕が赤ん坊のことから世話してくれたのが彼女であったため、僕にとっては母親のような存在だ。僕は彼女がいたからこそ、孤児として辛く厳しいことがあっても耐えられた。まだ道は外れかけても修正できる範囲。
まだこの時は――。
「ジャック。ささっ、お入り。大したものはないけど」
「うん。マダム。ただいま」
僕に向けられる彼女の愛情がその時の僕には本当のものだと思っていた。まだ年端かもいかない子どもは思いもしない。誰が想像するだろうか? 自分に向けられているものが『イツワリ』だということに。
彼女は僕に関する全てを知っていた。
僕は知る由もなかったのだ。
◇◆◇◆◇
僕は生まれた年を知らなかった。
自分の年を正確に知って、その度にお祝いをして、年齢を重ねる憂さを感じることが出来るのは良家の息子や子女だけだ。おおかた、王族や貴族。僕みたいに親もいない、生まれの家も分からない根無し草に、そういうものは無い。
ただ、僕が生まれた年は――、飢饉で飢餓死したものが多かったと周りの大人から聞いた。
「ジャック、これお願いね」
「うん、任せといて」
僕は裏カジノで稼いだお金で、ある程度はいい生活ができるようになっていた。まぁ、いい生活と言っても、親がいる労働者階級の子どもと同等ぐらいだ。服という形をした服は着られるし、毎日ご飯を食べられる。それ以下の、親も居なければお金を稼ぐこともできない子どもというのはかなりえげつなく貧民だ。
残酷なほどに。
それが僕の数年前だったと思うと心が痛む。
「お兄ちゃん、今日のご飯はなに」
「パンとスープだよ。いつもと変わらないね」
僕は鍋の中のスープをかき混ぜながらそう言った。一日二回の食事を用意するのは僕の仕事だ。
ここから成長して出て行ったやつは、たいしてこの先も稼げる大人になるとは限らない。おおかた野たれ死ぬか、たいした給料をくれない主人について一生奴隷みたいに働くか。
僕は運が良かった。十歳そこそこで裏カジノといえ、稼げる職にはつけた。ここは貧民街。ギャンブルで身を滅ぼしたやつを更に貶め、金を巻き上げても誰も文句は言えない。
でも、僕はその稼いだ金をこの教会に提供する気はない。
どんなに稼いでもここの三回目の食事を用意するには足らないのだから。
ここにいた所で、将来はたいして明るくはない。
でもみんな出て行こうとする。僕の周りにいたかつての同じく教会孤児だったものも、今はほとんどいない。僕だってここにはたまにしか帰ってこない。みんな散り散りになって、たまに顔を合わすくらいだ。
「ジャック」
「あれ? アルバートか」
「ジャック……ちょっと助けてくれよ」
「えっと、どうしたんだ?」
教会の敷地を出た後、声をかけてきたのは教会孤児仲間であるアルバートだった。そうして、かつての教会孤児だった子どもたちはお金を稼ぐために、かなり「危ない」仕事をしていることも多い。
「どうしたんだ、その傷」
「少し黙ってろ。ジャック、お願いだ。教会の中から薬草でもかすめてこい。早く」
僕は慌ててしまって彼の顔と傷をかわるがわる見た。
「おい、それより教会で手当てした方がいいんじゃ」
「ジャック! 俺は……、それだけはダメだ。俺は教会に入れない。お前が薬草を取ってきてくれれば、助かるから」
「なんでなんだよ!」
「いいから! いいから、俺に従ってくれ! お前しか頼るやつがいないんだよ!」
「……分かったよ」
とりあえず従うしかなかった。アルバートの傷はたいして深くはなく、致命傷とはいかないほどの怪我だ。服のススは払えばどうにかなるだろうし、僕は通りの向こうを指差した。
「僕が薬草を持って来たら僕の家に君を泊めて治療しよう。たいしたことは出来ないけど、無いよりはいいだろう」
僕が薬草を持ってアルバートの元に駆けてきた時には、アルバートの意識はなかった。死んだわけではない。ただ、何か怖いことでも思い出したのか、頭に脂汗をかいてぐったりとしていた。
僕はその死体みたいな彼をおぶって、自分の家まで運んだ。
意識がない人間っていうのは、水がたっぷり入った麻袋と同じくらい重い。
それを運ぶのは、こちらの生命を削るほど命がけだ。
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