第233話:求められすぎる、覚悟。❷

慶次の攻撃は続く。


「第五天、化楽天けらくてん。」

さらに凜の感覚に快感が押し寄せる。嗅覚、触覚、聴覚全てが心地よくなる。痛覚すら心地よいのだ。脳から次々と快楽物質が放出される。

(凜、エンドルフィンの放出が尋常ではありません。ああ、私も⋯⋯超キモティい。)

凜の脳内変化の影響をダイレクトに受けるゼルが身を捩り始めた。

「やばい、攻撃すら当たったら気持ち良さそうだと思ってしまう。」

凜本人もさることながらさらに戦闘機能を司るゼルがまったく攻撃に身が入らないのだ。


「慶次さんの技は『六欲天』シリーズということか?」

これまでとは全くベクトルの違う攻撃に凜の中に焦りが生まれる。

「どうじゃ?痛みに耐えて戦いし名高き戦士たちもこの快楽には抗えぬものよ。」

一方、慶次は余裕である。

「同じ空気を吸っているのだから慶次さんにも影響があるはず。」

 凜は『快感』でグロッキーになっていた。堪え難い痛みよりもさらに堪え難いかもしれないのである。

「くそ、なんだか全てがどうでもいいと思えて来た。二式・鍾馗トージョー。」

 とりあえず防御を固める。慶次の攻撃に対応する凜の切っ先が鈍りはじめる。攻撃に転ずる意欲が削がれているのだ。


「第六天、他化自在天たけじざいてん。」

慶次の赤い鎧が黒く染まっていく。

「出でよ、『第六天魔王・波旬はじゅん』!」


「第六天魔王」というのはかつて「織田信長」がそう呼ばれていたと伝えられている。もとは人に幸運をもたらす神、と見なされていた。しかし、やがて人の欲を克服しようとする仏道の修行を妨げる者、「魔王」とみなされるようになったのだ。


「凜⋯⋯あれに斬られたらどんだけ気持ちいいんでしょうか?」

凜の脳内に湧き出す快感物質にすっかり酔いが回ったゼルがうっとりした口調でいう。

(僕とてセルフハーレムをやっていなかったらやばかった。)

もっとも凜も褒められたものでもないが。


「ゼル、いい加減に正気に戻れ。βエンドルフィンのマネジメント、できるな?」

しかし、このまま反撃しない訳にもいかない。凜はゼルに快楽物質がこれ以上脳をコントロールしないようにさせた。

「あい⋯⋯。」

もともと1000年を超える時間、凜たちは「情報体」として生きて来た。「情報体」とは「物質」と「霊体」の中間の状態である。脳内物質のコントロールは得手なのである。


凜が態勢を立て直したころ合いを見て慶次が問う。

「それがしが問うておるのは、棗殿が何の覚悟を持ってこの戦さ場に臨んでおられるかだ?」

「覚悟?」


「信長公が滅んだのは公平さを欠いたからだとそれがしは思う。ある者には情を持って接し、別の者にはそうしなかった。同じ者に対してもある時は情を見せ、別の時にはそうしなかった。独裁者は誰よりも基準がぶれてはならぬ。それは恐れしか生まぬからだ。


太閤殿下の家が滅んだのは世の移ろいを読み損ねたからだ。日の本を平らげた後、石高を与える、という褒美は破綻したのだ。それが『唐入り』などという悪手を生んだ。あれほど金銀を集めながら金子きんすによって世を動かすという考えに至らなかったのだ。」


「一方、家康はの。自らの身の丈をよく知っておった。だから過ちはせなんだ。ただし、正しいこともできなかった。それがしの死んだ後のいきさつを見て驚いたわ。日本は260年の泰平と引き換えに一歩たりとも前へ進めなんだ。だが、それにもまして泰平には価値があるのだ。さて、貴殿は『家康公』足りうるか。それが覚悟でござるよ。」


凜は苦笑する。

「まあ、彼がそれほど立派かどうかは諸説ありますがね。安定した社会システムの構築、という表現にすれば確かに立派だと言えますけどね。」

しかし、そうしたシステムの変更こそが「円卓」の老人たちが最も恐れていることなのである。


凜は自分が自身が掲げる公約にあえて「体制の転換」という項目を含めなかった。逆に言えばそれが慶次の言う「足りない」ところ、と見られているのだ。

「心配には及びません。僕が勝ちさえすれば、たとえ僕が望むか望まぬかはかかわりなく、劇的に変化すると思いますよ。」

 慶次はかつて時代に取り残されたことが心に閊えているのかもしれない。凜はふと思った。義理の叔父にあたる利家に上回る能力を持ちながら、信長によって継ぐべき立場を奪われた失意。もう少し早く生まれていたら、という気持ちもあったろう。天下の鄒勢が決すれば「武力」はもはや邪魔にしかならない。これまで持て囃された自分の得手が突然無価値になってしまうという世の移ろいに何を思ったのか。


 そして、一介の武士として慎ましく過ごした晩年。彼の胸に過ぎったものはなんだったのだろう。


「絶技・西行桜。」


「桜吹雪か⋯⋯。」

慶次が分身を始める。

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