第157話:ラストすぎる、サムライ。❷

凜とは別にロゼにも迎えの車が回されていた。所用でガイアのエウロペ2に行っている父ジョーダンの名代を仰せつかっていたのだ。みんなと祭りも楽しめず、かといって凜とも別々。ロゼはきわめて不機嫌であった。

「ロゼ、ドレスなんですから、お淑やかに願いますよ。」

ジェシカが重ねて注意する。

ロゼは車で大股を開いて座席シートに身を沈めていたのである。女子しかいないとはいえ、ドレスのスリットから引き締まった脚がはみ出ている。これは幼い頃から何か自分の意に沿わないことを強いられているときのロゼの抗議の意思表示である。


「知らんがな。ウチが猫なんは耳だけや。猫はまるごとは被られへんし。」

ロゼも開き直る。しかし、イブニングドレスでガサツな行動をされてはジェノスタイン家の、延いてはフェニキアの品格の軽重が問われることになりかねないのだ。そして、教育係としてのジェシカが費やしてきた時間と労力の成果もまた然りである。


しかし、会場に着くとロゼは「豹変」する。なかなかにして堂々たるお嬢様ぶりなのである。恙無く王太子への挨拶を終え、緊張のピークを過ぎたジェシカは背中から一気に汗が噴き出すのを感じていた。

「あの子ったら⋯⋯、もう。」

仕事中であるにも関わらず、ジェシカはボーイに渡されたカクテルを一気に空けた。アルコールが、ストレスが「峠を越した」彼女の身体に心地よい。

ジェシカは夜風にあたろうと大広間からバルコニーへと移動した。ロゼの方は今は凜が一曲ワルツの相手をしてくれているのでしばらくはおとなしくしてくれるだろう。


5月の初めだが避寒地である「冬の都」の空気はすでに夏の匂いがしており、時折吹き抜ける夜風が心地よかった。先ほど背中にかかされた冷や汗が蒸散していくのをジェシカは感じていた。

「『子猫姫』のおつきの方ですか?」

突然、声をかけられ、ジェシカはぎょっとして声の方向を見た。人の気配を感じていなかったからである。

「どなた様かしら?」

ジェシカが身構えるとそこには黒い人影が立っていた。身体の大きな男である。「黒い」のは黒づくめの服を着ていたからである。


「突然、声をおかけして驚かせてしまいましたか? 申し訳ない。」

男はお辞儀をしてからゆっくりと近づいてくる。背も高い上にがっしりとした体躯は、少し近づいただけでも十分な圧迫感プレッシャーを感じさせるものだ。その身体にピッタリとフィットした黒い服は地球教の僧服であった。いわゆる聖騎士(パラディン)の僧服である。大きなつばのついた黒い帽子をかぶっていたが、首からかけているのはロザリオではなく、大玉の数珠であった。


ジェシカはスタッフに与えられている招待客名簿を検索するも、該当者がなかったため身構える。ただ、武器を使用出来ないようここでは鞘に封印が施されているのだ。

「あなた、いったい何者?」

ジェシカの問いに僧服の男は両手を挙げた。片方の手には地球教の聖典があった。

「ただの坊主ですよ。元円環教のね。武蔵坊弁慶と申します。ただ、ほとんど経典は読んだこともない生臭坊主でしてね。」


「では聖騎士(パラディン)ということか?」

ジェシカの緊迫した口調に、彼は小さく苦笑をもらした。

「まあ、分類カテゴライズされればそうなりますか。実は、私が生まれたのはこの国ではないのですよ。日の本という国で生まれ、主君に従って激しい戦いを何度も戦ってきたのです。」

弁慶の目は遠くを見つめているようだった。

「しかし、主人あるじはその兄君に疎まれ、謀反人の烙印を押されて逃避行を続け、ついに追い詰められたのです。私はお守りしようとしましたが、そこで記憶が途切れてしまいました。そして気づいた時にはこの国にいたのですよ。」


ジェシカは再び身構える。

「つまり、あなたは怪しい者、ということで良いのか?」

「いえいえ、今は『東方聖騎士会』という無名ではありますがれっきとした地方騎士団でご厄介になっております。今日は武芸会に出るために仲間と帯同しているのです。わたしのことはどうぞ『ベン』とお呼びください。みんなにそう呼ばれています。」

その瞳は穏やかな光をたたえていた。ジェシカは構えをとく。ベンはバルコニーのてすりに両手をつき、そこから見える湖畔に映る月影を眺めながら話はじめた。


「私の主君だった男は、とても魅力的な人間でした。でもいつも何をしでかすか全く読めない男で、いつも苦労させられていたのですよ。もしかしたら、あなたもお嬢様に振り回されているのかな、と僭越ながら見ておりました。しかし、私の見た所、あのお嬢様はなかなかの素質を秘めておいでです。きっとあなたのご苦労が報われる日も遠くはないと思いますよ。」

思わぬ言葉にジェシカの表情が緩んだ。

「ふん。余計なお世話だと言いたいところだが、まあ、労ってもらって悪い気はしない。」


 すると突然、バルコニーに照明がつけられた。照明といってもフットライトが主である。

王太子を始め、主だったゲストたちがそこへ出てきたのである。

「おお、ベン。そんな所におったのか、こっちこっち。」

ハワード・テイラーが弁慶を手招きする。彼はジェシカに一礼するとそちらへ向かった。気まぐれなハワードの性格を知るジェシカはそこで得心した。

「なるほど。テイラー卿の随員であったか。きっと直前に思いつかれて、連れてこられたでもしたのだろう。」

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